オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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大阪レゲエ紀行(7・最終回)) DAY 2・その2:大阪駅前第2ビルB1「ZERO」

2019年04月14日 17時55分43秒 | ロケーション
昨夜、ktさんのオフィスで、「明日は新世界にいくつかあるらしい『ザリガニ』に行こうと思っている」と言ったところ、その場の皆さんから口をそろえて「それならむしろZEROに行っておくべきだ」とのアドバイスをいただいた。「ちょっと地理がわかりづらい」という懸念も挙がったが、「ZEROの『ウルトラガン』は必見だ」という」意見が多く発せられた。というわけで、この旅の最後はZEROを目指すことにした。

◆【ウルトラガン】
前回の記事で述べた経緯で大阪駅前第2ビルの中に入ると不思議な感覚に襲われた。あれ? ここは以前に一度来たことがあるのではないか? このチケット屋は、その時現地の知人の案内で帰りの新幹線の切符を買ったところではないか? そのついでで明石焼きを食べたのはこの店ではなかったか? 言われてみれば2000年前後ころに一度、一人で大阪に日帰りで来ていたことを急に思い出した。しかし、断片的な記憶がわずかに残るだけで、そもそもどういう用件でのことだったかすら思い出せない。狐か狸に化かされている気分で「ZERO」の前にたどり着くと、通路側に面するように設置されている何台かの古いエレメカ機が目に入った。その中に、話題となっていた「ウルトラガン」もあった。


ウルトラガンの筐体全体。60年代までは、この種のガンゲームはピンボールと並ぶ当時のゲーセンの定番だった。


(1)ウルトラガン筐体の上部。見えにくいが、ビルボードの右下には「ウルトラマン ウルトラQ (C)円谷特技プロダクション」と著作権表示がちゃんとある。この頃はまだそういう意識は高くはなかったはずなので、意外にさえ思える。 (2)筐体に据え付けられているガン。このガンは他のガンゲームにも流用されていたように思う。 (3)ウィンドウ内の様子。 ランプによるタマ数や、「まと1つ10点」などの表示は同じメーカー製(たぶん)の他のガンゲームでも使われていたのでよく覚えている。ひたすら懐かしい。 (4)プレイフィールドのアップ。ゲームが始まると、最前列の的は右から左へと移動するが、それ以外の的は固定されている。的中した的は後ろにパタンと倒れる。

ワタシは、「ウルトラガン」のメーカーと製造年を特定できていない。「ウルトラマン」の続編「ウルトラセブン」の放映が始まったのが1967年の後半のことなので、このゲーム機が作られたのはおそらくそれよりも早い時期である1966年から1967年前半にかけてのことであろうと推測される。ワタシも「ウルトラガン」を過去に見ているし遊んだ記憶もあるのだが、それがいつ頃だったかを特定できる記憶がない。もしかすると大阪駅前第2ビルは魔界で、ここにかかわる記憶は混乱させられる宿命にあるのかもしれない。

「ウルトラガン」のメーカーは「関西精機」、製造時期は1960年代半ばまで判明。(2021年1月21日追加)

◆【ホームランゲーム】
これもメーカーと製造年が特定できていないが、ウルトラガンの並びにあった「ホームランゲーム」は、ワタシにとっては「ウルトラガン」に匹敵するほど懐かしいゲーム機だ。

「ホームランゲーム」のメーカーは「日本展望娯楽機」であることが判明。販売時期は1969年以前。(2021年1月21日追加)


「ホームランゲーム」の筐体。野球をテーマとしたパチンコタイプのゲーム機。


(1)「ホームランゲーム」のビルボード部分。 (2)盤面と、ランプでランナーの位置を表示するダイヤモンド。 (3)後から作られた、手作り感満点のメダル払い出し口。

