法話メモ帳より
昔、関東の梅五郎という無頼の徒がありました。若い頃故郷を出て江戸に行き十数年を経て、風のたよりに故郷の両親も死んだと聞いて、親の遺産に目をつけて帰って来た。直ぐ家には入らず里人について様子を探ぐると、家は末の弟が継いで居るとの事である。彼は気立てもよく嫁と二人の子供をすらもうけて、安らかな日を送って居る事を知り、財産を横領しようと企て夕方暗くなりかけた頃、居酒屋でしたたか酒をあふり、乗り込んで巻き舌あぐらで弟をおどしかけた。
「お前は一体誰の許しをうけて此家に棲んで居るのか、已は此家の長男であるぞ」といった調子である。所が意外にも弟は丁重に両手をつかえ「仰せまでもなく此家此屋敷、外に田畑山林など皆兄さんのものであります。どうぞ兄さん聞いて下さい。父の亡くなるとき、若し兄が帰って来たら、よしや世間の笑い者の子供でも可愛と思うは親の情、あの子の望む丈の財産は与えて呉れよとの遺言でありました。又母の亡くなるときは兄があんなに身を持ち崩したのも母の育てが悪かったからである。戻ったらこれを渡して呉れよと形身の御珠数を私が預ってあります。兄さんようこそ帰って来て下された。兄さんの望まれる丈財産をお取り下さい。私はその日を待つ て居りました。私たちは達夫婦の者は納家の隅っこにでも置いて頂けたら充分であります」
と誠を面に表して両親の心を伝えたのである。梅五郎は案に相違した弟の素直さと自分はひがみ切っていたのに、猶見捨てぬ父母の慈愛とに本心を呼び醒され、泣いて仏前に不孝の罪を謝し、弟より僅かに大阪迄の旅銭を貰いうけ、豆腐屋を開業して真面目な生涯を送った。