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骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

日本橋水門を骨で聴く

2013-04-10 13:51:22 | 骨で聴く癒しの世界

 東京の亀島川にある亀島橋を訪れたとき、この川について、日本橋川から分流し、中央大橋下流で隅田川に合流するだけの約1Kmと短い流路だと紹介しました。このわずかな距離に5つの橋が架けられ、その一つが亀島橋でした。(⇒ 亀島橋を骨で聴く
 今回は日本橋川との接続点に設置されている日本橋水門へと、最先端の骨伝導機器とともに散策にいきました。春の陽気の中なので、快適な骨伝導散歩です。

 日本橋川と亀島川は東京湾の潮の干満の影響を受ける感潮河川ということで、高潮や津波の被害から流域の街を守るために高い堤防に囲まれています。そのために、亀島川は両端に防潮水門があるのです。

 巨大地震が発生し、津波警報が発令されれば、津波に備えてこの日本橋水門は閉鎖されます。安全を守るためにも活躍する水門です。

 日本橋水門は昭和46年に完成した施設で、2連のローラゲート式水門です。亀島川に架かる霊岸橋から日本橋川方面を見るとすぐそばにあるので存在感はかなり大きいといえます。周囲は東京らしい都会の風景が展開していますが、何となく落ち着いた雰囲気を感じるのは疾走するクルマの騒音を感じないように骨伝導ヘッドセットを装着しているからでしょうか。

 最先端の特許技術が駆使された骨伝導ヘッドセットとともに、都会の散策で得られる癒しを感じます。耳だけでなく骨から脳へと伝わることは、騒音対策だけでなく、様々な羽目にも応用できます。しかし、日本橋水門の前ではただ単に癒しを味わうのが一番かもしれません。

          ⇒ 最先端・特許技術・骨伝導製品

熱川温泉を骨で聴く

2013-03-30 14:02:06 | 骨で聴く癒しの世界

 川崎市から離れ静岡県の伊豆半島にある熱川温泉へと向かいました。
 最先端の骨伝導ヘッドセットとともに桜が散る海沿いの道路を走りました。

 温泉街は大きくなく、山間部が海沿い近くまで突き出た狭地になります。この狭いエリア意に19軒の旅館やホテルがある伊豆を代表する温泉です。温泉の特徴としては源泉温度が高いことかもしれません。何とその温度は約100℃です。
 そのためか源泉井の上部からは湯気が多く出ており、遠くからでもよく目立ちます。湯煙に包まれた温泉街の光景になっているので、温泉情緒は満喫できるといえるでしょう。熱川にはその噴泉塔が10本あるという話です。

 その中の一つで、温泉街の中心部にあるのが「弁天偕楽源泉」です。にごり川沿いにあります、「お湯かけ弁財天」とともに熱川のシンボル的な存在です。

 ところで、熱川温泉といえば前回取り上げた川崎市の神社(⇒ 天照皇大神を骨で聴く)にも登場した太田道灌が関係します。
 


 開湯伝説によると、太田道灌が川底から温泉が湧いている場所で傷を癒している猿を見て、温泉を発見したというものです。

 そんな熱川温泉の湯を感じ、最先端の骨伝導機器により耳だけでなく骨から脳へと伝えることで非日常の癒しを堪能します。熱川といえばバナナワニ園も有名ですが、湯の音を骨伝導で体感するのもお勧めといえます。ただし熱川温泉にはやはり米軍採用の特許技術を駆使した「本物」の骨伝導機器があいます。

          ⇒ 最先端の骨伝導機器

 

ふなばしアンデルセン公園を骨で聴く

2013-03-10 18:17:51 | 骨で聴く癒しの世界

 シベリア鉄道からスカンジナビア半島を抜け、デンマークにたどり着いたのは、多摩美術大学で現代美術を専攻していたときでした。貧乏大学生の欧州旅行らしく、明確な目的があるわけではなく、強いていえば旅そのものが目的だったという時代でした。今では懐かしいだけの思い出ですが、首都圏でデンマークの雰囲気を持つアンデルセン公園があるというので、最先端の骨伝導機器とともに出かけました。