現在、東横線学芸大学駅西口の目の前にある不動産屋はかつて玩具店だった。1970年前後頃、その玩具店の店頭にこの「ホームランゲーム」が設置されており、ワタシはそこでしばしば遊んだものだった。当時のゲーム料金は1回10円で、全部で10球を打ち出し、7点以上を獲得すると1回だけリプレイができた。「ZERO」では、1ゲームの料金は100円で、7点以上獲得のリワードは、リプレイではなく、メダルが払い出される仕様に改造されていた。もともとメダルの払い出しなど想定していない筐体なので、後から筐体の下端に穴をあけてメダルの払い出し口としていた。

◆【アレンジボール】
アレンジボール(さとみ(現サミー)、1970年代中ころ)もあった(関連記事:【シリーズ絶滅種】アレンジボールを記憶に留めておこう)。アレンジボールは、もともとは風俗第7号営業(要はパチンコ店のこと。今は第4号営業に変わっている)向けに開発されたゲーム機だが、ゲームセンターやシングルロケ用に転用されるケースも多かった。この機械もそういうもののひとつだったようで、筐体にはセガの銘板が付いている。


アレンジボールの筐体。スタンド部分のデザインは後付けで施されたものと思われる。コイン投入口はさらにその後に後付けされたものと思われる。
 

コイン投入口が新たに設置されたため塞がれた本来のコイン投入口。「SEGA INC」の銘板が貼られている。

ゲーム機業界のトップ同士は、70年代か、ひょっとすると60年代までさかのぼって、その関係に良し悪しいずれもあるにせよ、何らかのつながりがあるケースが非常に多い。現在、セガはサミーに吸収されて同じグループになっているが、この2社はアレンジボールの時代に既に付き合いがあったことが窺われる。

◆【バッティングゲーム】
ワタシが小学生のころ、商業施設の屋上などで何度か遊んだことがある「バッティングゲーム日本自動販売機、発売時期不明=2021年1月21日追加)」もあった。硬貨を投入すると、上部のレールからスーパーボールが数秒おきに転がり落ちて来るので、これをノブを回してフィギュアで打ち返し、緑色のフェンスの向こうに入れればホームランとして1点が加算される。ゲームは1分間の時間制で、全部でだいたい15球前後のボールが出てくる。


(1)「バッティングゲーム」の筐体。ビルボードというものは無い。 (2)筐体を斜め方向から見たところ。前面に突き出るノブを回すと、バッターのフィギュアが回転する。 (3)ボールが出てくるレール。 (4)バッターフィギュアを回したところ。客待ち中でも特にロックがかけられるわけでもなく、回すだけならいくらでも回せる。 

レールから落下するボールをバットでとらえるのは案外難しく、ワタシはこのゲームで1点たりとも取れたためしがない。それどころか、そもそもバットをボールに当てることすら満足にできなかった。そうすると「こんなはずではない」という思うものだから、機会があれば再チャレンジするのだが、やっぱり空振りばかりして終わるのが常だったので、その悔しさは怨念となって今も残っていた。

そのような因縁深いオールドゲームに今この時代に出会えるとは全く奇跡的なことであるので、ここで会ったが百年目盲亀の浮木優曇華の花といきり立って遊んだところ、なんと2点も取ることができた。それ以外にも、ジャストミートしすぎて打ったボールが跳ねて手前に戻ってしまい、得点にならなかったこともあった。これにより、50年近く現世を彷徨っていた我が怨霊はようやく成仏することができた。もしかすると、今回の旅はこのために神が仕向けたのではないかと思えてきた。

これらの他にも、前述「ホームランゲーム」とよく似た「バッティング(前述のバッティングゲームとは別物・メーカー不明)」というゲームや「国盗り合戦(1980, レジャック/コナミ)」、「タッチアクション(こまや, 製造年不明)」、「ジャンピングラリー(こまや, 製造年不明)」などの写真をいろいろな角度から撮影したりお布施のつもりで遊ぶなどして過ごしていたら、案外長い時間が経ってしまった。

【その他】
「ZERO」の店頭に据え付けてある飲料の自販機は、赤まむしドリンクや缶コーヒーが50円、三ツ矢サイダーやバヤリースでも60円と格安だった。うらやましい。


