かつて四面の題目塔があったことから「四面塔稲荷」と呼ばれるようになり、交差点の名称にもなっていますが、正式には堤稲荷神社といいます。この神社は練馬区の西大泉に鎮座し、清戸道沿いです。
清戸道とは、江戸時代、江戸と武蔵国多摩郡清戸(現在の東京都清瀬市)との間を結んでいた古道です。江戸川橋が起点で、北西へ約20キロ以上も続く道です。
境内は比較的広いものの、鎮守の森を形成しているわけではないので、広場のような印象すらあります。
社殿の棟札を見ると、「元治二年」と書かれているようなので、江戸時代末期の建築物といえそうです。
一間社、流造り、銅板葺きの小祠で、彫刻が随所に施され、よく見るとなかなか見ごたえがあります。
拝殿奥の覆屋内に建てられている本殿は平成9年に「西大泉の稲荷神社本殿」として練馬区有形文化財に登録されました。
実際の創建年代等は不詳で、江戸時代初期頃から祀られていたと伝えられていますから、歴史はある社です。
摂社に御嶽神社がありますが、面白いのはここも単独で道路側に鳥居があり、参道が続いている点です。
摂社と本殿の位置関係や広い境内など、何とも不思議な印書を持ちますが、この周囲を走るドライバーに道路を渡った先のセブンイレブンとともにランドマーク的な意味合いがあるのは事実です。
そんな四面塔稲荷を骨で聴きます。
米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットで古道沿いの音声を聞くと、かすかに古の旋律が聞こえてきそうです。
→ 骨伝導ヘッドセットはこちら
清戸道とは、江戸時代、江戸と武蔵国多摩郡清戸(現在の東京都清瀬市)との間を結んでいた古道です。江戸川橋が起点で、北西へ約20キロ以上も続く道です。
境内は比較的広いものの、鎮守の森を形成しているわけではないので、広場のような印象すらあります。
社殿の棟札を見ると、「元治二年」と書かれているようなので、江戸時代末期の建築物といえそうです。
一間社、流造り、銅板葺きの小祠で、彫刻が随所に施され、よく見るとなかなか見ごたえがあります。
拝殿奥の覆屋内に建てられている本殿は平成9年に「西大泉の稲荷神社本殿」として練馬区有形文化財に登録されました。
実際の創建年代等は不詳で、江戸時代初期頃から祀られていたと伝えられていますから、歴史はある社です。
摂社に御嶽神社がありますが、面白いのはここも単独で道路側に鳥居があり、参道が続いている点です。
摂社と本殿の位置関係や広い境内など、何とも不思議な印書を持ちますが、この周囲を走るドライバーに道路を渡った先のセブンイレブンとともにランドマーク的な意味合いがあるのは事実です。
そんな四面塔稲荷を骨で聴きます。
米軍採用・特許技術の骨伝導ヘッドセットで古道沿いの音声を聞くと、かすかに古の旋律が聞こえてきそうです。
→ 骨伝導ヘッドセットはこちら