(1)革命カリスマ(charisma)として日本でも関心の高い革命家のチェ・ゲバラ(che guevara)が没後50年、生きていれば89才を迎えた。
暴力、反動主義的国際テロリズムがまん延している今日的世界で革命家ゲバラがどういう位置付け、役割を果たしていたのか、彼がいま生きていて革命家として活動してきたとしてどんな世界を形作っていたのか興味はある。
(2)特に世界を恐怖と専制、暴力で席捲(せっけん)しているイスラム過激派「IS」に対してどう考え、行動したのか、革命思想としても関心はある。
アルゼンチン生まれで医師として活動して、当時キューバから亡命中のフィデル・カストロと出会い共鳴して革命ゲリラとして共に闘い、59年1月にキューバを解放し革命を成立させた。
(3)キューバはその後フィデル・カストロ首相のもと米国の眼前「トゲ」としてこれまで革命政権を存続して、前オバマ米大統領のもとに国交樹立を果たした。
革命成立当時のカストロ革命政権ではゲバラは閣僚に就任したがすぐに辞任して革命ゲリラ活動に戻り、アフリカ闘争を経て再び中南米ボリビア山中のゲリラ活動で負傷してその後39才で死亡したと伝えられている。
(4)革命家ゲバラとしても一国の小国キューバの革命成立だけで使命を終えることなく、革命ゲリラ闘争を指導して世界で革命思想を実現する必要性、膨大な思想、哲学を思い描いていたのではないのか。
想像するに医師としての貧しい人民の生活、生命、権利を保障する使命、目的〔「誰もが医療や教育を受けることができる社会にしたい〕(ゲバラ語録)として世界に革命思想、運動を広めて理想世界、社会をつくるための生涯をかけた革命闘争、行動だったように思う。
(5)ゲバラがその後の革命思想で世界がどう変わっていったのかはわからないが、ゲバラが今生きていればの思い(その後50年の革命思想、活動)、興味、関心はつきない。
もうひとつ、59年1月にキューバ革命を成功させた同じ年の7月にゲバラは訪日して広島を訪れていることは近年よくとりあげられている。
当時の日本政府はキューバ革命を成功させた指導者の受け入れに寛容で度量(generous)があった。今の安倍政権であれば米国の圧力で入国を拒否することはあきらかだ。
(6)広島を訪問したゲバラは「米国にこんなひどい目に遭わされて(日本人は)怒らないのか」(ゲバラ語録)と述べている。一部の米国追随主義の日本人(国連核兵器禁止条約にも参加しない)を除いて、日本人の多くが胸に抱える慙愧(ざんき)の言葉でもある。
キューバ革命政権、革命家ゲバラが対峙する目の前の米国による唯一の戦争被爆国の日本に対して、特別の「思い」があってのキューバ革命成功直後のゲバラ訪日だったのではないのか。
(7)そういうゲバラの「思い」を勝手に察知するとして、やはりゲバラが生きていればの今日的世界に特別の「思い」が芽生えるところだ。
暴力、反動主義的国際テロリズムがまん延している今日的世界で革命家ゲバラがどういう位置付け、役割を果たしていたのか、彼がいま生きていて革命家として活動してきたとしてどんな世界を形作っていたのか興味はある。
(2)特に世界を恐怖と専制、暴力で席捲(せっけん)しているイスラム過激派「IS」に対してどう考え、行動したのか、革命思想としても関心はある。
アルゼンチン生まれで医師として活動して、当時キューバから亡命中のフィデル・カストロと出会い共鳴して革命ゲリラとして共に闘い、59年1月にキューバを解放し革命を成立させた。
(3)キューバはその後フィデル・カストロ首相のもと米国の眼前「トゲ」としてこれまで革命政権を存続して、前オバマ米大統領のもとに国交樹立を果たした。
革命成立当時のカストロ革命政権ではゲバラは閣僚に就任したがすぐに辞任して革命ゲリラ活動に戻り、アフリカ闘争を経て再び中南米ボリビア山中のゲリラ活動で負傷してその後39才で死亡したと伝えられている。
(4)革命家ゲバラとしても一国の小国キューバの革命成立だけで使命を終えることなく、革命ゲリラ闘争を指導して世界で革命思想を実現する必要性、膨大な思想、哲学を思い描いていたのではないのか。
想像するに医師としての貧しい人民の生活、生命、権利を保障する使命、目的〔「誰もが医療や教育を受けることができる社会にしたい〕(ゲバラ語録)として世界に革命思想、運動を広めて理想世界、社会をつくるための生涯をかけた革命闘争、行動だったように思う。
(5)ゲバラがその後の革命思想で世界がどう変わっていったのかはわからないが、ゲバラが今生きていればの思い(その後50年の革命思想、活動)、興味、関心はつきない。
もうひとつ、59年1月にキューバ革命を成功させた同じ年の7月にゲバラは訪日して広島を訪れていることは近年よくとりあげられている。
当時の日本政府はキューバ革命を成功させた指導者の受け入れに寛容で度量(generous)があった。今の安倍政権であれば米国の圧力で入国を拒否することはあきらかだ。
(6)広島を訪問したゲバラは「米国にこんなひどい目に遭わされて(日本人は)怒らないのか」(ゲバラ語録)と述べている。一部の米国追随主義の日本人(国連核兵器禁止条約にも参加しない)を除いて、日本人の多くが胸に抱える慙愧(ざんき)の言葉でもある。
キューバ革命政権、革命家ゲバラが対峙する目の前の米国による唯一の戦争被爆国の日本に対して、特別の「思い」があってのキューバ革命成功直後のゲバラ訪日だったのではないのか。
(7)そういうゲバラの「思い」を勝手に察知するとして、やはりゲバラが生きていればの今日的世界に特別の「思い」が芽生えるところだ。