↑ 「ペンテコステ」(聖霊降臨日)エル・グレコ(ギリシャ人)の作品(1596-1600年)、プラド美術館(スペイン)所蔵。 私的解説:使徒言行録1章による絵で、マテッアを含む12使徒と婦人たち2人(マグダラのマリアとヨハナ?)の14人が、イエスの母マリアを囲んでいる絵のように思われます。
〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403
日本福音教団 富 谷 教 会 週 報
聖霊降臨節第主日(ペンテコステ) 2023年5月28(日) 午後5時~5時50分
礼 拝 順 序
司会 辺見宗邦牧師
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 342(神の霊よ、今降り)
交読詩編 146(ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳) 使徒言行録2章1~11節(新p.214)
説 教 「聖霊の賜物」 辺見宗邦牧師
讃美歌(21) 343(御霊よ、降りて)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
祝 祷
後 奏
〇オン・ラインで礼拝に参加できます。090-3365-3019
(辺見牧師)に、申し込み下さい。
次週礼拝 6月4日(日) 午後5時~5時50分
聖 書 詩編103篇1~6節
説教題 「主は鷲のように若さを新たにしてくださる」
讃美歌(21)403 481 27 交読詩編 38
本日の聖書 使徒言行録2章1~11節
2:1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 4すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 5さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 6この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 7人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 8どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 9わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 10フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、 11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
本日の説教
教会暦では、今日が聖霊降臨日(ペンテコステ)の日です。「ペンテコステ」とは、ギリシャ語の「50」という意味です。この聖霊降臨は、ユダヤ教の五旬祭の日に起こりました。
五旬祭は、レビ記23章15~21節に基づくイスラエルの七週祭(シャブオット)の別名です。七週祭は、過越祭(すぎこしさい)の安息日の翌日(イースターの日曜日)、祭司が大麦の初穂を携え,奉納物とする日から数え初めて、七週間を経た翌日、即ち五十日目に、祝われた祭りです。
七週祭は、「刈り入れの祭り」(出23:16)とも呼ばれ、新しく穫れた小麦粉で作ったパンを神に献げ、小麦の収穫を感謝する祭りでした。この日は、ギリシャ語が共通語として使われた時代に、ペンテコステ(五旬祭)という別名で呼ばれました。
五旬祭は、後期ユダヤ教時代(B.C.5~3世紀)になると、モーセがシナイ山で律法を授かったことを記念する日とされ、ユダヤ教の三大祝祭(過越祭、五旬祭、仮庵祭)の一つとして大切に守られていました。今日は、五旬祭は農耕的特徴を失ってしまい、契約記念の祭りとして祝われています。
キリストの復活を祝うイ―スターの日から五十日目に当たる五旬祭の日に、イエスの弟子たちに聖霊が降ったことから、この「聖霊降臨日」の日を、教会も「ペンテコステ」という名前で呼んでいます。
使徒言行録1章3~5節によると、四十日にわたって弟子たちに現れた復活のイエスは、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた父の約束されたもの(聖霊)を待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」(使徒言行録1:4-5)と命じていました。オリーブ山で昇天するときも、イエスは使徒たちに、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサエムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1:8)と言われました。
イエスの昇天後、使徒たちはすぐに、最後の晩餐が行われた家と思われる、彼らが泊まっていた家の上の部屋に集まりました(使徒言行録1:13)。十一使徒は、婦人たちや、イエスの母、兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていました。ペトロは、ユダに代わる人を選ぶことを、百二十人ほどの人々が集まっているところで提案し、二人の候補者を立てて、くじを引き、マティアを使徒に選びました(使徒言行録1・15)。このようにして、最初の教会は五十日間、主イエスが約束された聖霊の到来を待っていました。
五旬祭の日に、<一同>が一つになって集まっていました。彼らが泊まっていた家の上の部屋と思われます。聖霊降臨という大きな出来事は、三つの超自然的なしるしを伴っておきました。
その第一は、<突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に>響きました。<風>は霊の降臨を表現しています。
その第二は、<炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上に>とどまりました。火の<炎>は、汚れを除く神の働きを示し、聖霊を指します。炎のような<舌>は、言葉を表しています。聖霊は「言葉」の賜物を伴って臨んだのです。
