オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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ポパイ@1979年(3):その2・フリッパー・ピンボール

2020年12月13日 15時40分46秒 | 歴史
「ポパイ」1979年4月25日号の内容記録その2は、「フリッパー・ピンボール」です。

ピンボールメーカー大手の「Gottlieb」は、1955年半ばから1960年初頭までに製造したピンボール機のバックグラス(と、フライヤー)に、「Amusement Pinballs as American as Baseball and Hot Dogs!」(娯楽ピンボールは野球やホットドッグと同じくアメリカだ!)という標語を掲示していました。

Gottliebが1955年から1960年にかけてアピールしていた標語「Amusement Pinballs as American as Baseball and Hot Dogs!」の掲示例。この機種は「AUTO RACE (1956)」。

この標語から、「野球とホットドッグ」は、アメリカ人の誰もが認めるアメリカの象徴であることが察せられます。ピンボール機が何でも賭博機とみなされた時代、アミューズメント一筋だったゴットリーブとしては、そうじゃないんだ、ピンボールもまた我々アメリカそのものなのだとアピールしたかったのでしょう。

前置きが長くなりましたが、フリッパー・ピンボールはこのように米国人自身がアメリカの象徴と自認するほどのものですから、ポパイにとってはど真ん中ストライクのネタです。実際、まるまる1ページを使って紹介しています。




1ページ全面がピンボールで占められている91ページ。システムの推奨サイズでなるべく大きく表示できるように三分割してある。

このページの冒頭は、「プレイボーイ (Bally, 1978)」のフライヤーから持ってきた「バニーガール」で飾られています。「プレイボーイ」という雑誌もまたアメリカを象徴するものの一つですから、ポパイにとってはこれ以上ふさわしいタイトルは無いと言っても過言ではないでしょう。これに加えて、「フラッシュ (Williams, 1978)」と「アドベンチャー (セガ, 1979)」の3機種のゲームフィーチャーが解説されています。

本文記事では、「最近のマシンはIC導入でフィーチャーが複雑になっている」との趣旨が述べられています。それは確かにその通りですが、ランプレーンと多階層とその他ギミックで何が何だか分からなくなってしまった80年代半ば以降のピンボール機と比較すると、まだまだシンプルです。ワタシは、この1980年前後という時期は面白い機種が最も多かった時期だったと思っています。

なお、セガの「アドベンチャー」を「国産初のワイド・マシン」と謳っていますが、セガ初のワイドタイプは前年に発売されている「Cha-Cha-Cha」ですので、これは誤りです。また、なかなか感心させられる克明なフィーチャーの説明は、実はセガが頒布したフライヤーに書かれている「遊び方」を、記事のスペースに収まるように手を加えただけのものでした。でもまあ、どうせこれらの攻略法を克明に読もうとしたシティボーイなど殆どいなかったと思うので、これについては文句は言いますまい。

フリッパー・ピンボールに関する記事は、このページ以外にもいくつか散在しています。まず65ページには、カクテルテーブルタイプのピンボール機「ローテーションVIII」が紹介されています。


「ローテーションVIII」の記事。

「ローテーションVIII」は、記事では「アメリカのバリー社が開発」と記述されていますが、厳密にはその子会社のMIDWAY社製です。1970年代の終わりころから80年代にかけて、複数のメーカーがカクテルテーブルタイプのフリッパー・ピンボール機をリリースしていますが、「ローテーションVIII」の画期的なところは、プレイフィールドが90度単位で回転することで、テーブルの四方に座ったプレイヤーが席を移動することなくプレイヤーのポジションになれる点にありました。ただ、カクテルテーブルタイプのピンボール機は、ワタシも当時のゲーセンでいくつか見てはいますが、あまり普及したという印象はありません。「ローテーションVIII」のせっかくの工夫も、その後標準化することはありませんでした。

同じく65ページには、セガ初のフリッパーピンボール「ウィナー(1971)」が紹介されています。


セガ「ウィナー」の紹介記事。日本のゲーセンはSEGAから始まったとの文脈で触れられている。

これは、日本のゲームセンターはセガから始まったという文脈の中で、「国産初のピンボールはセガの<ウィナー>」として紹介されている部分です。ただ、文句ばかりで申し訳ないのですが、過去記事「初期の国産フリッパー・ピンボール:こまや製作所製の2機種」に示すように、フリッパーを備えたピンボール機は「ウィナー」以前からあります。「ポップバンパーを備えたピンボール」と限定すれば正しいのかもしれませんが、誤りとまでは言わずとも正確さに欠ける記述です。

「フリッパー・ピンボール」の最後は77ページです。ここでは、「スーパーマン (ATARI, 1979)」、「チャーリーズ・エンジェル (Gottlieb, 1978)」、「ニュージェント (STERN, 1978)」の3機種のタイトルと筐体画像が、遊び方抜きで紹介されています。


77ページの「スーパーマン」、「チャーリーズ・エンジェル」、「ニュージェント」の紹介記事。

この3機種は、確かに当時のアメリカっぽいテーマの中では旬でした。しかし、同じ映画テーマなら「未知との遭遇 (Gottlieb)」の方が、TVシリーズなら「600万ドルの男 (Bally)」の方が、音楽ジャンルなら「キッス (Bally)」の方が、ここで挙がっている3機種よりもヒットしていたように思います。きっと、バランスとかバラエティとか、いろいろ考えるところがあっての選択だったのでしょう。

(次回「ビンゴ・ピンボール」につづく)