 アンデルセンは正式にはハンス・クリスチャン・アンデルセンで、デンマークの代表的な童話作家・詩人です。デンマークには首都のコペンハーゲンにしか滞在しませんでしたが、この都市には人魚姫の像を見に行ったことを思い出します。

 さて、千葉県船橋市にあるアンデルセン公園は、船橋市がデンマークのオーデンセ市と姉妹都市であることに由来します。オーデンセ市こそがアンデルセンの出身地です。この公園は4つのゾーンに分かれた巨大なもので、そのゾーンとはワンパク王国、メルヘンの丘、自然体験、子ども美術館に分かれていて、1日中遊べる場所といえます。

 デンマークの雰囲気が味わえるというものではありませんが、日本の公園というよりヨーロッパの公園という雰囲気はあるかもしれません。骨伝導機器を使うことにより遊びに興じる子供たちのこえが耳だけでなく骨から脳へと伝わってきます。
 アスレチックなどはかなり本格的で、樹木の間にこだまする子供の歓声が骨伝導の威力によって癒しの音声に感じられます。

 最先端の骨伝導機器とヨーロッパ的雰囲気、さらにアウトドア的な公園という組み合わせは、これからの季節には最適といえるでしょう。特に孫とともに出かけるおじいちゃん、おばあちゃんには、骨伝導機器との組み合わせでより堪能できるといえるでしょう。

          ⇒ 孫の声を聞かせてあげる骨伝導

 事業者相手の多い骨伝導事業ですが、この公園に来て大学生時代の自身を思い出すことで、身近な骨伝導活用を見直すことになりました。

亀塚を骨で聴く

2013-02-01 15:47:23 | 骨で聴く癒しの世界

 東京の聖坂を上り、弥陀三尊種子板碑最初のフランス公使宿館跡と続けて見学しましたが、その先には謎の塚が待っていました。亀塚です。

 住所表示は東京都港区三田四丁目16番20号になり、児童公園の敷地内に亀塚は存在します。
 なぜ謎の塚なのかというと、どう見ても古墳という存在の塚ですが、実は何も分かっていないというのが真相だからです。円墳状の盛り土は、古くから知られていて、その姿はまさに古墳そのものです。昭和46年に港区教育委員会と慶應義塾大学文学部との合同調査が実施されたほどです。



 結果はというと、副葬品も含めて何も見つからなかったようです。従って古墳であったとは判断できず、便宜的に古墳らしき扱いになっています。ただしこの周辺では、縄文時代の住居跡が発掘されているエリアになります。

 亀塚の名の由来としては、「更級日記」に出てくる竹芝伝説が関係しているようです。竹柴の衛士の宅地にあった酒壷の下に住んだ霊亀を、土地の人が神にまつったというものです。

 亀塚の円墳には頂上まで登ることができます。
 昭和30年代までは、この頂上から房総半島を視認することが出来たといわれていますが、現在は東側に樹木が生い茂っていて遠望は望めません。

 イメージ的に、岬の突端のような地形です。実際、武蔵野台地が海に落ち込むところだったようで、江戸時代にはこの亀塚から先は海だったようです。現在では第一京浜が走っていますが、眼下に望む場所が海だったとしても不思議ではない地形といえます。

 これは以前に骨伝導機器とともに訪れた多摩川台古墳群の亀甲山古墳と同じ立地条件といえます。

          ⇒ 多摩川台古墳群を骨で聴く

 多摩川台古墳群のときと同じように、ここでも骨伝導ヘッドセットを装着して古の音を耳だけでなく骨でも聴きます。都会の喧騒から少し離れた地で、癒しの音が聞こえる気がします。
 骨伝導の威力により、そんな時間を堪能するのも快適です。

          ⇒ 驚異のパワー炸裂! 骨伝導製品

 聖坂には、骨伝導ヘッドセットとともに散策するのに、実にマッチする場が存在し、それぞれに不思議なパワーを発しているような気がします。パワーの音を耳だけでなく骨伝導を使って「聴く」ことに大きな意味があります。

