「セデック・バレ」は、日本統治下の台湾を舞台にした台湾映画。昭和初頭に実際におきた、台湾の先住民による抗日事件「霧社事件」を題材にしていて、第一部と第ニ部、計4時間半ほどの長編映画です。
台湾が日本の植民地になったのは日清戦争後のこと。当時すでに中国人によって徐々に山地に追いやられていた先住民は、中国本土の人からは「高山族」、日本人からは「高砂族」と呼ばれていました。
映画では、かれらのうちで霧社地域に住んでいたセデック族の、ひとつきあまりにわたる抗日暴動を描いています。セデック・バレとは、現地の言葉で「真の人」という意味。首狩りの風習を残している彼らにとっては、英雄とは狩場を侵略する敵の部族の首を、ひるむことなく狩りとる男のこと。この映画の主人公、セデック族の一集団マヘボ社の頭目モーナ・ルダオは、彼の属する集団のだれよりもたくさんの敵の首を切り取った英雄です。
農耕と狩猟で昔ながらの生活をしていた彼らは、中国人同様、日本統治下に入ることを余儀なくされます。狩場として大事な場所である森は、町を作るために伐採されます。それらの仕事を、彼らはきわめて安い賃金でこなすことを要求されます。子供たちは日本人として教育されますが、日本人教師からひどく差別的な扱いを受けます。
彼らの不満と怒りは、現地駐在の日本人警察官のきわめて悪質な仕打ちによって爆発します。モーナ・ルダオは他の社とともに、近辺に住む日本人がほとんどすべて集まる、秋の運動会の日を蜂起の日と定めます。
そしてその日、彼らは計画通り、日本人のほとんどを殺害。山に引き上げゲリラ戦を展開します。しかし、日本は次つぎに警察隊や軍隊を投入。山の細部まで知り尽くしているセデック族を相手に、日本側はかなりの苦戦を強いられますが、弓矢や石、せいぜい古い型の銃しか持たない先住民は、近代的な装備の前で惨敗を余儀なくされます。
男達の足手まといになるからと、年寄りや女子供たちは集団自決します。男達も、ちりじりになり、最後は自決したり山に入って行方不明になったりします。とはいえ、抵抗の期間は約1ヶ月。日本側はそうとう翻弄されたようです。
私は子供の頃、大正生まれの父から、「朝鮮の人たちは日本の統治に抵抗したが、台湾の統治はうまくいった。先住民の高砂族出身の兵隊を知っていたが、たくましくて勇敢で、人懐っこかった」と聞いていました。歴史の教科書でも、朝鮮の三一運動のことは学んでも、霧社事件のことは学びませんでした。考えてみれば、朝鮮や中国から抵抗されているのに、台湾だけ統治がうまくいったなんて変な話なのに、父たちはそう叩き込まれていたのでしょう。
映画を見終わってから、かなり分厚い、高校の日本史の参考書の索引を調べましたが、案の定、霧社事件は載っていませんでした。これほどの事件なのに無視されてきたとは、どういうことでしょうか?
