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ワタクシ的「ビデオポーカー」の変遷(5) sigma、ネバダのゲーミング市場に参入

2017年03月12日 20時34分17秒 | 歴史
■前回までのあらすじ
sigma社は、「ウィリアム・サイ・レッド(William "Si" Redd)」の「A1 Supply社」と提携し、1978年、日本初となるビデオポーカー機「TV・POKER」を自社ロケに設置した。そのゲーム内容は、A1 Supply社に糾合されたゲーム機メーカーが1970年頃(ある資料では1967年)に商品化した、リアプロジェクターを使用したビデオポーカー機とほぼ同じものだった。

sigmaのTV・POKERは白黒画面で解像度も低かったが、ビデオゲームの技術はカラー化、高解像度化など急速に発達し、1980年頃にはsigma以外にビデオポーカーを製造するメーカーが日本にも現れた。

1980年、横浜のゲーム機メーカー、ボナンザ・エンタープライゼス社が開発したビデオポーカー機「GOLDEN POKER」は、その後飲食店などで違法なゲーム機賭博に使用され、大きな社会問題となったため、1984年、ビデオゲーム機による遊技業を風俗営業として警察の監督管理下に置くよう風俗営業取締法が改正され、同法の名称は「風俗営業適正化法」となった。


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本来オペレーターであるsigmaは、ゲームセンターが風俗営業となることにより終夜営業ができなくなったので、当然その業績にも影響を受けたことでしょう。しかしsigmaは、1970年代の早い時期から、自身が理想とするメダルゲーム場を作り上げるために、自らもメダルゲーム機を開発するメーカーでもありました。

とは言うものの、シグマが開発するのはメカ機構を伴う大型ゲームばかりで、オリジナルのビデオメダルゲームを発売するのは、ワタシの認識では1983年に発売する「SUPER 8 WAYS」からでした。


SUPER 8 WAYS。9つの窓はそれぞれ独立したリールになっており、従来の5ラインに加え、縦の3列が、従来のスロットマシンにはないペイラインとなっている。

sigmaはそれ以前からも、バーリーのリールマシンを電子ゲーム化(ビデオ化)した「TV-SLOT 5Line(1980)」、「TV-SLOT CONTI(1980)」、「TV-SLOT SPACON(1980)」などのビデオメダルゲーム機を発売していますが、ワタシはこれらは全部サイのSIRCOMA、あるいはIGT製だと思っていました。


TV-SLOTシリーズ。左より5Lines、CONTI、SPACON。いずれもバーリーのメカリールをビデオ化したもの。

ところが、今回の記事を書くためにいろいろ調べていたところ、ワタシのこの認識を怪しまざるを得ない事実を発見してしまいました。

SUPER 8 WAYSを発売する1983年、sigmaは、米国ネバダ州政府より、国外企業として初めて、ゲーミング機製造業者としてのライセンスを取得します。これについて業界紙「ゲームマシン」83年12月15日号が報じるところによれば、「シグマでは同社製『ミルズポーカー』などを同州で採用されるようメーカーとして申請していた」とあり、最後に「なお同社はネバダ州への製品は製造するだけで、それらは同州内のミルズノベリティ社がディストリビュートすることになっている」と結んでいます。この「ミルズポーカー」は、一見したところ、1980年頃にSIRCOMAが発売した「ドローポーカー」にそっくりです。


ミルズポーカー(左)とIGTのビデオポーカー(製造年不明・右)。カードのデザインや字体は殆ど同じに見える。

ワタシは、2003年にラスベガスを訪れた際に、サーカスサーカスの別館のようなカジノ「Slots a Fun」で、sigma製のビデオポーカーを発見して写真に収めていましたが、この機械のアドバタイズ画面では、「(C)1983 SIGMA ENTER. INC.」と表示されていました。


ラスベガスに設置されていたsigma製のビデオポーカー。胴部の看板が設置するカジノ用にカスタマイズされており、「Mills」の文字は無かった。

ネバダのメーカーライセンスは、今日申請して1か月後には承認されるというようなものではありません。申請してから当局による調査に長い期間を要し、多大な費用もかかると聞いています。という事は、sigmaはSUPER 8 WAYS以前から自分たちでビデオのメダル機を開発していたと考えられ、これはひょっとすると、ワタシがSIRCOMA製だと思っていたTV-SLOTシリーズやTV-POKERも、実はsigmaが作っていたという可能性も考えられそうです。

残念ながら、今のワタシはこの辺の謎を解明できる資料を持っていません。拙ブログの前々回(関連記事:ワタクシ的「ビデオポーカー」の変遷(3))で、SIRCOMAとsigma両社のロゴが入った筐体について、雑誌記者がサイに質問したところはぐらかされたと言及しましたが、もしかしたら両社の間には蜜月だけではない微妙な何かが発生していたのかもしれません。サイも真鍋も物故してしまった今、この辺りを知ることは難しそうですが、これからも細かい情報を集めてなんとか自分なりの答えを見つけたいと思います。


なお、若干余談ですが、ある資料によれば、実は「SUPER 8 WAYS」もミルズ・ノベリティが売り出そうとしていたとのことです。しかし、ワタシは少なくともネバダでは、この機種を見たことはありません。

(あと1回つづく・・・ かも?)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Super 8 Ways (doubledown)
2018-03-09 01:42:36
懐かしく読ませていただきました。8ウェイズですが、ネバダに申請して1-2年程度は少数ですが稼働していたはずです。8ウェイズの申請はsigmaで行なわれた記憶しております。
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Super 8 Ways (nazox2016)
2018-03-09 22:39:03
doubledownさん、コメントをいただきありがとうございます。8ウェイズがネバダで稼働していたとは存じませんでした。ワタシが初めてラスベガスに行ったのは1991年でしたので、時すでに遅しだったのかもしれませんね。

ワタシは、かつて新宿のさくら通りにあった「ゲームファンタジア・さくら通り店」で、8ウェイズの「モデルB・標準タイプ(文中写真の真ん中の機種)」を遊んでいたところ777が揃い、さらにその2ゲームだったか3ゲームのちに再び777が揃ったことがありました。そんなわけでこれは自分のラッキーマシンと決めていたので、ラスベガスで見つけたらきっとやっていただろうにと思うとなおさら残念です。

今後も、コインマシンに関する古いエピソードを思い出されましたらぜひお聞かせください。よろしくお願いいたします。
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