橿原考古学研究所による大和盆地南端部での
発掘調査で弥生時代前期(約2400年前)の
10000m2にも及ぶ水田跡が出土した。
3~4m程度の角型に整然とした区画を備えた
田が850枚も存在し、周辺一帯20000m2にも
及ぶ田の広がりが存在すると推定されている。
この田圃を全て耕作するのに、どれほどの人が
従事していたかは不明だが、研究者の話では
当時は直播であって、重労働の草取りも十分に
行っていなかっただろうし、地力回復に備えて
田を順番に休ませていただろうという。
緑の革命以降、収量は大幅に伸びたが、モミを
播きっぱなしでも、1/3から4割程度の収量が
可能とする研究報告もある。
発掘現場の各所からの採集土を用いて研究所が
行ったイネの生育実験結果では、場所によって
生育程度に大きな差が出たと報告されている。
背丈が40cmから70cmと大きな差が出ている。
やはり、施肥をせずに播きっぱなしだったようだ。
中国南部や東南アジアでの焼き畑での陸稲
栽培は、3年程度で移動する播きっぱなしの
農耕だったので、弥生時代も同様だったのだろう。
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