それにしても、韓国ドラマ「済衆院(チェジュンオン)」でもそうでしたが、明治以降から戦中までの日本人は、朝鮮や中国の人たちに対してたいへん侮蔑的な、威張った態度をとっていたようです。とくに政府や警察官・軍人の態度がすごい。ほんとはどうだったかということを調べるのも大事ですが、そういう態度をとる人間として、日本人のことを見ている、という事実は知っておくべきことだと思います。
この映画を見て、昔見た、ある映画を思い出しました。「カウラ」という、石田純一主演のオーストラリアの映画です。
太平洋戦争で日本はオーストラリアとも戦ったのですが、オーストラリアのカウラという場所にあった日本人捕虜収容所で実際にあった、日本兵の脱走事件をドラマにしたものです。
この事件は、収容所生活にはなんの問題もなかったのに、「生きて虜囚の辱めを受けず」という軍人勅諭を金科玉条とする軍人たちが、部下をなかば威すようにしてともに脱走し、二百何人という大量の死者を出しました。アメリカ映画「大脱走」とは大違いの、悲惨な顛末です。オーストラリアの人たちから見た、日本人の特殊な心性を丁寧に描いています。
かつての戦争を反省するのに、格好の資料の一つだと思うのですが、事件のあったことさえ、ほとんどはしらないでいるとおもいます。名前だけでも知ってほしいとおもって、書き添えておきます。
台湾が日本の植民地になったのは日清戦争後のこと。当時すでに中国人によって徐々に山地に追いやられていた先住民は、中国本土の人からは「高山族」、日本人からは「高砂族」と呼ばれていました。
映画では、かれらのうちで霧社地域に住んでいたセデック族の、ひとつきあまりにわたる抗日暴動を描いています。セデック・バレとは、現地の言葉で「真の人」という意味。首狩りの風習を残している彼らにとっては、英雄とは狩場を侵略する敵の部族の首を、ひるむことなく狩りとる男のこと。この映画の主人公、セデック族の一集団マヘボ社の頭目モーナ・ルダオは、彼の属する集団のだれよりもたくさんの敵の首を切り取った英雄です。
農耕と狩猟で昔ながらの生活をしていた彼らは、中国人同様、日本統治下に入ることを余儀なくされます。狩場として大事な場所である森は、町を作るために伐採されます。それらの仕事を、彼らはきわめて安い賃金でこなすことを要求されます。子供たちは日本人として教育されますが、日本人教師からひどく差別的な扱いを受けます。
彼らの不満と怒りは、現地駐在の日本人警察官のきわめて悪質な仕打ちによって爆発します。モーナ・ルダオは他の社とともに、近辺に住む日本人がほとんどすべて集まる、秋の運動会の日を蜂起の日と定めます。
そしてその日、彼らは計画通り、日本人のほとんどを殺害。山に引き上げゲリラ戦を展開します。しかし、日本は次つぎに警察隊や軍隊を投入。山の細部まで知り尽くしているセデック族を相手に、日本側はかなりの苦戦を強いられますが、弓矢や石、せいぜい古い型の銃しか持たない先住民は、近代的な装備の前で惨敗を余儀なくされます。
男達の足手まといになるからと、年寄りや女子供たちは集団自決します。男達も、ちりじりになり、最後は自決したり山に入って行方不明になったりします。とはいえ、抵抗の期間は約1ヶ月。日本側はそうとう翻弄されたようです。
私は子供の頃、大正生まれの父から、「朝鮮の人たちは日本の統治に抵抗したが、台湾の統治はうまくいった。先住民の高砂族出身の兵隊を知っていたが、たくましくて勇敢で、人懐っこかった」と聞いていました。歴史の教科書でも、朝鮮の三一運動のことは学んでも、霧社事件のことは学びませんでした。考えてみれば、朝鮮や中国から抵抗されているのに、台湾だけ統治がうまくいったなんて変な話なのに、父たちはそう叩き込まれていたのでしょう。
映画を見終わってから、かなり分厚い、高校の日本史の参考書の索引を調べましたが、案の定、霧社事件は載っていませんでした。これほどの事件なのに無視されてきたとは、どういうことでしょうか?
それにしても、韓国ドラマ「済衆院(チェジュンオン)」でもそうでしたが、明治以降から戦中までの日本人は、朝鮮や中国の人たちに対してたいへん侮蔑的な、威張った態度をとっていたようです。とくに政府や警察官・軍人の態度がすごい。ほんとはどうだったかということを調べるのも大事ですが、そういう態度をとる人間として、日本人のことを見ている、という事実は知っておくべきことだと思います。
この映画を見て、昔見た、ある映画を思い出しました。「カウラ」という、石田純一主演のオーストラリアの映画です。
太平洋戦争で日本はオーストラリアとも戦ったのですが、オーストラリアのカウラという場所にあった日本人捕虜収容所で実際にあった、日本兵の脱走事件をドラマにしたものです。
この事件は、収容所生活にはなんの問題もなかったのに、「生きて虜囚の辱めを受けず」という軍人勅諭を金科玉条とする軍人たちが、部下をなかば威すようにしてともに脱走し、二百何人という大量の死者を出しました。アメリカ映画「大脱走」とは大違いの、悲惨な顛末です。オーストラリアの人たちから見た、日本人の特殊な心性を丁寧に描いています。
かつての戦争を反省するのに、格好の資料の一つだと思うのですが、事件のあったことさえ、ほとんどはしらないでいるとおもいます。名前だけでも知ってほしいとおもって、書き添えておきます。
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