 

弥陀三尊種子板碑を骨で聴く

2013-01-25 11:15:52 | 骨で聴く癒しの世界

 高野聖が開いた古代中世の通行路といわれ、宿所もあった坂が東京の聖坂です。坂の途中には、三田中学校、クウェート大使館、阿含宗関東別院などがあり、亀塚稲荷神社もあります。この亀塚稲荷神社の狭い境内に弥陀三尊種子板碑があります。 

 中世の関東地方では特徴的な信仰として、板状の秩父青石、つまり緑泥片岩に刻まれた供養塔です。
 弥陀を表す記号(種子)を上部に刻み、頂部を山状に切りだした秩父型の板碑三基には、それぞれ「文永3年(1266年)12月」「正和2年(1313年)8月」「延文6年(1361年)」の造立年が陰刻されています。特に文永3年(1266年)の刻銘は、東京の港区に現存する板碑の中では最古といわれています。

 残念ながらこの板碑は下部を欠損していますが、いわゆる武蔵型板碑に含まれることがわかります。
 中央には蓮座の上に阿弥陀仏をあらわす梵字の「キリーク(阿弥陀仏)」、その右下には「サ(観音菩薩)」、左下には「サク(勢至菩薩)」が刻まれています。
 下部の欠損はあるものの阿弥陀三尊の種子の保存状態は悪くなく、むしろ良好といえそうです。ただそれでも種子の下下側はやはり磨耗がすすんでいます。

 この板碑はもとからここにあったわけではなく、文化11年(1814)以降は岡仁庵の抱屋敷となっていた麻布永坂町(現在の六本木5丁目)の屋敷地に所在していたものだそうです。

 慶応大学にも近いエリアで、JRでは山手線の田町駅、地下鉄では三田駅が最寄りになるとおもいますが、この周辺は閑静な場所で、騒音が激しいということはありません。そんな場所で骨伝導機器を使っての歴史ある弥陀三尊種子板碑との対面は、騒音対策や難聴対策とは関係なく、純粋に耳だけでなく骨からも音を「聴く」ことから、癒し効果が求められます。

 しかしこの感覚は米軍で採用された特許技術の骨伝導機器だからこその威力といえます。性能の差がはっきりと出てきます。

       ⇒ 特許技術の骨伝導製品はこちら

 知られざる文化財をたずね、骨伝導機器とともに出かけるのは本当に歴史に触れる気がします。おすすめです。

釜寺東遺跡を骨で聴く

2013-01-18 17:30:09 | 骨で聴く癒しの世界

 世界的な骨伝導の特許を保有するメーカー「テムコジャパン」のお膝元、杉並区方南町にある念仏山東運寺、通称「釜寺」から、道路を挟んだすぐ隣の公園へと向かいました。「方南二丁目公園」です。

 この公園の入口近くに公衆トイレがあり、すぐ脇に「釜寺東遺跡」の石標があります。説明板が立っていますが、公園内には特に展示物や、遺跡関連の設備は全く見当たりません。

 以前に縄文・弥生の大規模な集落跡である「方南峰遺跡」を取り上げたことがありますが、場所的には確かに近い位置で、「釜寺東遺跡」は東京都指定史跡に古墳時代の集落跡だそうです。

   ※ 釜寺を骨で聴く
   ※ 方南峯遺跡を骨で聴く

 調べてみると、この移籍は縄文時代後期(約2500年前)、古墳時代後期(約1400年前)の複合遺跡のようで、昭和54年(1979年)度の発掘調査で、台地上に6軒、台地下に3軒の住居址が発見されたようです。
 この場所は、一帯が善福寺川と神田川が合流する地点に近く、それによって形成された約10万平方メートルにもおよぶ舌状台地です。



 古来より「峯台地」と呼ばれた地域で、先土器時代(約25000年前)から人々が生活していたようです。二つの川の合流によってもたらされた利便な環境が、現在では遺跡として残っているのも歴史のロマンを感じさせます。

