いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

裁判所の自己批判。 self criticism by a law court

2014-03-28 19:42:08 | 日記
 (1)人が人を裁く不条理(unreasonableness)の世界の裁判でも、あまりに非条理(reasonless)が放置されてきたという死刑因袴田事件の再審決定だった。
 「最重要証拠は『ねつ造』の疑い」、「これ以上拘置するのは耐え難いほど『正義』に反する」(再審決定判決文)と34年前の最高裁の死刑判決(80年確定)を裁判所がこれ以上ない言葉で「自己批判(self criticism)」する厳しいものとなった。

 袴田事件は死刑因が判決確定後半世紀近く拘置され続けて、再審が争われている事件としてよく知られていたが、今回最重要証拠として元被告のものとされた5点の衣類が事件直後の捜査段階では出ずに「1年以上経過して」(再審決定判決文)発見されたことや、その「ズボン」を高裁で当時被告に実際に履(は)かせてみる実験が行われた(公開写真では本人の腰回り下でズボンが吊って、とても履けないシロモノ)というこれが焼け跡から専務一家4人が他殺体で発見された重要事件の被告の裁判なのかと疑うばかりの稚拙な公判内容だったのには驚いた。

 (2)元被告は捜査段階では自供したとされたが、公判では無罪を主張(報道)していた。半世紀前の捜査、裁判では自白尊重主義に当時のまだ稚拙なDNA鑑定結果(被害者血液付着)による元被告の死刑判決だった。

 それも事件から「1年以上も経過して」の元被告のものとして発見された衣類5点が最重要証拠とされたものだ。仮にその後の公判で元被告が証拠のズボンを履けるか、履けないかの非科学的な裁判が一家4人殺害容疑の重大事件の決め手のひとつにしようという幼稚さは免(まぬが)れないし、その後の元被告の体形の変化で履けることもあれば履けないこともある不確実性のあるものが実験として争われた、どうでもいい話である。

 (3)検察側が捜査で知り得た、取得したすべての証拠の開示(不利益になるものを不開示することもある)を求めることが出来るようになった裁判制度の進展が再審請求に結び付く要因でもある専門的なことはさて置いて、半世紀近くも死刑確定者が再審請求、裁判で拘置され続ける「異常性(abnormalism)」こそが問題だ。

 再審請求が続けられることも要因だが、それだけ最高裁判決にも核心的な証拠がないという裏返しでもあり、結果としての半世紀近くたってからの裁判所の「自己批判」による死刑因の「耐え難いほど『正義』に反する」代価としてのこの例では初めての「釈放」という事態だ。裁判審理は振り出しに戻った。

 (4)人が人を裁く不条理の裁判の器の限界を示すもので、それでも社会正義としてのパラダイム(paradigm)維持のために不条理な司法、裁判が必要とされる以上、死刑廃止は前提とされるものだ。
 生きて一生拘置されて罪を償うことも考え方によっては極めて重いものだ。

 今回と極めてよく似た構図(証拠提出の長い遅れ、鑑定結果の精度、死刑確定、半世紀近い拘置)の名張毒ぶどう酒事件のこれからの再審請求に与える影響も注目される。

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