1947年3月卒業の同窓会がありました。
前回は13年前にあっったそうです。
私は、中学1年の時に、西鷹合町から鷹合小学校区外の湯里町に引っ越したため、転居先不明者扱いされていました。前回の同窓会は案内が届かなかったのですが、今回は、幹事の人がインターネットで探し出し、メールで知らせてくれました。
同窓会ネットを利用した同窓会でした。
参加費1万円。阿倍野のMIO駐車場にあるモノクロームという店でありました。昭和47年3月卒業5クラス約220名のうち41名が参加しました。当時の先生は、存命の2名が参加しました。
2次会は、新宿ごちそうびるの6階で、3次会は同じく7階でありました。2次会の参加費は1000円。私は、2次会まで参加しました。
当時と別人のようになっている人、当時と同じ人、いろいろいました。老けて見える人。若く見える人。
私のことは、テレビで見て知っている人が大半でした。
たかじんのそこまで言って委員会で見た人が多数でしたが、その番組は見ず、他の番組の名前を挙げる人も多数いました。
小学校では同じクラスにならなくとも、中野中学校で同じクラスになった人も多数いました。
私は、4年生の3学期に、堺市立三宝小学校から転校してきたわけで、転校生として知られていたようでした。
5年までは6クラス編成で、6年生になるとき5クラスに減り、転出超過の小学校でした。転入生は珍しい存在だったわけです。
当時の私に対しては勉強のできる子とイメージはあったようですが、将来商売をする子には見えなかったといいます。
とっても楽しい1次会、2次会でした。
小学校の時と現在、性格というものは変わらないことに気づきました。
↑ 上2枚は1次会
↓ 下2枚は2次会