 また、この釜寺東遺跡からは、住居跡のほかに土師器と呼ばれる古墳時代の土器や首飾りに使われた玉、縄文時代後期の祭り事に使われた石棒が発見されているようです。

 米軍で採用された特許技術の骨伝導機器ですが、それを生み出したメーカーのある街に、ここまでの歴史が眠っていることが何ともうれしくなります。最先端技術を生み出す大地には、古来より環境の整った人々の住居があったのです。

   ※ 最先端特許技術の骨伝導製品


 骨伝導機器は難聴の方だけでなく、騒音対策としても確かな実績を誇っています。しかし、住宅街のひっそりとした「癒し空間」でもその価値が見出せます。ましてその特許保有メーカーのお膝元にある遺跡なら尚更です。

岩松尚純萩公園を骨で聴く

2013-01-11 12:42:56 | 骨で聴く癒しの世界

 岩松尚純は、室町時代後期の大名です。
 岩松氏は源氏の血を汲む名家といえます。それは本来の惣領である新田氏が没落し、その後、新田荘を分割相続した世良田氏も歴史から消えてしまったことで、岩松氏が新田氏の直流的な見方がされてきたことにも関係しています。

 しかし岩松氏とは、新田氏の系列というのもいかさか変わった血筋といえます。というのも、新田義重の孫娘と足利義純の間にできた子が岩松氏の始祖である岩松時兼なのです。そのため、室町時代は新田氏の系列ではなく足利一門としての格式を誇っていたほどです。

 尚純は室町時代後期に生まれましたが、この時代は複雑な情勢の真っ只中でした。関東では公方家と管領家、さらにはそれを取り巻く諸大名による騒擾の極みにある時代だったのです。

 父である明純は祖父の家純と古河公方への対応をめぐって争い、最終的に廃嫡されるに至り、その子である尚純が家純の嗣子となったという複雑な環境もありました。

 岩松氏中興の祖である家純が死去し、明応3年に尚純は岩松氏の家督を継ぐ事となりました。次に一部の家臣たちが尚純を取り込んで横瀬氏の排除を企てます。明応4年には、ついに尚純と横瀬氏が衝突することになります。

 尚純は金山城を攻めますが落とす事はできず、不利な展開となります。古河公方である足利成氏の仲介が入り、尚純側の敗北を意味する結果となりました。それにより尚純は岩松氏の家督を子の昌純に譲った上で、下野佐野に隠居させられてしまいました。

 その後は連歌に熱中したりして、ひっそりと人生を終えたといいます。

 岩松尚純萩公園は新田庄の一角にあります。周囲は畑が多く、のどかな場所です。交通量の多い国道から中に入っているせいで、周囲に疾走するクルマの音は届きません。園内には岩松尚純と、その妻である秋吟尼の墓があります。史跡公園です。

 有名な観光地ではないので人の姿も滅多に見かけることがなく、静かに歴史の雰囲気を感じ取るのには最適な公園です。静寂の世界での骨伝導の活用は、耳だけでなく骨から脳へと伝えることで、脳波をシータ波に誘いやすくできる点にあるでしょう。
 癒し効果を積極的に求めるのではなく、骨伝導の驚異的なパワーに触れながらこんな時間と空間に浸れることに価値があるといえます。

          ⇒ そんな驚異的な骨伝導パワーとは


大和市郷土民家園を骨で聴く

2012-12-02 12:38:25 | 骨で聴く癒しの世界

 江戸時代中期(18世紀半ば)に建てられた神奈川県大和市に残っていた最古の住宅と、江戸時代末期(19世紀半ば)に建てられた住宅の二つが移築され保存されているのが、大和市民家園です。

 最古の住宅は、屋根が茅葺きの寄棟造りで、棟は竹簀の子巻きです。19世紀半ばの建物も屋根は茅葺きですが、入母屋造りで、妻側の軒を高く切り上げてあります。



 この民家園は泉の森公園の敷地内にあります。
 
          ⇒ 泉の森を骨で聴く

 世田谷区の古民家は何度か訪れたことがありましたが、大和市では初めてでとても新鮮です。特に森が大きく広がる周囲に、これだけ古い民家が残されていると、何ともタイムスリップしたかのような気分さえ味わえます。

