オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

【訂正・追加等】「ミリオンダイス」の元ネタを発見

2019年06月23日 18時20分27秒 | 訂正・追加等
このブログに記事をアップした後で、誤りや新事実、あるいはより正確だったり詳しかったりする情報が見つかるということはしばしばあります。過去には、既にアップした記事本文を直したことも何度かありますが、そのことを告知する場所がないため、改訂に気づかれないままの読者様も多かったであろうと思われます。また、執筆者本人であるワタシ自身も、どの記事をどのように修正や加筆などをしたかが覚えきれなくなってもおります。

そこで今後は、本ブログに【訂正・追加等】というカテゴリーを新設して、過去記事の訂正や続報などを行う場合はここにまとめておこうと思います。


**********ここから今回の本文

さる4月21日、ワタシは「ネバダでsigmaに先んじたらしい日本製ギャンブル機「ミリオンダイス」の記憶
という記事をアップしました。その中でワタシは、、「ゲームマシン」紙1979年1月15日号に掲載されたボナンザ社の広告をネタ元として以下のようなことを述べています。

・「ネバダゲーミングコミッションにて認可!! リノ・ラスベガスのカジノへ続々出荷中!!」とある。
・さらに、「富士電機製造(株)三重工場にて完全製造」とも謳っている。
・ひょっとしてボナンザは、シグマよりも早くネバダのライセンスを得た日本のメーカーなのか?

しかし、この記事を掲載した後に、ゲームマシン紙1977年1月1日号に「ラッキーダイス」という、「ミリオンダイス」にそっくりな製品の広告とその紹介記事が掲載されているのを発見してしまいました。その発売元はタイトーでした。




「ゲームマシン」紙1977年1月1日号に掲載されたタイトーのラッキーダイスの広告(上)と、本文における紹介記事(下)。

この画像では筐体がわかりづらいので、フライヤーから筐体部分だけトリミングしたものも念の為挙げておきます。


ラッキーダイスのフライヤーから、筐体の部分。

ゲームマシン紙に「ミリオンダイス」の紹介記事が掲載されたのが77年12月1日号で、その翌号である12月15日号には、ゲームマシン紙では初めて「ミリオンダイス」の広告が掲載されています。これだけを見ると、「ミリオンダイス」よりも「ラッキーダイス」の方が先に出ていることになります。しかし、その12月1日号の記事には、「昨年(注:76年)新発売となったローマンダイスの段階から品質を一挙に高めたもの」とあり、「ラッキーダイス」や「ミリオンダイス」の前に「ローマンダイス」というものがあるらしいことがわかりました。




「ゲームマシン」紙1977年12月1日号に掲載されたボナンザ「ミリオンダイス」の紹介記事(上)と、ゲームマシン紙に初めて掲出されたミリオンダイスの広告。

そこでさらに古いゲームマシン紙を調べたところ、1976年11月15日号に、ボナンザがプライベートショウを開催し、米国ネバダ州のローマン・インダストリー社のライセンスを受けた「ローマンダイス」を発表したという記事を発見しました。ボナンザは「ローマンダイス」の広告を、ゲームマシン紙では1977年2月1日号に初めて掲出しており、そこには「Licenced by ROMAN INDUSTRIES INC. Las Vegas, Nevada, U.S.A Exclusively manufactured and sold in Japan and Far East by:(以下ボナンザの住所)」とのクレジット表記も併記されていました。




「ゲームマシン」紙1976年11月15日号に掲載された、ボナンザによる「ローマンダイス」お披露目の記事(上)と、同紙1977年2月1日号に掲載された「ローマンダイス」の広告。

更に関連する記事は無いかとゲームマシン紙のアーカイブを虱潰しに調べていたら、1978年10月1日号に「米国カジノで採用/ボナンザの『ミリオンダイス』」という見出しの記事が掲載されており、それによれば、ネバダの当局が「ミリオンダイス」を認可し、リノやラスベガスのカジノに出荷中で、向こう5年間に千台出荷されるという事になっています。


ゲームマシン紙1978年10月1日号に掲載された、ミリオンダイスがネバダ州のライセンスを取得したことを伝える記事。

混乱してきたのでこれまでの経緯をまとめます。

・1976年11月15日号 ボナンザ「ローマンダイス」お披露目の記事が掲載される。
・1977年1月1日号 タイトー「ラッキーダイス」の広告と紹介記事を掲載される。
・1977年2月1日号 ボナンザ「ローマンダイス」の広告が掲載される。
・1977年12月1日号 ボナンザ「ミリオンダイス」の紹介記事掲載。「ローマンダイス」を改良した趣旨の記述あり。
・1978年10月1日号 ボナンザ「ミリオンダイス」がネバダの認可を受けカジノに出荷中との記事掲載。
・1979年1月15日号 ボナンザ「ミリオンダイス」広告掲載。←ワタシが過去の記事で参照していた資料

この機会に「ミリオンダイス」のゲームマシン紙での広告掲載状況を調べたところ、ワタシが先の記事「ネバダでsigmaに先んじたらしい日本製ギャンブル機「ミリオンダイス」の記憶」を書くにあたって参照した資料は1979年1月15日号の掲載でしたが、初めての掲載はそれよりも2年以上も早い1977年12月15日号でのことでした。ミリオンダイスの広告は、以降しばらくは月1回の掲載だったものが、78年4月より毎号掲載(ゲームマシン紙は月2回刊)するようになっていました。また、広告の中でネバダの認可を受けたとアピールをし始めたのは同年9月15日号の広告からでした。

「ミリオンダイス」のネバダでのライセンスが、誰の名義でどのように取得されたのかまでは不明なため、結局のところボナンザがシグマを先んじたと言っていいのかどうかは依然として明言はできないままですが、少なくともアメリカ製の「ローマンダイス」という元ネタがあり、それが改良されたのが「ミリオンダイス」であるらしいことはわかりました。

今回、ここまで謎が解けたのは、業界紙「ゲームマシン」の社主である赤木真澄氏と株式会社ツェナワークスの川野忠仁氏、武田寧(おにたま)氏が協力して、ゲームマシン紙をアーカイブ化し、誰でも参照できる環境を創設してくださったおかげです。この偉業をなされた皆さんには最大の賛辞をお送りいたしたいと思います。

それにしても、「ラッキーダイス」は、いったいどんな経緯でタイトーから出ることになり、どのようにして人知れず消えていったのでしょうか。足かけ4年に渡って一つのダイスゲームに取り組んできたボナンザに対し、タイトーの態度は極めて冷淡に感じます。もっとも、権利問題などの理由で熱を入れることができなかったのかもしれませんが。