富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「宣教する教会」 使徒言行録4章13~31節

2018-06-03 21:19:00 | キリスト教

      ↑ エルサレム博物館にあるヘロデ神殿の模型、ヘロデ神殿はB.C.20年完成、A.D70年まで存続しました。「神殿は、東西北の3方向を柱廊で囲まれ、南側はバシリカ(長方形の建物)に囲まれた広場の中に建てられていた。バシリカは集会所となったり、献納物の買い物などに使われていた。ユダヤ人だけが、東側の金の「ビューティフル・ゲイト(美しい門)」から神殿の中に入れたが、すぐそこには「女性のための広場」があった。さらにそこから男性だけが、15段の半円形の階段(聖職者たちが立って歌ったり楽器を奏でていた)を上って行け、献じたアレクサンドリアのユダヤ人の名をつけた「ニカノル・ゲイト」という銅の門をくぐることができた。門をくぐったすぐのところが、「イスラエル広場」で、一般の人はここまでしか入れなかった。このさらに奥に生贄を献じる台が据えられ、その後ろに高さ50メートルの神殿が立っていた。3種類の大理石が使われ、金の装飾がなされていた。」ヨセフスの説明によると高さが50キュビト(22㍍)あり,コリントしんちゅうの扉があったという門のことではないかと思われます。      東側から見た神殿模型

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380  FAX:022-358-1403 

   日本キリスト教 富 谷 教 会 週 報

 年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

    聖霊降臨節第3主日  2018年6月3日(日)  午後5時~5時50分 

     礼 拝 順 序

                司会 田中 恵子姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 289(みどりもふかき)

交読詩編  107(恵み深い主に感謝せよ)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳)  使徒言行録4章13~31節(p.216)

説  教     「宣教する教会」   辺見宗邦牧師

祈 祷     

讃美歌(21) 405(すべての人に)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏  

          次週礼拝 6月10日(日) 午後5時~5時50分

           聖書 使徒言行録16章16~24節

           説教題 「悪霊追放」

           讃美歌(21)496 355 24 交読詩編32篇

  本日の聖書 使徒言行録4章13~31節

 4:13議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。 14しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。 15そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、 16言った。「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。 17しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」 18そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。 19しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。 20わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」 21議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。 22このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。 23さて二人は、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。 24これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声をあげて言った。「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。 25あなたの僕であり、また、わたしたちの父であるダビデの口を通し、あなたは聖霊によってこうお告げになりました。『なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、
諸国の民はむなしいことを企てるのか。 26地上の王たちはこぞって立ち上がり、指導者たちは団結して、主とそのメシアに逆らう。』 27事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。 28そして、実現するようにと御手と御心によってあらかじめ定められていたことを、すべて行ったのです。 29主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。 30どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」 31祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。

       本日の説教

 使徒言行録は一章で主イエスの復活と昇天を書き、二章では聖霊が弟子たちの上に降ったことを書いています。そして三章からはいよいよ弟子たちがイエス働きを受け継いで、具体的にさまざまな働きを開始した様子を伝えています。その三章で、弟子たちの中心であるペトロとヨハネが行った二つの業が記されいます。その一つは足の不自由な人を癒した業であり、もう一つは神殿での説教でした。癒しと教えはイエス御自身がなさった働きであり、弟子たちはイエスに倣って、その宣教の業を進めていったのです。

         

 ペトロは神殿の境内にある「美しの門」のそばで、足の悪い人を癒したとき、ペトロは、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(3章6節)と言いました。

 また、今日の聖書の中に登場する弟子たちも、神に向かって次のように祈っています。「どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください」(4章30節)と祈りました。

 名前を呼ぶことは、その人を呼び出すことです。「イエスの名を呼ぶ」ことは、その場に主イエスに来ていただくこと、現臨していただき、働いていただくことでした。 

     ソロモンの回廊

  生まれつき足の不自由な男を癒したことにより、「ソロモンの回廊」にいるペトロとヨハネ、足を癒された四十歳を過ぎた男の方へ民衆が一斉に集まりました。これを見たペトロは民衆に説教をしました。「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか」と話し始めました。そしてイエスの十字架の死と復活を語り、わたしたちは、このことの証人です。イエスの名を信じる信仰がこの人を完全にいやしたのです、と語りました。イエスについての二人の言葉を聞いて信じた人は男だけで五千人ほどになりました。

