吾不試、故芸(子罕第九の7)
吾、試(モチ)いられず、故に芸あり。
私(孔子)は、適当な職業につくことができなかった。それゆえ、(食うために)さまざまな技能を身に着けました。
多芸と聖人・君子とはあいいれない、という考え方が底流にあって、このような話になるのだろう、と思う。
そして、孔子はこれらはまったく別物、といいたかったのだと思う。
聖人・君子が多芸であることはある。
聖人・君子が多芸でないことはある。
普通人が多芸であることはある。
普通人が多芸でないことはある。
たぶん、99.999%の人は、四番目、つまり言葉を換えれば、無芸大食、なのだ。
吾、試(モチ)いられず、故に芸あり。
私(孔子)は、適当な職業につくことができなかった。それゆえ、(食うために)さまざまな技能を身に着けました。
多芸と聖人・君子とはあいいれない、という考え方が底流にあって、このような話になるのだろう、と思う。
そして、孔子はこれらはまったく別物、といいたかったのだと思う。
聖人・君子が多芸であることはある。
聖人・君子が多芸でないことはある。
普通人が多芸であることはある。
普通人が多芸でないことはある。
たぶん、99.999%の人は、四番目、つまり言葉を換えれば、無芸大食、なのだ。