江戸時代に南海トラフ沿いの連動型巨大地震の
発生記録が2回ある。
1回目は宝永4年(1707年)10月に発生した
宝永地震と約150年後に4回連続して発生した
1854年の安政南海地震がある。
宝永地震による大津波は、20mを超える大津波が
土佐湾沿岸を襲い甚大な被害を及ぼした。
この大津波は大阪湾にも侵入し川沿いに建ち
並んだ倉庫や建物も遡上して来た津波で大きな
被害が出たと記録されている。
今では繁華街となっているミナミの道頓堀川筋や
日本橋でも船が打上げられている。
この津波で1万人を超える溺死者が出ている。
平清盛が築いた福原や大輪田泊付近や現在の
神戸市役所付近にも津波が押し寄せたことが
最近、市役所の裏手での発掘調査で判った。
当時の生田川を遡上した津波によって運ばれた
砂の堆積層が発見されている。
当時は漁村が点在する田舎であったため詳しい
記録は残されていないが、堆積層の存在位置や
層の厚さから大津波で在ったことが推測される。
1854年の安政南海地震による津波でも大阪を
中心に7千人の溺死者が出ている。
大阪湾を囲む6m程度の防潮堤には不安が募る。
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