 米軍採用の特許技術を駆使した骨伝導機器によって、周囲の音、特に落ち葉が風に舞うときの音を聴き、耳だけでなく骨から脳へと伝えていくことにより、まさに癒し効果を実感します。

          ⇒ 癒しを求める方にも特許技術骨伝導

 空気が冷たさだけでなく、澄んだ爽快感まで運んできたこの頃、こんな民家園で何もしないで佇んでいることが贅沢に感じます。

馬籠宿を骨で聴く

2012-11-28 18:55:59 | 骨で聴く癒しの世界

 慶長5年(1600年)の関ケ原の合戦で勝利をおさめた徳川家康は、交通網の整備に着手し、江戸幕府が管轄する道路を定めました。さらにこの幹線道路には多くの宿駅を定めるようになりました。その一つが今回取り上げる中山道の馬籠宿です。
 かつて妻籠宿は骨伝導機器とともに訪れたことがあり、取り上げたことがあります。

          ⇒ 妻籠宿を骨で聴く

 中山道は江戸日本橋を起点とし京都まで132里(約530km)の道程で、69の宿場が設けられていました。この中山道は東海道とともに江戸と京都を結ぶ大動脈でした。東海道の126里・53宿に比べると遠回りというマイナス面がありましたが、東海道は逆に大井川の川留めもあったり、桑名一宮間の船旅で海難の危険が伴ったりして、京都から江戸に向かう姫君たちはほとんど中山道を選んでいました。
 とはいうものの、中山道も決して安全な道というわけではなく、馬籠宿と落合宿の間にある十曲峠は険しさで旅人をはばみ続けていました。

 そんな馬籠宿ですが、中山道69宿の中で木曾谷には11の宿場があり、43番目の宿場ということになります。江戸からの距離は83里(333km)余りです。



 馬籠宿を貫く街道は、山の尾根に沿った急斜面を通っています。街道の両側に石垣を築き、屋敷が立ち並んでいます。そのせいか、「坂のある宿場」が特徴となっています。

 妻後宿に比べて現在の交通の便の悪さと、坂道ということもあって、若干地味な印象を持つこともありますが、木曽の観光地としてはなかなかの賑わいです。ここが脚光を浴びだしたのは日本が高度経済成長期に入った頃からです。

 それにはやはり、馬籠が島崎藤村の生地として知られ、藤村記念館を訪れる人が飛躍的に増加するようになったことも関係しています。

 骨伝導機器を使って癒しの音声を耳だけでなく骨から脳へと伝える場所としては、馬籠宿は最適かもしれません。米軍で採用された特許技術の骨伝導製品と古の香りが残る馬籠宿との対比はおすすめです。

          ⇒ 特許技術の骨伝導製品


野底山森林公園を骨で聴く

2012-11-25 22:59:06 | 骨で聴く癒しの世界

 秋が深まり、南信州では冬を訪れるような冷気が、山から伊那谷へと吹き降ろすようになりました。風の冷たさだけでなく、東京とは明らかに異なる南信州の空気と紅葉を求め、連休の中、飯田市郊外へと向かいました。
 バイクではないので、骨伝導スピーカーVibraudioの特許技術を利用した革新的な振動ドライバーをヘッドセットに装備した骨伝導シェルショッカー(⇒ 骨伝導シェルショッカー)ではなく、骨伝導サングラス(⇒ 骨伝導サングラスGL42)とともに出かけました。

 飯田市の市街地から北方に向けてクルマを走らせ、中央高速を越え、さらに斜面を登ると、野底川流域へと達します。標高は約650m~900mの地帯になり、このエリアに赤松、スギ、ヒノキや広葉樹の混在する森林が広がります。ここ野底山森林公園です。

