オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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新・幻の「アタミセンター」を求めて(6):これまでのまとめ(終)

2024年05月05日 20時49分06秒 | 歴史

【前回のあらすじ】
●熱海市立図書館で調べた地図から、アタミセンターの存在時期は概ね判明したが、並行して進めていた追加調査で、熱海市立図書館にはなかった地図のいくつかが国会図書館にあることが判明したので、まとめは次回以降とすることにした。

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3月に熱海市立図書館で得た熱海市の住居地図は以下の12冊です。

1960年代:61,67(2冊)
1970年代:71、73、74、79(4冊)
1980年代:81、84、85、86、88、89(6冊)

熱海から帰ってから、欠けている版がどこかに無いものかと調べて、70年代は72、77、78年版の3冊が、80年代は82、83、87年版の3冊が国会図書館にあることを発見しました(60年代は見つかりませんでした)。

そこで去る5月1日、雨が降る中を行って調べたところ、1972年版(ゼンリンの住宅地図 ’72 熱海)に「加奈」の記載があり、同時に「銀馬車」の名が消えていることを発見しました。

「ゼンリンの住宅地図 ’72 熱海」の銀座町2丁目。「銀馬車」の名が消え、代わりに「加奈」が記載されている。

ネット上には「加奈」に言及しているよそ様のブログが多数あり、その中で「加奈」の開業時期を「1973年」としているものが複数見つかるので、今まで拙ブログもそれらに倣ってきましたが、どうやら「加奈」は1972年には既に存在していたようです。

また1982年版(ゼンリンの住宅地図 ’82 熱海)には「アタミセンター」の記載が無くなっていることもわかりました。

「ゼンリンの住宅地図 ’82 熱海」の銀座町2丁目。「アタミセンター」の記載が無くなっている。同時に、79年版と81年版に見られる傷だかゴミだかもまだ残っている。

これらにより、先週まで不明だった「銀馬車」と「アタミセンター」の消滅時期は、「銀馬車」が1972年、「アタミセンター」が1982年であることが判明しました。そして、「アタミセンター」は少なくとも1961年以降1971年までは「銀馬車」と、1972年以降1981年までは「加奈」と、おそらくは1階と2階で棲み分けて営業を行い、1982年以降は「加奈」のみが営業を続けていたということのようです。

アタミセンター、銀馬車、加奈が存在していた時期の一覧。

つまるところ、「スーパーホームランゲーム」のフライヤー画像に見える「階上 高級喫茶」は「銀馬車」を指している可能性が高いです。

「スーパーホームランゲーム」のフライヤーに掲載されている「アタミセンター」の画像。壁面に見える「高級喫茶 階上」の文字は「銀馬車」を指しているものと思われる。

しかし、「銀馬車」と入れ替わった「加奈」は、当初から1階で営業しているとのことなので、「アタミセンター」は1972年に1階から2階に移ったと考えざるを得ません。

「アタミセンター」の1階と2階の移り変わりの推測。

いったい、どの時期に、どのフロアで、どの屋号で、営業が行われていたかを推測してみました。「アタミセンター」の建物で行われていた営業には以下の5種類があったと聞いています。

◆アタミセンターが入る建物内で行われていた営業
① 高級喫茶
② スーパーホームランゲームの直営宣傳場
③ キャバレー
④ 射的場(空気銃)
⑤ 喫茶店

これらのうち、既に判明しているのは、①が「銀馬車」、②が「アタミセンター」、⑤が「加奈」であることで、③のキャバレーと④の射的場の運営主体は不明です。しかし、料飲業である共通点から③が「銀馬車」、遊技業である共通点から④が「アタミセンター」であったと考えるのが自然であると思います。ただし、キャバレーだった時期や、射的場だった時期は全く不明です。実はこの建物には反対側にも入り口があり、片方が遊技場、もう片方がキャバレーの入り口であった可能性も高そうです。

「アタミセンター」の建物の、反対側の入り口。

ただ、この考え方だと、「加奈」が1階で営業を始めたタイミングで「アタミセンター」が2階に移ったことになり、これはこれで違和感が残ります。2階がキャバレーとして残っていたのなら、消えるのは「銀馬車」ではなく、むしろ「アタミセンター」の方ではないでしょうか。それとも、キャバレーの屋号を「アタミセンター」に変更したのでしょうか。

結局のところ、末期の「アタミセンター」がどんな営業をしていたのかはわかりません。あくまでも現状合わせの考え方ですが、「加奈」開業後、「アタミセンター」は建物の名前として残りはしたが特に何か営業をしていたわけではない可能性も述べておきたいと思います。

実は熱海での二日目、この辺りについてもう少し詳しいお話を聞けることを期待して「ボンネット」を再訪したのですが、昼前の11時半時点でまだ開店しておらず、諦めて家路についていたのでした。

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今回の調査では、当初の疑問である「スーパーホームランゲーム」のフライヤーの頒布時期は結局解明できませんでした。個人的には、完成はできなかったものの、欠けているパズルのピースが少しずつ埋まって行く時の嬉しさや、熱海の昭和史を辿る楽しさが感じられて、楽しい作業ではありましたが、明快な答えを期待されていた皆さんには申し訳ありませんでした。この疑問については、「リズムボーイズ」(関連記事:「リズムボーイズ」第三の資料発見!)と同じように、今後も継続して注目する対象としておきたいと思います。

(おわり)