「ZERO」店頭の飲料自販機。ウチの近くや職場にもこんなものがあってほしいものだ。

また、UFOキャッチャーには芸術家、岡本太郎のアートのミニチュアが景品として入っていた。ワタシは太陽の塔が欲しくて何度もチャレンジしてみたが、結局獲ることはできなかった。


ZEROにあった、岡本太郎コレクションのUFOキャッチャー。掴むのはまず無理だから、何度か転がして獲ることになると思うのだが、カプセルはうまい具合に転がってくれない。かなりの額をお布施してしまった。

大阪駅前第二ビルの地下1階には、「ZERO」の他に「2B1」というゲーセンがあると聞いていたのでこちらも覗いてみたが、「ZERO」ほど興味をそそられる機械は無かった。どおりで昨夜の話の中でも推す声が出なかったはずだ。それでもまだ新大阪に向かうまでにはいくらか時間はあったので、一応お布施のつもりで「上海III」に100円硬貨を投入した。

アーケードの「上海」には多くのバージョンが存在するが、サン電子の「上海III」はその中で最も出来が良いとワタシは思っている。しかしここの機械は持ち時間の設定が辛くなっているようで、1回目はタイムオーバーとなってしまった。悔しいので連コしたら、今度は1面で手詰まりとなってしまい、悔しさは倍増した。こんなことを何度か繰り返して、必要以上にお布施を出してしまった。しかも最後となったゲームは絶好調でなかなか終わらず、そろそろ新大阪に向かわなければならない時刻が迫ってきたのでやむなくいい加減なゲームをして半ば無理やり終わらせなければならなかった。

新大阪に到着したのは5時40分頃。今や大阪土産の定番となっているらしい「蓬莱551」の豚まんを買おうと店を探したところ、フードコートのようなところでめまいがしそうなほどの長蛇の列ができている。そう言えば新大阪駅構内には他にも売店があると聞いていたので、案内板などを頼りに探したら、新幹線の乗り口に近いところにチルド専門店というものがあった。こちらも結構な行列ができてはいたが、さっきほど絶望的な感じはしない。結局10分ほど並んで無事買うことができた。

後は新幹線に乗って東京へ。切符は東京駅からの往復で買ってはいたが、品川で途中下車して、山手線に乗り換えて目黒まで行き、そこからバスで自宅に到着したのが11時前ころ。明日からはまた普通の一週間が始まってしまうと思うと気が重いけれども、今回の旅は、たくさんのオールドゲームに触れただけでなく、多くの方々とご縁ができたのも大変有意義なことだった。

現地でお会いした皆さん、その節はたいへんお世話になりました。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。大阪へはいずれまた機会を作って訪れたいと思います。また、皆さんも東京にいらっしゃることがありましたらぜひお声をおかけください。どうもありがとうございました。

(大阪レゲエ紀行シリーズ おわり)

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2 コメント

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Unknown (tom)
2019-04-14 21:20:47
アレンジボール筐体の「型(笑)硬貨返却ボタン」がイイ風合いを出していますね。

「ZERO」のゲーム機達は所轄旭日章様のご意見ご要望により、景品チャンス=リプレイに改造されていたよう認識していましたが、メダルが出るようになったのですね!またお布施に行かなければ…

楽しい時間は過ぎるには早いですよね。
長編に渡り大阪レゲエ紀行楽しませて頂きました。次の記事も楽しみにお待ちしております。

Unknown (nazox2016)
2019-04-15 22:44:33
「旭日章」という言い方もあるのですね。知りませんでしたが、何を意味するのかは見当が付きますw

現金とメダルの併用というのもどうかと思うのですが、この辺は所轄の旭日章の判断によることもあるので、まあ、いいのでしょう。

最近は、ちょっと風適法の話もしておきたいと思い始めています。もしご高覧いただけましたら、
ご意見などいただければありがたく存じます。

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