 鮮やかな紅葉が現れると、おそらく訪れる誰もが、自身の心が癒されることを実感することでしょう。特に紅葉の名所というわけではありませんが、それぞれの広葉樹が色づき、清流の音とともに感じる「秋」は見事なものです。おそらく冬になれば、葉を落とした木々と降り積もる雪とのコントラストが幻想的な光景になることでしょう。




 骨伝導サングラスによって、お気に入りのBGMとともに秋を堪能するのもいいいでしょうが、骨伝導きくちゃん(⇒ 骨伝導音声増幅器きくちゃん)のような集音マイクを使って、冷たい川の音を耳だけでなく骨から脳へと伝えるのも良かったかもしれません。

 この森林公園には、サル、カモシカ、リス、ムササビ、イノシシなどの哺乳類、ヒヨドリ、シジュウカラ、ホオジロ、ウグイス、オオルリ、カッコウ、ツグミなどの野鳥類も多く生息するようです。「熊 出没注意」と書かれた標識も目にしました。

 この森林公園の奥に位置する野底山池ノ平の池ではモリアオガエルの生息地として長野県の天然記念物に指定されているようです。

 森林公園では、マイナスイオンを多く浴びることのできるハイキングコースが整備され、森の心地よい空気、南信州の山林の景色を楽しんだりすることができます。

 中学校の旧校舎を移築した「姫宮林間学校」もあり、何とも懐かしい感じの古い木造校舎を目にすることもできます。また、マレットゴルフ場や老人福祉センター、子供用のアスレチック施設もあり、地域の人々のレジャーや憩いの場として利用されているのがわかります。
 観光地としてはメジャーな存在ではなく、おそらく知る人ぞ知る森林公園といえるでしょう。穴場的な場所に来れたことで、骨伝導機器とともに満喫することができました。連休期間中でも込んでいないのは、最高でした。

泉の森を骨で聴く

2012-11-19 18:03:51 | 骨で聴く癒しの世界

 神奈川県大和市にある引地川の源流は美しい水の湧き出る場所です。ここの大和水源地一帯には樹林が広がり、中央に国道246号線大和厚木バイパスが走っているとはいえ、まさに癒しのエリアといえます。泉の森とよばれ、国道246号線の北側エリア(北端は246号線の旧道)から東名高速道路までの南側エリアまで42ヘクタールの区域に渡っています。

 この癒しの森に最先端の特許技術を活かした骨伝導機器とともに訪れました。

 自然林や水源を巧みに生かした「湿性植物園」には懐かしい水車がまわり、のんびりとした「せせらぎ広場」や「野鳥観察デッキ」などもあります。
 木々に囲まれた散策道も整備されていて、日本最初の木製の斜張橋「緑のかけ橋」も目立つ存在で公園のシンボル的なものといえるでしょう。

 野鳥の声を耳だけでなく、骨伝導を使って骨から脳へと伝えることで、癒し効果は絶大になります。おそらく脳波が関係してくるのでしょうが、理屈抜きに気持ちの良い空間であることは感じるはずです。もちろん野鳥の声だけでなく、水車の音も水の流れる音も心地よいものです。
 日常の中のすぐ隣にある非日常を十分に堪能できます。

 日差しが強い日は骨伝導サングラス、バイクで向かうには骨伝導シェルショッカーを利用して訪れるのが良いでしょう。

          ⇒ 泉の森に「骨伝導サングラス」
          ⇒ バイクで行くなら「シェルショッカー」

 神奈川県大和市にこれほどの森があるとは、全く知らなかったせいか、とても感動的な体験でした。

野川公園を骨で聴く

2012-11-02 12:58:13 | 骨で聴く癒しの世界

 東京都の都立公園で、調布市、小金井市、三鷹市の三つの市にまたがる広大な緑の空間が野川公園です。野川公園は北側を東西に東八道路が横切っていて、東八道路より北側のエリアに野川が西から東に流れています。この川は野川公園の東端近くにいくと、東八道路と交差するようになっています。この緑の川で展開される癒し空間へと、骨伝導ヘッドセットとともに出かけました。

