オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(2) 4つの「Service Games」

2020年04月05日 13時53分04秒 | 歴史
【はじめにお断り】
今更ですが、今回のシリーズ記事の内容の多くの部分は、ワタシがこれまでに見つけた資料類の受け売りです。また、そこから得たワタシの理解には必ずしも正確とは言えない点も多々あると思われますので、記述内容は確定情報としてではなく、諸説あるうちの一つ程度とご認識いただければ幸いです。


----------- これより今回の記事 -----------

日本に「サービスゲームズ(Service Games)」ができたのは1953年ころ(諸説あり)です。

しかし、ブロムリーとその父アービン・ブロンバーグ(Irvin Bromburg)は、それ以前の1945年ハワイ(ホノルル)に同名の会社を興しています。ブロンバーグ親子は、さらに1953年には中米パナマに、1957年にはネバダ(ラスベガス)にも「サービスゲームズ」を作っています。

このうちパナマのサービスゲームズは、1956年ころ(具体的な年は不詳)に、「クラブ・スペシャルティ・オーバーシーズ(Club Specialty Overseas)」と名を変えて、世界のサービスゲームズ社(と、他のブロムリー・シンジケートに属する会社)のヘッドクォーター、総本部となります。

今回は、ハワイ、パナマ、日本、ネバダの4つの「サービスゲームズ」について調べたことを記録しておきます。

■プレサービスゲーム時代(1940以前)
ブロムリーの父、アービン・ブロンバーグ(Irvin Bromburg)は、ブルックリンで自動車関連の会社を経営した後、「アービン・ブロンバーグ・カンパニー」と言う自動販売機をディストリビュートする会社を立ち上げました。その時、ある人物からの勧めでピンボール機(ビンゴ・ピンボール機だったらしい)を友人の店の店頭に設置させてもらったところ、当時の大手ペニーアーケードオペレーターの一人だった「ビル・ショーク」と言う人物の目に留まり、取引が始まりました。これをきっかけにアービンはバーリー(関連記事:米国「Bally(バーリー)」社に関する思い付き話(2))のピンボール機のディストリビューターとなって、その後東海岸で業容を拡大して大手となっていきます。

1933年、ブロンバーグはロサンゼルスに移転(その理由は不詳)して、西海岸での最初のバーリーのディストリビューターとなりました。この時、東海岸側の会社は売却したそうですが、関係は維持しており、それによりアービンは米国の東西にまたがるピンボールの広域ディストリビューターとなりました。

■サービスゲームズ・ハワイ(1945-1961?)
1940年、アービンはハワイに移り、息子のマーティとともに民間にゲーム機をディストリビュートする「スタンダード・ゲームズ」と言う新たな会社を立ち上げました。このマーティが後の「マーチン(マーティ)・ブロムリー」で、彼自身も学生時代から既にコインマシンのオペレーションに手を染めていたそうです。そして1945年、親子は「スタンダード・ゲームズ」を売却して、米軍施設を相手とする「サービスゲームズ」を設立しました。これが後に「ブロムリー帝国」とまで呼ばれるシンジケート形成の第一歩です。

■サービスゲームズ・パナマ(1953-1961)
ブロムリーが1953年にパナマに作った「サービスゲームズ」は、1956年に「クラブ・スペシャルティ・オーバーシーズ(Club Specialty Overseas)」に社名を変更しています。ここは、ブロムリーシンジケートの財務管理や、製品の国際的な流通やオペレーションの仲介をする、ヘッドクォーターとして機能していたそうです。


「Club Specialty」の名が入った「セガ・ベル」のフライヤー。頒布の時期や対象は不明だが、米国Mills社のハイトップ筐体のコピーであるところから1950年代のものと思われる。さらに言うと、この社名が「クラブ・スペシャルティ・オーバーシーズ」と同一だとすれば、1956年以降のものと思われる。

パナマと言えば、数年前に日本人を含む世界のお金持ちや企業、あるいはマネーロンダリング目的の反社の面々がその資産を隠していることを示す「パナマ文書」なるものが暴露されて大きな話題となった、租税回避地(タックスヘブン)として有名な国です。ブロムリーは税金を逃れるためにさまざまな手を尽くしていた(これについてはこのシリーズでも今後言及することがあるかも)ので、これもその一環であった可能性も感じます。

■サービスゲームズ・ジャパン(1953?-1960)
日本にサービスゲームズが作られた理由と経緯は前回の記事(セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(1)まずは過去記事から概説)で述べているので省略。

■サービスゲームズ・ネバダ(1957?-1966?)
ラスベガスに「サービスゲームズ」が設立された時期は、少なくともサービスゲームズ・ジャパンができて以降のことで、1957年前後と思われます。その所在地を現代のGoogleマップで検索すると、ラスベガスのダウンタウンから北へ車で5分ほどの場所が示されます。その界隈はワタシも過去に何度か車で通過していますが、今は、かつてセガがあったことを窺わせるものは何もありません。

ブロムリーがラスベガスにオフィスを構えた理由は、「政府(これには米軍が含まれていると思われる)が買い上げる製品は米国製であること」という法律ができたため、サービスゲームズ・ジャパンからスロットマシンの部品を輸入してラスベガスでノックダウン生産し、米国製であるように「偽装」するためだったようです。サービスゲームズ・ネバダが頒布したスロットマシンのフライヤーを見ると、「Our new address」とするネバダ州の住所が記載されたスタンプを、「Service Games Japan」の「Japan」の部分に上書きするように捺されています。ただ、ネバダのテレックスの番号は日本のサービスゲームズと同一だったらしいです。


サービスゲームズ・ネバダが頒布したフライヤーの部分。製品は日本のセガで作られたダルマ筐体だが、社名の部分の「Japan」を消すようにネバダの住所のスタンプが捺されている。

現在のセガは、自らの創立年を1960年としているとのことなので、今回取り上げた4つの「サービスゲームズ」とポストセガ期の時系列を表にしてみました。


サービスゲームズ・パナマは、1956年頃に「クラブ・スペシャルティ・オーバーシーズ」に変えて1968年ころまで存続していたらしい。

「サービスゲームズ」は、これらの他にもコリア(と言いつつ所在地は沖縄だったらしい?)、フィリピングアムのように、米軍が基地を置いている他のアジア・太平洋地域にも作られました。ブロムリーがどれだけ軍に食い込んでいたかがうかがい知れます。

(つづく)

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1 コメント

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