富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「すべての人に対する教会の宣教」 使徒言行録13章44~52節

2018-08-15 22:41:39 | キリスト教

981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12  TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403 

  日本キリスト教 富 谷 教 会 週 報

年間標語 『日々に、刻々と、肉の思いに生きようとする自分に死に、霊の思いに従って歩む者とされましょう。」

聖 句 「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・15)

  聖霊降臨節第14主日  2018年8月19日(日)   午後5時~5時50分 

     礼 拝 順 序

                司会 佐藤 洋子姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 227(主の真理は)

交読詩編   40(主にのみ、わたしは望みをおいていた)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者祈祷

聖 書(新共同訳) 使徒言行録13章44~52節(p.240)

説  教 「すべての人に対する教会の宣教」辺見宗邦牧師

祈 祷

聖餐式    72(まごころもて)

讃美歌(21) 561(平和を求めて)

献 金

感謝祈祷              

頌 栄(21)   24(たたえよ、主の民)

祝 祷             

後 奏 

              次週礼拝 8月26日(日) 午後5時~5時50分

              聖 書  1コリント12章27~13章13節

              説教題    「最高の道」

              讃美歌(21) 464 405 24 交読詩編62篇

   本日の聖書 使徒言行録13章44~52節

 13:44次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。45しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。46そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。 47主はわたしたちにこう命じておられるからです。/『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、/あなたが、地の果てにまでも/救いをもたらすために。』」/ 13:48異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。49こうして、主の言葉はその地方全体に広まった。50ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。51それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。52他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。

            本日の説教

 使徒言行録の13章からは、使徒パウロのめざましい伝道活動が記録されます。古代アンティオキアは、古代シリア地方北部の主要都市です。現在はトルコ領のアンタキアです。このアンティオキアに異邦人の教会が設立しました(11章19-26節)。この教会にエルサレムの教会は全権を委任した代表としてバルナバを派遣しました。バルナバはサウロを捜しに、パウロの故郷タルソスへ行き、見つけてアンティオキアへ連れ帰りました(11章25-26節)。二人は丸一年の間そこの教会にいて、多くの人を教えました。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者(クリスチャン)と呼ばれるようになりました。アンティオキアの教会で礼拝中に聖霊の導きによって、外国伝道のために、バルナバとサウロ(パウロのユダヤ名)が選ばれ、教会から派遣されました。パウロ(ローマ名)の名が用いられるのは、13章9節からです。

 バルナバとパウロは、アンティオキアの南西25キロ、オロンテス河口から8キロ北にあるセレウキアの港町から船に乗り、まず、バルナバの故郷であるキプロス島に渡りました。二人は助手として、バルナバの従兄弟(いとこ)のヨハネ・マルコを連れていました。

 

  キプロス島((英語では「サイプラス」、ドイツ語では「ザイプル」)は、ローマの元老院の支配する島で、地方総督によって統治されまれていました。一行は島の東岸にあるギリシア都市サラミスで、最初に神の言葉を宣べ伝えました。サラミスから更に島全体を巡回してパフォスの町に着いたところ、ユダヤ人の魔術師バルイエス(救いの子の意)という偽預言者に出会いました。この男はパフォスに住む地方総督セルギウス・パウルスと交際していて、総督が神の言葉を聞こうとするのを妨害しました。パウロは聖霊に満たされてこの男の目を見えないようにしました。総督はこの出来事を見て、主の教えに驚き、信仰に入りました。

 パウロの一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲへ渡りました。ペルゲで、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰りました。パンフィリアは、パウロの故郷であるキリキア州のタルソスの西にある南岸の州です。ペルゲは、ケストロス川の河口から13キロ上流、しかも河岸から8キロも離れているので、船でペルゲに渡ることはできません。おそらく南西の海岸の港町アタリアに上陸し、15キロ内陸のペルゲに来たのかもしれません。

     

   タウルス(トロス)山脈は白線の内部。トルコ南部を地中海岸に並行して走る450㌔の大  山脈。標高3600メートル級の山々が並ぶ。山脈は海岸地域と内陸地域とを隔てている。

 パウロとバルナバはペルゲから、タウロス山脈の険しい危険な山道を上り、海抜千二百メートルの高原にあるピシディア州のアンティオキアの町まで160キロ道を歩き、たどり着きました。ピシディア州のアンティオキアは、シリアのアンティオキアと区別するために呼ばれた古代都市で、小アジアのフリギアとピシディアの境界にありました。「ピシディア近くのアンティオキア」と呼ばれ、ローマ時代にガラテア州の一地区に属し、ローマの植民地でした。またユダヤ人居留地もありました。

 安息日に、ユダヤ教の会堂に入ったパウロたちは、会堂長たちから会衆を励ます言葉を求められました。そこでパウロは次のような主旨の長い説教をするのです。説教はペトロの説教(3:12-26)とステファノの説教(7:1-53)の混合型で、明らかにルカの構成です。読者はステファノの説教を知っているので、族長とモーセ時代の詳細は省略されています。説教は、三部に分けられます。

 第一部(16b-25節)イスラエルの歴史における神の救いの御計画を明らかにしています。神はイスラエル先祖を神の民として選ばれたこと、エジプト滞在中にこの民を大いなるものとし、彼らをその地から導き出されたこと、そして、荒野で四十年の間、彼らの行いを耐え忍び、先祖たち(族長アブラハムたち)に約束されていたカナンの地に導かれたこと、さらに、カナンの地では七つの民(へト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人)を滅ぼし、その土地を彼らに相続させてくださったこと、これは、約四百五十年にわたることでした(エジプトに四百年、荒れ野に四十年、カナン征服までが十年、計四百五十年)。その後、預言者サムエルの時代まで、さばき人(士師)たちを任命し、イスラエルを治めさせ、人々が王を求めたので神は四十年の間(二十年の間とも言われている)、サウル王を与え、それからサウル王を退けて、神の心に適ったダビデを王の位につけました。神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルの救い主イエスを送られたこと、ヨハネが悔い改めのバプテスマを宣べ伝え、イエスを救い主(キリスト)としてイスラエルの人々に示したことです。

