1953年に作られた日本映画「村八分」村八分 (映画) - Wikipediaを見ました。この映画は、その前年、1952年に静岡県の山村で起きた選挙違反事件とその後の事件静岡県上野村村八分事件 - Wikipediaをほぼそのまま映画化したもの。主演は中原早苗。山村聡、殿山泰司、音羽信子そのほか、有名俳優がたくさん出演している社会派映画です。
参議院議員の選挙が行われた直後、新聞社に一通の手紙が舞い込みます。それは、ある村全体で行われた大規模な選挙違反事件を告発するものでした。送り主は地元の女子高校生。彼女は母親から、隣組組長らがあらかじめ不在者の投票券を各戸から集めて、選挙当日は、村人たちが、その集めた投票用紙に区長や役場の職員から指示された候補者の名前を書き、何度も投票する様子を目撃した、という話を聞かされました。
実は2年前、彼女が中学生だったころも衆議院選挙の折に同様のことがあり、彼女はそのことを作文(実際は学校新聞らしい)に書いて校長からほめられたのですが、しばらくあと、校長の態度が急変。生徒たち全員が持っていた作文?新聞?を学校に出すよう求められ、焼き捨てられた、という事件を経験しています。
そのため、彼女はこの問題を学校に知らせることなく、新聞社に投書することを選びました。すぐさま支局員が村に入り取材を開始します。その新聞記者が山村聡。投書した女子高生や一家への取材、役場への取材などから彼は投書が事実であったことを確信し、新聞に掲載します。すぐに警察が動き、村人たちを連行します。村は大騒動となります。
一方警察は彼女の思想を問題にし(赤化しているのではないかとうたがったのです)、彼女は高校の校長に呼び出されます。その時の校長の言うことが振るっています。「世の中には法よりも道徳が上にくることがある」つまり、村の中での「道徳」のほうが法律より大事だと暗にほのめかしたわけです。
役場や有力者の言いなりになってさしたる後ろめたさもなく選挙違反に連座した村人たちは、主人公のせいでとんでもないめにあったと考え、主人公一家を村八分にします。耕作の季節なのに、いつも馬を貸してくれていた家が貸してくれなくなり、一家は鍬や備中で耕すしかなくなります。当時はほとんどの家がつけで物を買っていましたが、それもきかなくなります。結の手伝いも一切協力は仰げなくなったことでしょう。父親はやけになり、村を出ていくとまでいい出します。
このひどい村八分の状態が、またまた新聞社によりスクープされて、全国から注目を集めます。法務局まで調べにきて、村人一人一人に話を聞きますが、なかなか真相は明らかにならない。村の有力者に飼われているごろつきのような人たちが目を光らせていることもあり、彼らは互いに罪を擦り付けあうだけで、反省することはありません。
けれども、映画の最後は希望の光が見えたところで終わり。ただし、この終わり方は甘すぎる。当時はこれでよかったのでしょうが。
最初と最後に映し出される映像は表現主義的。そしてかかる音楽は、ロシア民謡「仕事の歌」。「ゴジラ」の音楽を担当した伊福部昭が音楽担当なので、わたしのおもいすごしか、なんだかゴジラがでてきそうなおどろおどろしい曲になっています。
あったことをほぼ忠実に再現した映画。監督は知らない人ですが、脚本は新藤兼人。53年といえば、サンフランシスコ講和条約が結ばれて日本が一応の独立を果たした直後のころ。アメリカでは赤狩りが盛んな時でしたが、日本の映画業界~独立プロでは、こうした民主主義的な社会派の映画が結構作られていました。
事件が起きたのは戦争が終わって7年後。農地改革が断行され、農村は大幅に変わったはずですが、映画に登場する村の百姓たちの姿はまずしくてみすぼらしい。日々の生活に追われ、なにかあると、有力者の言いなりになるしかすべがない。そしてそれを疑問にも思わない。
いかにも古い昔の話のようなのですが、こちらに来て、日本の農村には、いまだにこの70年前のような古い習慣というか遺制があるなと思われる場面に、何度か遭遇しました。
ある老人は私に向かって、「田舎の法律と村の法律は違う」とうそぶきました。別の中年男性は、「郷に入れば郷に従え、だ」と強い口調でいいました。どちらも、こちらが「どういうことですか?」と聞き返したら黙ってしまいました。私には理解しがたい、かたくなな気持ちがあるらしいことが伺われました。
この映画、かなり地味だし、古いので録音も悪いのか聞き取れない箇所もあるのですが、ぜひとも子供たちには見てほしい。この映画で描かれたような村の雰囲気が、何十年もたった今でも、はっきり拭い去られているとは思えないからです。もしかしたら、色濃く残っているのは農村だけではないかもしれません。