第三のしるしは、言葉の賜物は<一人一人の上にとどまり>、一同は聖霊に満たされました。聖霊は、<一人一人>に個別的に与えられ、<一同>は聖霊に満たされた、とあるように、個々人は別々の言葉を語りつつ、同じ聖霊を与える主を語るのです。宣教は多様であっても、全体の益のためになされるのです。
すると一同は、御霊の語らせるままに語る者となり、<ほかの国々の言葉で>話しだしました。他の国々の人たちの<故郷の言葉>で話し出したのです(2:6、8、10)。彼らは<神の偉大な業>について語ったのです。エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいました。国外に離散していた人々で、現在は祖国に帰った人たちです。また、エルサレム巡礼に来て、一時的に滞在していた人もいました。ユダヤ教に改宗した異邦人もいました。エルサレムに住むこのような大勢の人が、この聖霊降臨の出来事の物音に集まって来ました。そしてだれもかれもが、自分たちが生まれた故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまいました。自分たちの外国の生まれ故郷の言葉を、ガリラヤ出身の使徒たちが話すのを聞いて驚いたのです。聖霊の賜物は異なった言葉で語るという奇跡的な賜物でした。離散のユダヤ人の出身地の地名が、ユダヤを中心にして東方から15の地域があげられます。
1パルティア、2メディア、3エラムは、ローマ帝国外の東方諸地方です。4メソポタミア、ユダヤ(パレスチナ北西部を指す)、そして北西へ、5カパドキア、6ポントス、7アジア、8フリギア、9パンフィリアは地中北東部の諸地方です。またそこから地中海東南部へ、10エジプト、11キレネ、12リビアと円を描くように記され、そこから一転して北上し、遠く離れた13ローマがあげられます。14クレタ、15アラビアから来た者とは、西方の海洋民と東方の内陸民です。離散のユダヤ人の出身地の地名が、ユダヤを中心にして東方から15地域あげられています。
これら15の地域のことばで、キリストの弟子たちが、神の偉大な業を語っているのを聞いて驚いたのです。神の偉大な業の具体的な問題は、14節以下のペトロの説教において明らかになります。
当時、国外へ離散していたユダヤ人の数は4~5百万人です。エルサレムを含むパレスチナに住むユダヤ人の数はわずか50万人ほどでした。ユダヤを含むシリア地方とメソポタミアの共通語は、その当時はアラム語(ヘブライ語とは方言程度の差)でした。ローマ帝国の支配する地中海沿岸の地域の共通語はギリシア語(コイネー)でした。またローマはラテン語でした。聖霊降臨の時、使徒たちはこれらの共通語であるアラム語やギリシア語、またラテン語で話したのではなく、十五の地域の、それぞれの言葉で語ったと言うのです。この出来事は、全世界の人々がやがて、自分たちの国語で、イエスの福音を聞く日が来ることを、象徴する出来事でした。
聖霊降臨で起こった霊の注ぎは、個人の内面にかかわる聖化としてではなく、教会が福音をたずさえて「民衆の場へ出て行く」力であり、教会に民衆を引き付ける力でした。臆病だった弟子たちに、語るための力が与えられ、言葉の賜物、異なった言語で語るという賜物が与えられたのです。それぞれの地域の人々に理解できるように話す言葉、通じる言葉が与えられたのです。主イエスが昇天の時、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録1:8)と告げたことが起こったのです。
この日、ペトロの説教の後、三千人ほどの人が洗礼を受け、仲間に加わりました。「五旬祭」は収穫の感謝として初穂を献げる祭りです。この日、教会に「三千人ほど」の初穂が与えられたのです。
ぺンテコステは、教会誕生の日とか、教会設立の日としてよく言われます。それは間違っているとは言わないものの正確な表現ではありません。ペンテコステの物語は、ルカ福音書24章にあるイエスの復活顕現の文脈で読まれなければなりません。エマオでは、二人の弟子にイエスはぱんを裂くとき、復活したイエスであることを分からせ、エルサレムでは、疑う弟子たちに手足を見せ、「聖書を悟らせるために彼らの心の目を開かれ」ました(ルカ24:45)。
四十日にわたって、復活の主は弟子たちに現れ、「わたしは父が約束されたものをあなたがたに送る」と約束し、「高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」と命じました(使徒言行録1:3~4)。その後、天に上げられるときには、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1:8)と語って昇天しました。弟子たちは、主に言われたように、エルサレムにとどまり、泊まっていた家の二階に集まり、心を合わせて熱心に祈り、聖霊が降ることを待ちました。
キリストの昇天とぺンテコステの聖霊降臨は共に、復活祭の奇跡のさらに詳細な説明なのです。ということは、教会の誕生日はペンテコステ以上に主の復活にあるとする方がもっと正確です(現代聖書注解「使徒言行録」W.H.ウィリモン,p58)。五旬祭は、教会形成の物語りです。霊の力強い働きの起源を詳しく語ることによって、どのようにして教会が存在するようになったのか、そして、どのようにしてかつては臆病であった弟子たちが、彼らの言葉でキリストの真理を宣べ伝えることができるようになったかという真実を説明するのです。
ペンテコステは、「教会の誕生」というよりも、「宣教する教会の誕生」を伝える物語です。わたしたちも、隣人にも福音を伝える者とされましょう。先に救われ、キリストの愛を知ったわたしたちは、自己愛の延長としての愛ではなく、イエス様によって示された赦しを伴う献身的な愛を証しし、
このイエス様の愛を受けるとき「あなたも、あなたの家族も救われる」と、宣べ伝えましょう。聖霊はわたしたちに、聞く価値のあることを語らせてくださる力であり、聞く人に希望といのちと力を与えます。聖霊はイエスの十字架と復活を証言する力であり、教会を全世界へと押し出す原動力です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます