8月5日は、オーストラリアのカウラ収容所で、1944年のこの日、日本人捕虜が集団で脱走し、230余名が死んだ日です。たまたま命日に、慰霊祭を行ったというニュースが流れ、2008年に日本テレビがこの脱走事件をドラマにしていると知りました。あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった-カウラ捕虜収容所からの大脱走-|日本テレビ (ntv.co.jp)
わたしは、30年ほど前にオーストラリアと日本の合作ドラマ「カウラ大脱走」をみて、この事件のことを知ったのですが、日本人の大半は知らないままのはず。テレビドラマ「カウラ大脱走」 - アンティマキのいいかげん田舎暮らし (goo.ne.jp) でもちゃんとドラマはできていたのだとわかったので、さっそくつたやレンタルで借りて見てみました。
ドラマは、この事件で生き残った元兵士の話を元に作ったそうで、山崎努がカウラを訪れるところからドラマは始まります。彼は1944年春にニューブリテン島でとらえられてカウラ収容所に送られ、数か月を過ごします。そこで起きた、恐るべき出来事。それが、死ぬとわかって行った集団脱走です。
捕虜たちは、思いもよらぬ捕虜への厚遇に戸惑いを覚えながら、豊富な食事にありつき、野球やゲームに興じ、安らかな日々を送ります。でも、彼らは「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」の文言を叩き込まれた日本兵。祖国の家族に迷惑をかけるのがつらくて、ほとんどが偽名を使っています。
ところが、突然、オーストラリア軍の上層部の命令によって、収容人数が増えすぎたため、日本軍の上層部と一般兵を分けて一方を別の収容所に移送することが決定されます。「日本軍の上官と兵隊は一心一帯。切り離されるのは死ねといわれるのと同じ」と反対する人々が登場。捕虜たちは動揺します。
今回見た日本のドラマでは、脱走を決行するか否かの採決をするとき、兵たちはそれまでの幸せな捕虜生活が突然終わりになるというのに、ほとんど議論もケンカもしないで、絶対成功の見込みのない脱走に賛成します。しごくおとなしい。
あべさだを扮するごちごちの軍国主義者の軍曹に居丈高に死への突入を強硬に主張されたとはいえ、場所は収容所。軍隊ではないのだから、彼の言いなりになる義務はありません。でも、あくまで兵たちは「戦陣訓」に縛られ、トイレットペーパーに「〇」を書く、という流れになっています。
「カウラ大脱走」では、脱走を決定するまでの兵たちの動揺や苦悩、やるせなさ、なさけなさ、悔しさがもっと前面に描かれていた気がします。いまでいうところの「同調圧力」に主人公がまけていく姿が描かれていたと思う。主人公の心情がもっと複雑に描かれていて見ごたえがありました。カウラのことを知りたいなら、こちらをお勧めします。