 ここは国際基督教大学(ICU)所有のゴルフ場だった場所です。特徴的なのは、かなりの面積の芝生が樹林に広がる風景と、湧き水が多く注ぐ野川の清流です。それでも公園としては、テニスコート、デイキャンプ場、バーベキュー場、わんぱく広場、アスレチック場まで備えています。

 古来より続く武蔵野の森と芝生のコントラストは、都内の公園の中でもダントツの風景といえます。実際にここに立ったときの開放感は素晴らしいものがあります。周辺の音声を骨伝導を使って聴くことで、この空間の奥行きまで感じられます。

 しかし、調べてみると、ゴルフ場時代に多量の農薬を散布していたことが原因で、開園直後は生息する生物相が貧弱であったようです。本当の自然環境に戻るのには歳月がかかったという事実は、現代生活での自然と公園のあり方を考えさせられます。

 東八道路を挟んで北側のエリアは、何といっても野川の魅力を感じます。川の北側には池が3つ規則的に並んでいます。ただしこのエリアは、フェンスで囲われています。ゲートから出入りする自然観察路となっているので、ちょっとした有料エリアに入った気分です。

 米軍で採用された最先端の特許技術を駆使した骨伝導機器ですが、こんな癒し空間の公園では、騒音対策も難聴対策も関係なくただ純粋に耳だけでなく骨からも伝わる周囲の音声を感じることで十分です。脳波をシータ波にし、癒しを助長される雰囲気が溜まりません。

          ⇒ 驚異の骨伝導特許技術パワー炸裂!

 国分寺崖線に接し、湧き水が流れ込む野川、樹木に囲まれ、起伏のある芝生広場。広々とした広場。緑の空間とのんびりとした時間の流れを感じながら、骨伝導の驚異的なパワーを感じつつ癒しの時間をおくれるのは、東京のオアシス・野川公園かもしれません。

天竜川総合学習館かわらんべを骨で聴く

2012-09-15 17:18:09 | 骨で聴く癒しの世界

 河川展示室、天竜川サイエンスラボ、河川図書室などがあり施設で、天竜川の自然と歴史を学ぶことができるのが「天竜川総合学習館かわらんべ」です。長野県の天竜峡が峡谷になる手前の場所に位置し、ここでは“天竜川の学習”、“地域コミュニティ”、“防災の拠点”という3本の柱により、飯田市と国土交通省が共同で運営を行っています。

 館内には様々な展示物や図書室、貸室可能な「総合学習室」があり、水力発電のしくみが分かる装置や天竜川全流域の立体模型、水槽コーナーなどもあります。

 うれしいのは誰でも無料で閲覧・利用できる点です。学習と遊びの場として最適で、館内から外に出て目の前の天竜川沿いを散策するのも良いといえます。
 かわらんべの正面には、「水辺の楽校いいだ」と呼ばれるビオトープが広がっていて、様々な昆虫たちに出会えうことができるほか、カワムツやドジョウ、カエルにヤゴなどがたくさんすんでいる小川で生き物探しをしたり、フナがすむ池で釣りなどをして遊ぶこともできます。

 この施設の名称「かわらんべ」とは、“カッパのような子ども”と言う意味だそうです。

 峡谷に注ぎ込む前の天竜川の流れを見ながら、骨伝導機器を装着します。癒し効果を実感できる瞬間が訪れます。米軍に採用された特許技術が活かされた骨伝導機器により、耳だけでなく骨から脳へと天竜川の音が届きます。脳波がシータ波になったのは意識の中では分かりません。

          ⇒ 最先端骨伝導機器はこちら

 かわらんべと天竜川を一望し、骨伝導の威力で快適に過ごす休日。
 それほど有名な施設ではないでしょうが、ぜひ訪れてみて欲しいところです。その際には骨伝導機器をお忘れなく。

