いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

人間堕落。 mortality corruption

2014-03-18 19:44:34 | 日記
 (1)STAP細胞作製疑問問題は同論文2本の内容の「重大な過誤」、不適切性が指摘されて、いよいよ同研究リーダーの小保方晴子さんが所属する理研による「細胞作製」そのものの「真偽」について独自調査が開始(1年間)されることになった。

 問題となった論文の画像の加工、切り貼りについて、小保方さんはさして問題意識を持っていなかったとされて、これはネット世代にどっぷりつかった「軽さ」、「手軽さ」だと書いたが、同じ概念の中にあるやるせない「軽さ」、「手軽さ」の世代観を目にしてまた驚かされた。

 (2)シングルマザーの2才と8か月の兄弟がネット上のベビーシッターサイトを介して預けられて「メールで連絡を取り合い」(報道)、引き渡し駅で「男に頼まれて迎えに来た別人」(同)に兄弟を預ける。
 母親はサイトのベビーシッターの「名字だけを知り、預かり場所や詳しい連絡先を知らなかった」(同)という。

 まるで子どもは「モノ」扱いでネット利用の軽さ、手軽さに愕然とするばかりだ。預けられた兄弟はベビーシッターのマンション部屋内で兄(2才)が「体に複数のあざ」(同)で死亡しており、弟(8か月)は無事保護され当のベビーシッターが逮捕された奇怪な事件となった。

 (3)事件を受けて、物分かりのいい保育団体関係者は「預ける場所がなく切羽詰まってしまう親は多い」(同)と説明するが、それがネットサイトを軽く、手軽に利用して、相手の名前も連絡先もよくわからないところに子どもを預けるなどという親の軽さ、希薄観に倫理観、責任感、警戒感欠如を少しも弁護することにはならない。

 韓国歴史ドラマの「トンイ」では王の側室トンイの子どもが世子(せじゃ。王の世継ぎ)の母親から命を狙われて、送った刺客にあわやの場面で母親のトンイが駆けつけて子どもに覆いかぶさって身代りに切られる印象的なシーンがあったが、これはドラマでのこと、記録的な大雪の北海道では大雪のため動けなくなった車から降りて歩いて帰る父と娘が、途中力尽きて倒れたが父は娘を抱えて覆いかぶさり体温で温めて守り、翌日発見された時には父は凍死し、しかし父に守られた娘は一命を取りとめたのは現実の世界の親子のかけがいのない絆だ。

 (4)世間を熱くした現実の世界観を、冒頭の母親は知らないことだったのだろうか。
 ネットサイトによるベビーシッター(資格や届け出義務はない)利用の無法、無秩序、無軌道、危険を放置する国の姿勢、対応に問題はもちろんあるが、これを安易に無警戒に利用する親の不見識な「軽さ」、「手軽さ」こそが問題だ。

 STAP細胞作製疑問問題とベビーシッターサイト子ども死亡事件の「根」はネット世代にどっぷりつかった「軽さ」、「手軽さ」で共通する不条理性(unreasonableness)にある。

 (5)情報化時代、社会の中で機能性、便利さだけに目をとられて切り貼りして自己優位満足にひたり、無機質に善悪を単純に割り切り、人間としての感情、思慮、洞察、読み、情け、つながりの幅広い心的臨機応変性を顧(かえり)みない堕落(corruption)の結果だ。

 

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