 使徒言行録四章は、祭司たち神殿守衛長、サドカイ派などなどユダヤ教の指導者たちが、ペトロとヨハネの二人がイエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、いらだちを覚え、二人を捕らえて翌日まで牢に入れるという事件が起こったことを伝えています。翌日、二人は大祭司を始めとする議員、長老、律法学者たちの最高法院に引き出され、取り調べを受けました。この場面を、二人は、「無学な普通の人」であったが、「大胆な態度」で語り、イエスを証ししたので、皆驚いたと記しています。

 最初の尋問は、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」という問いかけでした。「ああいうこと」とはペトロが足の悪い人を癒した奇跡のことです。その時、ペトロは聖霊に満たされて、「この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」と答えました。ここでも「イエス・キリストの名」が出てきます。「わたしたちが彼を癒したわけではない。イエス・キリストの名が、それをなさったのだ」と答えたのです。

 取り調べにあたった人々は、二人がイエスと一緒にいた者であることも分かりました。しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、一言も言い返せませでした。そこで、彼らは相談して、このことがこれ以上民衆に広まらないように、今後決してイエスの名によって話したり、教えたりしないように、二人に命じました。

  しかし、ペトロとヨハネは、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいことか、考えてくだい。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」と答えました。議員たちは、二人を更に脅してから釈放しました。

 このようにして、二人は釈放されて仲間のところへ行き、祭司長たちた長老たちの言ったことを残らず話しました。これを聞いた人たちは、心を一つにし、神に向かって声をあげて言いました。「主よ」と、天地の創造主である神に呼ばわり、「あなたは聖霊によって、ダビデの口を通し、こうお告げになりました。「なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、諸国の民はむなしいことを企てるのか。地上の王たちはこぞって立ち上がり、指導者たちは団結して、主とそのメシアに逆らう。」(詩編第2篇1-2節)と詩篇のことばをあげ、まさにそのように、「事実、この都でヘロデ・アンティパス(イスラエルの領主)とポンティオ・ピラト(ローマ総督)は、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、神に油を注がれ救い主とされた、聖なる僕イエスに逆らいました。……主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、聖なる僕イエスの名によって、病気が癒され、しるしと不思議な業が行われるようにしてください」と祈りました。大祭司たちに、使ってはならないと命じられた「イエス・キリストの名」によって彼らは祈ったのです。教会の人々はユダヤ当局者による迫害に対して、神の加護を求める祈りではなく、、大胆に神の言葉を語り証言できる力を祈り求めたのです。この祈りは、宣教の前進のための祈りでした。御言葉を語り、伝道するのは教会の務めです。

 祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動きました。その場所が揺れ動いたことは、神の臨在の顕著な現れのしるしであり、使徒たちの祈りが応えられたことを意味します。。すると、皆、聖霊に満たされ、大胆に神の言葉を語り出しました。

 原始教会の人々は、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まって聖餐の食事をし、神を賛美していました(使徒言行録2章46-47)。この家の教会から、ペトロとヨハネは神殿での祈りに行き、足の不自由な男と出会い、イエス・キリストの名によって癒しました。それを機縁に民衆に説教することが出来ました。しかし、権力者たちの怒りを引き起こしましたが、その権力者たちに、キリストの力を証言しました。その後、再び教会の仲間たちの所に戻り、この権力者たちの脅迫を恐れず、宣教を続けるために、イエス・キリストの名によって、「大胆に」語り、癒し、働き続けることができるようにと、彼らは祈り求めました。このように、教会での礼拝と祈りの後に、宣教がなされるということが繰り返えされました。これは教会こそが宣教の源であることを示しています。わたしたちも、教会で「イエス・キリストの名」によって祈り、「大胆に」、イエス・キリストによって示された十字架と復活による救いと神の愛、キリストの愛を宣教してまいりましょう。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「神の子とする霊」 ローマの... | トップ | 「悪霊追放」 使徒言行録1... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

キリスト教」カテゴリの最新記事