いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

若い女性の移住急増。 increase of migration of young women

2017-10-31 19:56:01 | 日記
 (1)過疎村に移り住む20代、30代の若い女性が増えている。人口が少ないので数値は突出しているが増加率が129%(報道)のところもある。
 増加率ベストテンをみると鹿児島、沖縄県の村が並ぶが、和歌山、島根、長野、山梨県と多方面に及んでいる。

 自然環境、気候に恵まれた地域での「手の届く範囲」の「狭くて濃い」(同)人間関係が新鮮だからと伝えている。

 (2)安倍政権では女性が輝く社会を目指して、待機児童解消による女性の管理職登用を数値目標(30%)で示して喚起、推進しようとしているが、安倍政権がもうひとつ取り組まなければならない地方活性化に逆行する「都会」の話で、冒頭の急増する「過疎村」に移り住む20代、30代の女性は自己理念に燃えた自立女性の話だ。

 こうしてみると肝がすわっているのは女性の方で、やはり女性に活躍してもらわなければ社会も成り立たないということか。

 (3)今回の話は過疎村に急増する若い女性が移り住む話題の対極にある、東京一極集中だ。日本社会は政治、経済、教育、社会の中心構造がすべて東京に集積しているために人口が集中して東京一極集中化し、その対比、対極として地方疲弊、過疎化現象を生んでいる。

 (4)明治近代化前の武家時代は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は尾張、現在の名古屋周辺に生まれて成長し、本拠地として権力支配を誇示してきた。
 徳川家康が尾張(名古屋)から江戸(東京)へ拠点を移した目的、理由はわからないが、徳川武家時代から明治近代化に移る過程では鹿児島の島津藩、山口の長州藩の薩長連合に高知の坂本竜馬などが影響力、権勢を誇っていたし、天皇は京都が住まいだった。

 (5)そういう歴史の流れの中では、名古屋や西日本が日本の中心構造になっていておかしくないところであるが、徳川家康が江戸(東京)に拠点を移して徳川100年時代の間に町民文化が繁栄し定着して明治近代化移行、東京一極集中の足がかりをつくった。

 当時の「江戸」にそれなりの魅力、地政学的優位性(priority)、利点があったということだ。つまり東京一極集中型はなるべくしてなった社会構造現象ともいえる。

 (6)圧倒的な名古屋、西日本優位性、権力構造の歴史現象から「東京」に中心構造が移った経緯をみれば、東京一極集中と地方活性化は「別もの」として考えなければ解決しない根源的な問題があるのではないかともいえる。

 そういう意味でも冒頭の若い女性の自己理念、理想の過疎村への移住急増(increase of migration of young women)は、ひょっとして名古屋、西日本優位性から東京へ中心構造が移ったダイナミズム(dynamism)の再来のキッカケとなるかもしれない。

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