大黒さん

つれづれに、道行く人のながれを眺めている土塀のうえの大黒さん

宝永大津波で阪神の死者1万人以上

2012年10月22日 | Weblog
備えよ常に! 備えあれば憂いなし


      


江戸時代に南海トラフ沿いの連動型巨大地震の

発生記録が2回ある。

1回目は宝永4年(1707年)10月に発生した

宝永地震と約150年後に4回連続して発生した

1854年の安政南海地震がある。

宝永地震による大津波は、20mを超える大津波が

土佐湾沿岸を襲い甚大な被害を及ぼした。

この大津波は大阪湾にも侵入し川沿いに建ち

並んだ倉庫や建物も遡上して来た津波で大きな

被害が出たと記録されている。

今では繁華街となっているミナミの道頓堀川筋や

日本橋でも船が打上げられている。

この津波で1万人を超える溺死者が出ている。

平清盛が築いた福原や大輪田泊付近や現在の

神戸市役所付近にも津波が押し寄せたことが

最近、市役所の裏手での発掘調査で判った。

当時の生田川を遡上した津波によって運ばれた

砂の堆積層が発見されている。

当時は漁村が点在する田舎であったため詳しい

記録は残されていないが、堆積層の存在位置や

層の厚さから大津波で在ったことが推測される。

1854年の安政南海地震による津波でも大阪を

中心に7千人の溺死者が出ている。

大阪湾を囲む6m程度の防潮堤には不安が募る。

備えよ常に! 備えあれば憂いなし」です。

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