いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

河野談話の継承と見直し。 succession & correction of D.C.S conversation

2014-03-24 19:49:38 | 日記
 (1)戦争状態の中で何が起きて、行われたかなどはっきりしたことなど当事者以外はわからない。戦争行為そのものが無責任で非常識な論理にもとづくものだからだ。
 国、地域同士が関与して人が人を殺害しておいて、それに誰もが法的責任も問われずにわずかに勝者の論理(logic of winner)で敗者の国、責任が強制処分される不条理(unreasonableness)な世界だ。

 戦争責任は、意図的に自己利益(自己防衛という名目であっても)のために他国を侵略して現地住民に被害、損益を与えた事実、形跡(状況証拠)で十分問われるべきものだ。
 そこに勝者の論理を持ってきても戦争の客観的な正当性など立証しようもなく、ただ不条理な「力」の論理が働いているだけだ。

 (2)旧日本軍によるアジア侵略戦争、植民地支配についても、後世の時代には主観的な諸説(経済制裁による国際的包囲網の中で、日本の針路、死活問題打開のために進攻したなど)が入り乱れて自己主張をくり返しているが、今となっては戦争の中身など客観的に実証しようもなく、理由の如何(いかん)にかかわらずに「侵略」、「植民地支配」の事実に対する国家的責任こそが問われるべき唯一のものだ。

 日本はアジア侵略、植民地支配が引き金となった第2次世界大戦の敗戦により、米国はじめとする連合国側の勝者の論理で裁かれて、戦後敗戦処理の政治的責任はとらされた(ポツダム宣言・サンフランシスコ講和条約)。

 (3)日本の軍事政権の責任者、戦争主導者はA級戦犯として連合国側の東京軍事裁判で裁かれた。第2次世界大戦の敗戦国としての政治的責任はとらされたが、戦前の旧日本軍によるアジア侵略、植民地支配の責任は主観的な見方、諸説の中であいまいにされたまま、村山内閣になってはじめて当時の河野官房長官(the director of cabinet secretariat)談話で旧日本軍による従軍慰安婦の強制連行責任を認めて、アジア植民地支配の歴史認識に政府としてけじめをつけた。

 (4)日本政府としては、「河野談話」にアジア女性基金設立による元従軍慰安婦への「賠償責任事業」で一定の戦争責任は終えたとの認識だが、韓国は昨年の朴クネ大統領就任により今またこの問題(歴史認識)で日本の謝罪と責任を強く求める外交姿勢を取り続けている。

 安倍首相は独自の戦争観で右傾化を強めて、当初は河野談話の見直し、検討も示唆していた。今さら戦争中の無責任で非常識がまかり通った無法状態の中での客観的な事実など掘り起こしようもなく、主観的な思惑から都合よく解釈するだけの見直し(correction)が正当性、妥当性を持つはずもない。

 (5)結局は、日韓関係悪化を受けて安倍首相は河野談話の継承を表明した。しかし、安倍首相側近の政府関係者からは「新たな事実が出てくれば、それにもとづき新たな政治談話を出すことはおかしなことではない」との声も聞かれる。

 仮に理由の如何によらずとも旧日本軍によるアジア侵略、植民地支配は厳然とした「歴史的事実」であるが、その支配中、戦争中に起きた事象については当時の当事者比較など出来ようもなく客観的な証拠、実証など今更掘り起こすことなど出来ないし、必要もないことだ。

 (6)上述の側近政府関係者の話は当然の普遍的な論理考証を述べたもので、それ自体は「おかしなこと」ではないが、あえて主張することでもなく安倍首相が河野談話を継承(succession)すると述べている以上、側近政府関係者の発言はその領域を超えて余計なせん索を与えるだけの「おかしなこと」になる。あってはならないことだ。

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