仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

井原泰男牧師のこと

2020年12月03日 | いい話

法話メモ帳より(2005年記述)

 

井原泰男牧師2005年5月7日ご逝去



ある朝ふと思ったことです。それは築地本願寺である講演会が開催される朝のことでした。

 当初、その講演会のゲスト講師は聖路加病院の井原泰男牧師を予定していました。井原牧師は聖路加国際病院付牧師をお勤めでした。その講演の一週間前に出講できない旨の連絡がありました。それには事情がありました。

 昨年十月二十五日、何人かの仲間で聖路加病院をお訪ねしました。井原牧師から、病院のチャペルでお話を伺い、緩和ケア病棟も見学しました。

 そのときは、既に井原牧師はすい臓癌で、少し身体もキツイご様子でした。来年(二〇〇五)の一月は、生存不明で無理かも知れない。もし行ける様だったらとの前提で講演を受けて頂いていたのです。そんな事情があっての出向不可でした。
 さて講演会の朝、ふと気づいたことでした。

 ということは、十月にお訪ねする一年半位前にも、聖路加を訪問し、色々なことをお聞きしました。その二回の面接を重ね合わせて考えると、井原牧師の態度、お話しすること、お人柄、仕事に対する思い等々は、まったくお変わりなく、すい臓癌を患ってお会いした折も、おかわりなく平生のご様子でした。

 これは私の深読みかも知れませんが、私が“すごい”と思ったのは、昨年のすい臓癌後ではなく、一昨年の方です。
 すい臓癌を患い命の終わりを視野に入れて、いつものようにお仕事しておられた牧師は、おそらくすい臓癌になる前も、すい臓癌になって死が視野に入ってきた時と同じ質の高さで日常生活を行っていたのではないかということです。

 私がすごいと感心したのは、すい臓癌になってからもそうですが、それ以上に、すい臓癌になる前の井原牧師の生き方です。

 父往の時、ご紹介した話です。父が食道がんを患ったときのことです。食べ物が入らなくなってからの発見で、それまで不整脈や胆嚢の摘出、脳梗塞二回、肝炎などを体験しており、この食道がんは手術を出来ないとのことでした。

 当初、私が気になったのは、「父は後、何ヶ月の生命か」ということでした。しかししばらくして、かけがえのない生命を何ヶ月という数量ではかる。それは大変に不遜なことだという思をもちました。生命を一ヶ月二ヶ月という数量にしたとたん、一ヶ月より二ヶ月、二ヶ月より三ヶ月の生命の方が価値ありという生命が物に転落してしまうからです。

 私たちは一日より二日、二日より三日と生命を量ではかり、その数量の多さに幸せを感じていきます。しかし実際は、三日より二日、二日より一日と、短くなればなるほど、一日の重みが増していきます。

 そして、その極みが「今のひと時」です。ここに立つとき、「今という時は二度と巡ってこない」という永遠に巡り会えないという質をもった生命であることに気づかされます。

 死を意識することは、長い生命のうえに幸福を感ずる価値観から、生命の短さの中に、永遠を感ずる考え方に回心する最良の時でもあります。そう考えた時、父との一日一日を大切にしていくしかないと腑に落ちました。

 命の終わりにあっても、平生であっても、同じ生活をしていくしかない。しかし、同じ生活であっても、命の終わりを視野に入れたところの同じ生活は、質がだいぶ深まった同じ生活なのだと思います。

 話を戻しますが、井原牧師に感じた、すごさは、そこです。終末期になっていつもの如く生きるすごさと、死期の分らない平生の時、終末期を視野に入れたが如く平生に生きる。これは同じことであり、井原牧師に感じたすごさです。(つづく)

コメント
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