いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

検察改革の3年。 innovation of public prosecutor in the three years

2014-06-19 20:10:52 | 日記
 (1)大阪地検特捜部が11年に郵便料金制度不正利用事件で証拠をでっち上げて検察に有利な裁判進行を策謀して検察の信頼を自ら崩壊させてから3年、検察改革(innovation of public prosecutor in the three years)はどうなっているのか、取り調べ段階での可視化(visualization)論議は時折目にはしていたが全面的に取り組むという積極的なものとはいえなかった。

 (2)今回、全面的な可視化を提唱していた最高検がその後の検察取り調べ可視化の実施状況を公表した。
 裁判員裁判では13年度には可視化98.6%と高く、そのうち全面(全過程)可視化は75.4%となった。東京地検特捜部の独自事件では、13年度はすべての取り調べで可視化を実施し全面可視化は80%で実施された。

 (3)検察取り調べの全面可視化が望まれる中で一定の改革方向性は見えてきたが、まだ不十分なものといえる。
 公開が原則でない取り調べなので、事件の特殊性など考慮せずに反省を踏まえて公正、公平な取り調べを維持、推進、資料化するために全面可視化は絶対条件だ。

 また成果第一主義での検察セクト主義(sectionalism)の弊害について高検検事長が検察取り調べを指揮し、別の部署の検事が審査する制度も実施されている。

 (4)可視化については、実施するだけでは不十分だ。地に墜ちた検察の信頼を回復するためには、取り調べ可視化を評価(estimation)、検証(verification)することも必要だ。

 取り調べなので内容を公表、公開はできないが、有識者、国民代表で構成する第三者委員会が適宜抽出して取り調べ可視化を評価、検証して検察にフィードバックする制度も必要だ。
 評価、検証は表現の方法はあるが、国民にも公表されなければならない。国民関心のもとで何としても証拠でっち上げ、捜査誤認による冤罪は防がなければならない。

 (5)検察のセクト主義排除にあたって、高検検事長が指揮し別の部署の検事が審査する制度(報道)も検察改革で実施されているが、結局は「身内」の評価、監督であり公正、公平性、説得性には欠ける。

 STAP細胞疑惑不正問題で同研究ユニットリーダーが所属する理研が直接調査(委員会)して、問題解明の核心に切り込めない(切り込まない)実態と同じ構図だ。

 (6)身内同士のかかわりでは検察セクト主義の排除にはつながらない。そもそも犯罪捜査で成果主義が問題にされることが問題だ。治安、安全社会の実現に犯罪検挙率の高さは目安となるが、それはある部署、部門の問題ではなくて司法全体の抱える問題だ。

 検察の効率的な犯罪捜査の組織化は必要だが、それこそ最高検が統率、統制して司法対応は一組織の問題ではなく最後は検察全体の問題として整備し、整合性を持たせてセクト主義を排除すべきだ。

 (7)社会正義のパラダイム(paradigm)となるべき司法、検査が自立性、自主性、独立性を持たせられない社会というのも奇妙だが、密室性、排他性が生んだそれが今の日本の司法の問題実態だ。

 検察改革に真剣に取り組んで国民に信頼される、評価される、目に見える司法、検察に再生されなければ国民も安心ではない。
 

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