↑ Crucifixion, Tintoretto, 1565
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日本キリスト教 富 谷 教 会 週 報
年間標語 『キリストに結ばれて、聖霊によって、日々心を新たにされ、キリストに似た者に造り変えていただこう。』
聖句「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。これらすべに加えて、愛を身につけなさい。キリストの言葉があなたがたの内に宿るようにしなさい。いつも感謝して心から神をほめたたえなさい。すべて主イエスの名によって行いなさい。」(コロサイ3:13~16の抜粋)
受難節第6主日 2017年4月9日(日) 午後5時~5時50分
礼 拝 順 序
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 449(千歳の岩よ)
交読詩編 22(わたしの神よ、わたしの神よ)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書(新共同訳) マタイによる福音書27章32~56節(p.39)
説 教 「十字架への道」 辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌 305(イェスの担った十字架は)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 4月16日(日) 午後5時~5時50分
聖書 マタイ28章1~10節
説教 「キリストの復活」
讃美歌(21)325 327 24 交読詩編 30
本日の聖書 マタイによる福音書27章32~56節
32兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。 33そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、 34苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。 35彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、 36そこに座って見張りをしていた。 37イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。 38折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。 39そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、 40言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」 41同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。 42「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。 43神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」 44一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
45さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 46三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 47そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。 48そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。 49ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。 50しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。 51そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、 52墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。 53そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。 54百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。 55またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。 56その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。
本日の説教
3月1日から始まった受難節が、いよいよ最後の一週間の受難週に今日から入ります。受難週の第1日は、棕櫚の主日(日曜日)と呼ばれ、主イエスが子ろばに乗って弟子たちと共にエルサレムの町に入られた日です。エルサレムの市民たちが歓迎の気持ちを表すために棕櫚(なつめやし)の枝を道に敷き、ホサナ、ホサナ(救い給えの意)と叫んでキリストを迎えました。この日はエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見回った後、夕方になったので、十二人の弟子を連れてベタニヤへ出て行かれました(マルコ11:11)。
翌日の月曜日は、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買い買いしていた人々を追い出しました。神殿を祈りの家とするために両替人や商売人を境内から追い出しました。
火曜日は、祭司長たちと権威について問答をしました。また、「ぶどう園と農夫」のたとえを話されました。
水曜日は、オリーブ山の麓(ふもと)のベタニヤで過ごしました。一人の女が高価なナルドの香油をイエスの頭に注ぎました。主イエスは、「前持ってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」と言われ、この人のしたことを喜ばれました。
木曜日は、夕方から始まる過(すぎ)越(こし)の食事をするためにエルサレムに行きました。モーセの出エジプト祝う祭りです。過越の小羊を屠(ほふ)る日です。
日没の夕方から、ユダヤでは金曜日が始まります。二階の広間で十二人の弟子たちと最後の晩餐と呼ばれる食事をしました。この食事の後、イエスはエルサレム郊外のゲッセマネの園(その)で祈りに時を持たれました。そこで、イエスは祭司長、律法学者、長老たちが遣わした群衆や、大祭司の手下に捕らえられ、大祭司のところへ連れて行かれました。
大祭司カイアファの屋敷で開かれた最高法院の裁判を、イエスは受けました。祭司長たちと最高法院の全員は、イエスを死刑にするために不利な証言を求めました。偽証人は何人も現れたが、証拠は得られませんでした。最後に二人の者が来て、「この男が、『わたしは人間の手で造ったこの神殿を打倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる』と言うのを、わたしたちは聞きました」とイエスに不利な偽証をしました。黙り続けておられたイエスに、大祭司は、「お前は神の子、メシアなのか」とイエスに尋ねました。イエスは「そうです(それはあなたの言ったことです)」と答えると、「神を冒涜(ぼうとく)する言葉を聞いた」と言って、一同に諮(はか)り、不敬罪の罪で死刑を決議しました。
それから、ある者はイエスの顔に唾(つばき)を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで殴りつけ、また、下役たちは平手で打ちながら、「メシア、お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言いました。
外の中庭にいたペトロは、女中や居合わせた人々に、『そんな人は知らない』と、イエスの弟子であることを三度も打ち消しました。
夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談し、イエスを縛って引いて行き、ローマから派遣されたユダヤ属州の総督のピラトに引き渡しました。最高法院は処刑を執行する権限がなかったからです。
主イエスはピラトから尋問されました。罪状は、自らユダヤ人の王を称した政治的反逆罪です。総督が、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それはあなたが言っていることです」と言われました。祭司長たちや長老たちが不利な証言をしている間、イエスは何も答えなかったので、総督は非常に不思議に思いました。
祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていたので、総督は、人々が集まってきたときに、暴動のとき人殺しをした囚人バラバ・イエスとメシアと言われるイエスとどちらを釈放してほしいのか、と民衆にたずねました。総督は、人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと悟ったので、イエスを釈放したいと思ったのです。しかし、自らの判断は避け、民衆に判断させたのです。
祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうように群衆を説得しました。そこで、人々は皆、イエスを十字架につけろと言いました。ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けました。ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために兵士に引き渡しました。
それから総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの回りに集めました。そして、イエスの着物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また右手に王の持つ笏(しゃく)杖(じょう)の代わりに葦の棒を持たせて、イエスを王であるかのように見立て、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って侮辱しました。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げで頭をたたき続けました。このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるためにゴルゴタに引いて行きました。
ここからが、今日の聖書の箇所になります。
ローマ兵に引きたてられながら、イエスは重い十字架の横棒を背負わされ、よろめき、倒れながら、ヴィア・ドロローサ(苦難の道)を通って刑場に向かいます。約700メートルの曲がりくねった道です。シモンという名前のキレネ人(北アフリカの地中海に面した町出身)に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせました。
そして、刑場のゴルゴタという所(されこうべ〈白骨化した頭蓋骨〉の形の小山か?)に着くと、苦いものを混ぜた麻酔効果のあるぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされませんでした。
兵士たちはイエスを十字架につけると、死刑執行人の役得であったので、くじを引いてその衣類を剥ぎ取り分け合い、そこに座って見張りをしていました。
イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げました。「ユダヤ人の王」を主張したことが政治犯としての罪状とされました。折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていました。
そこを通りかかった人々は、である頭を振りながら(侮辱する仕草)、イエスをののしって、「神殿を打倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」と言いました。同じように、祭司長たちも、律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して、「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」と言いました。一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしりました。
イエスは「神の子」の力を自己のために使うことを拒否し、神に信頼し、神の意志に従うために死の道を選んだのです。
昼の十二時になると、にわかに空が暗くなり地上が暗闇に包まれ、それが三時まで続きました。暗黒は悪の力の最後の時であり、神が終止符を打つしるしです。
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれました。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。イエスが息を引き取った三時は、神殿において小羊を屠って捧げる時間です。
マルコによる福音書の「エロイ、エロイ」は、アラム語の直訳の形です。「エリ、エリ」はヘブライ語形に近づけて記しています。詩篇22篇には、神に見捨てられた信仰者が、敵対者に取り囲まれながら、なお神に信頼の祈りをささげる悲痛な声になっています。しかし、イエスの叫びは、絶望のただ中で発した最後の疑問の祈りとなっています。イエスは無力な人間として息絶えました。神はイエスに人々の罪を負うという使命を課したのであり、屈辱と身体的苦痛による死を与えたのです。
そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいました。エリヤは終末においてメシアに先駆けて現れると期待されていた預言者です。生きたまま天に昇り、苦しむ人を助けると信じられていました。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとしました。ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言いました。
しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られまました。そのとき、大祭司だけが年に一度民の贖罪のために入ることが許されている神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けました。これは、神殿の存在とそこで執行される様々な儀式がイエスの死によって意義を失ったこと、また祭司のみに許されていた特別の区域が消え、すべての人が神に近づくことができるようになったことを象徴的に示しています。
「地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返りました。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れました。」キリストの死は、自然界全体と関係し、陰府にいる死人にまで影響を及ぼすことを示しています。これらは、終末において起こると期待されていたことが、イエスの死の瞬間に実現したのであって、死はすでに克服され、今やメシアの時、終末の時代に突入したことを表してます。
百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた兵士たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言い、認めました。
またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていました。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々です。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいました。ヨハネを除いた男性の弟子たちは(ヨハネ19:26-27)、それぞれ逃げてしまいましたが、女性たちは最後までキリストに従い、立派に目撃証人としての役割を果たしたのです。
イエスが十字架上で語った最後のことばは、マタイもマルコも「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という一言ですが、四つの福音書を総合すると、七つのことばを語っています。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)
「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」(ルカ23:43)
「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」(ルカ23:46)
「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。見なさい。あなたの母です。」(ヨハネ19:26、27)
「渇く。」(ヨハネ19:30)
「成し遂げられた(完了した)。」(ヨハネ19:30)
おそらく、イエスは、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」か、「成し遂げられた(完了した)。」のことばを最後に語ったと思われます。
なぜイエスはこのような十字架の死への道を自分の道として選ばれたのでしょうか。「人の子がこの世にきたのは、多くの人の贖いとして、自分の命を与えるためである」(マルコ10:45)と言っておられます。神から離れている人間の罪に対する神の怒りを、一身に受けて、身代わりなり、神の刑罰より救い、わたしたちのために、神の恵みと義と永遠の命を与えるために十字架の道を歩まれたのです。その最後は実に壮絶な死でした。こうして、イエスは罪の贖いの業を成し遂げられたのです。
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