 第二部(26-37節)イスラエルに拒絶されたイエスこそ救い主であることを証明しようとしています。エルサレムに住む人々や指導者たちは、なんら死に当たる理由が見出せなかったのに、ピラトに強要してイエスを殺したこと。しかし神は、イエスを死人の中から、よみがえらせたこと、よみがえったイエスは、弟子たちに、幾日ものあいだ現れたので、彼らは、イエスの証人になっていることです。このイエスの十字架のよみがえりとが、旧約の成就であることを立証するために詩篇2:7、イザヤ書55:3、そして「あなたは、あなたの聖なる者を、朽ち果てるままにしてはおかれない」(詩篇16:10)という言葉を引用しています。

  第三部(38-41節)聞く者たちに福音を信じる決断を促しています。「イエスによる罪のゆるしの福音」を、あらためて説き、「信じる者は皆、この方によって義とされるのです」、すなわち、イエスによって神との関係が正しくされることを語り、それを否定すると、どうなるかを、旧約聖書のハバクク書1:5の言葉を引用して、この演説を結んでいます。

 パウロとバルナバが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願いました。また大勢のユダヤ人やユダヤ教に改宗している異邦人たちがついて来たので、二人は、神の恵みにとどまっているようにと勧めました。ピシディア州のアンティオキアに教会が設立されるのです(13:52)。

 「次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。」(13:44)

 ユダヤ人だけでなく、異邦人(ローマ人やギリシア人)も町中の大勢の人が神も言葉を聞こうとして集まってきました。

 「しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。」(13:45)

 するとユダヤ人たちは、その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに、口汚くののしって反対しました。それはパウロに対する中傷ではなく、イエスに対する呪いでした。

 「そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。『神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。』」(13:46)

 そこでパウロとバルナバは大胆に、「神の言葉は、まずあなたがたユダヤ人に語られなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを拒んだ。そのことにより、あなたがたは「自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。」だから、わたしたちはこれから異邦人の方へ行く、と言いました。

 「『主はわたしたちにこう命じておられるからです。【わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。】』」(13:47)

 パウロたちは、伝道の方向拠点の典拠を、【わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。】というイザヤ書49:6の言葉に求めて引用しました。だからと言って、ユダヤ人を見限ったわけではありません。これ以後もパウロはユダヤ伝道によって異邦人が信者になっています。しかし、この事件が地の果てまでの異邦人伝道への決定的な契機になりました。

 「異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。こうして、主の言葉はその地方全体に広まった。」(13:48-49)

 この決定の言葉を聞いて異邦人たちは喜び、主の言葉を賛美しました。多くの入信する者が起こされ、キリストの復活の命にあずかる信者になりました。こうして福音はその地方全体に広まりました。

 「ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。」(13:50)

 ところが、福音に接して信者になるユダヤもありましたが、一方信じないユダヤ人たちは激怒し、上流階級に属する「神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を」扇動し、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から追い出しました。

 「それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。」(13:51)

  主イエスが弟子たちに、快く歓迎されなかった町を立ち去る時にするように言われたとおり(ルカ9:5、10:10-11)、二人は抵抗の徴として「足の塵を払い落とし」て、この町を後にします。しかし、パウロたちは第二の宣教旅行で再訪問します(15:30)。第三宣教旅行の時も、巡回して弟子たちを力づけました(18:23)。

 二人は、この町から東南へ130キロ離れたローマ道の幹線のにある要所、ガラテヤ州のイコニオン(現在のトルコのコンヤ)に行きました。イコニオンは、時代によってフリギア州や、リカオニア州に属していたが、パウロの時代はガラテヤ州に属していたローマの植民地で、そこにはユダヤ人の居留地もありました。

「他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」(13:52)

 伝道者はこの町を去りましたが、彼らが残した弟子たちは、「喜びと聖霊に満たされて」いました。弟子たちの存在からアンティオキアで回心者のバプテスマと教会が形成されたことが推測できます。

  福音の宣教のみ言葉は、一方に「つまずき」、他方に「信仰」という対立を生み出します。ユダヤ人たちは反対し、退けました。異邦人たちは受け入れ、賛美告白しました。十字架のことばは、聞く者を「然り」と「否」に分ける力として働きます。キリスト・イエスによる罪の赦しの福音を退けるか、受け入れるか、人間はみなその選択と決断へと呼び出されるのです。パウロは神に言い逆らい、伝道を妨害する者に対しても、なお神の義とあわれみを信じて疑いませんでした。だから「ユダヤ人から異邦人へ」(13:46)という伝道の方向転換にもかかわらず、ユダヤ人の会堂とユダヤ人が伝道の対象から決して排除されることはなかったのです。むしろ、異邦人とユダヤ人の差別を廃し、キリストによる新しい創造、「地の果てまで」およぶ、すべての人のための一つの体なる教会こそがパウロの祈りでした(13:47)。神にはつまづいたユダヤ人を再び救うことがおできになるのです(ローマ11:22)。このことをわたしたちも信じて、福音を証し、宣べ伝えましょう。

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