犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

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2020年07月08日 | ダム問題
 九州の豪雨で球磨川が氾濫した。
 球磨川の支流に計画されていた川辺川ダムを中止した熊本県知事が非難されている。氾濫が起きて死者が多数でたのはダム建設を中止したからだと報道された。

 また、令和元年の東日本台風で利根川流域に豪雨が発生したが、大きな氾濫はなかったのは、利根川支流に完成した八ッ場ダムが、ほとんど空だったダムが一晩で満杯になるほどの洪水を引き受けたからで、利根川の氾濫を防ぐことができたのは、このダムのおかげだという主張もされる。

 こういう事例をあげて、「ダムがあれば氾濫を防ぐことができる。ダムがなければ氾濫する。」と解説されると、治水にかかる技術的な知識に乏しい一般の人たちは誤解する。いわゆる“ダム神話”というやつである。

 ダムというのは、治水の一つの手段であって、この手段を適切に考慮され運用されなければ効果はなく、目的は達成されない。当然ながら、必ずしも「ダム建設 → 洪水氾濫を防止/人身被害が減少」とはならない。

 新潟水害では、最新鋭の巨大ダムと既設ダムが備えられていたが五十嵐川が氾濫した。巨大ダムが受け持つ流域からの洪水量が少なくてダムで洪水調節ができなかったこと、既設ダムは満杯になり洪水調節機能を失ったためである。

 平成30年の西日本豪雨では、治水ダムがあるために氾濫に対する住民の警戒が欠如して逃げ遅れて人身被害が拡大した。

 八ッ場ダムのケースは、利根川本流の流域面積に比較して、八ッ場ダムの流域面積は小さいので、利根川支流の吾妻川の氾濫防止には貢献できたが、利根川本流の影響はわずかなものだろう。
 川辺川ダムの場合は、流域面積が球磨川流域面積全体の四分の一を占めているので効果があるかもしれない。

 ただし、
ダム建設を推進する立場の人たちは、ある特定の時間的、空間的降雨による洪水を想定して、ダム効果を説明する。その想定内であれば、ダムの効果はある。
ところが、自然現象である降雨は物理量、時間的、空間的にランダムである。実際には想定におさまらない場合も起こる。当然、効果がない、あるいは逆にマイナス効果も起きる。

 ダムの治水効果は、ダムに貯水できる容量の範囲内である。満杯になると効果はゼロとなる。パンクするという。パンクするとダムは逆効果しかない。洪水の水量をそのまま下流へ流すことになるだけではない。
ダムによって貯水すると言うことは、高位に水を置くということであり、高位の水は位置エネルギーというエネルギーの固まりであり(これを電気エネルギーに変えたりするのが水力発電である。)、ダムが満水になり、溢れ出すと、この水のエネルギーをダム下流の河川が直撃を受けることになり、ダムがない状態よりも強力な洪水の流れを受けとめざるをえなくなる。河床の洗掘、土手の浸食などの破壊が進行して下流への被害は増大する。

 だから、ダムによる治水は、さらなる大きなリスクを抱え込むと言うことにもなりかねない。

 そもそも、ダムは水を貯めるものであり、貯めた水を渇水の時期に供給して使うためのものである。数千年の歴史がある。
一方、治水ダムというのは水を貯めないダムのことであり、平常時にダムを空にしておいて洪水の時に水を一時的に水がとどめる。ダムを洪水調節に応用したのは、つい最近のことで100年ほどの歴史にすぎない。今後とも治水の一つの手段としては活用されるだろうが、治水の決め手とはならないだろう。
 何事も同じだが、一つの手段に依存するのは、破綻した際のリスクが大きくなるからである。

 洪水の流れを緩和するための霞堤、二線堤、流出を抑制する調整池、山林の保全などを含めたハード対策、土地利用計画と土地利用制限、都市計画、洪水保険などのソフト対策など総合的な治水をめざすべきだろう。ただ、これらは、数十年あるいは半世紀にもわたる長期的な方策であるため、短期的にはハード対策のダム建設もやむを得ないかもしれない。
令和2年7月8日
中登史紀
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