東山貝塚公園を骨で聴く

2012-09-04 18:52:04 | 骨で聴く癒しの世界

 目黒区に貝塚公園があります。東急線の池尻大橋駅の近くで、東京三大貝塚の1つとして史跡指定されている東山貝塚跡につくられた公園です。目黒区内には、54か所の遺跡が確認されていて、この意外な事実を知る人は案外少ないかもしれません。その遺跡のなかで、縄文時代中期の遺跡が43か所と多く、東山貝塚遺跡は油面遺跡、大橋遺跡などと並んで大規模な集落であったことが発掘調査によりわかってきています。

 この遺跡の数が多いという事実は、当時の生活にとって地理的条件が適していたといえます。目黒区は、目黒川・呑川・立会川の三水系だけでなく、豊富なわき水に恵まれていたようです。また平坦な台地の上は、木の実や食用に適した動物が多く生息していたと考えられます。東山貝塚遺跡は目黒川の台地にあるせいか、まさに当時の理想的環境だったのかもしれません。

 今回は遠い歴史を感じながら、癒しを求めて骨伝導ヘッドセットとともに訪れました。



 東山貝塚遺跡は、明治時代に坪井正五郎博士を中心とした調査で有名になったものです。目黒台の台地から目黒川の斜面にかけて広がる縄文時代の人びとの生活跡です。
 公園内には、たて穴式住居が復元され、4000年から5000年前の古代人の生活場面が模造されています。公園の入口にあるせいか、都内の公園としてはかなりのインパクトがあります。

 決して大きな公園ではありません。むしろ小規模といえます。住宅街の中にあるごく普通の公園の印象さえします。それでも遺跡ということで、古を思い浮かべることができます。骨伝導を通して聞こえるのは、セミの鳴き声と、公園の真中に石組されたせせらぎの音です。骨伝導により脳波をシータ波に変化させ、暑さも忘れて癒し効果を実感できます。
 しかし使用している骨伝導機器は米軍採用の特許技術製品なので、これほどの性能がないとこの感覚は難しいかもしれません。

          ⇒ 米軍採用の技術を使った骨伝導機器

ちなみに、石組されたせせらぎは、遺跡の時代と同様に崖下から湧く湧水が流れています。

小平鍾乳洞を骨で聴く

2012-08-29 09:12:29 | 骨で聴く癒しの世界

 猛暑が続く日本列島。涼を求めて行く先で、もっとも快適なのは鍾乳洞かもしれません。いつでも一定の温度に保たれた自然の空間です。
 今回は骨伝導機器とともに群馬県みどり市の山間部にある小平鍾乳洞へと向かいました。

 東京から鉄道で行く場合は、東武桐生線「赤城駅」か、JR両毛線「桐生駅」でわたらせ渓谷鉄道で乗り換えて「大間々駅」下車、その後市内バス「小平線」の「鍾乳洞前」下車することになります。浅草からなら東武特急で1本です。
 車の場合は、関越自動車道経由か、東北自動車経由で北関東自動車道を使うのが便利です。

 規模は大きくない鍾乳洞ですが、観光地化されていて、鍾乳洞へのアプローチとなる玄関には、手打ちうどん・そばが楽しめる『狸穴亭』や、特産品や土産品等の販売コーナーとそば・うどん体験が出来る『ふれあいの館』があります。小平の里という複合観光施設になっています。そのため、この施設は、鍾乳洞だけでなく公園、キャンプ場やお風呂まであるので一日遊べるようになっています。


 
 明治7年に発見され、160文の入洞料で一般公開されていたという記録があります。しかしその後10年ほどで入り口が埋まってしまい、鍾乳洞の存在は伝説化してしまったといいます。
 それを昭和59年に入り口が発掘され、その伝説が現代に蘇ったのです。 内部には、ヘリクタイトやボックスワーク等あまり見ることの出来ない貴重な鍾乳石が見事に発達し、小規模ながら十分に堪能できます。
 そしてこの季節は寒いくらいに快適な自然冷房です。

 洞内に響く音を骨伝導で脳に伝え、癒し空間としての存在価値も見事です。

          ⇒ 難聴対策だけでない骨伝導

 骨伝導機器とともにオススメしたい鍾乳洞でした。