富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「メシアの受難の予告とイエスに従うこと」

2015-03-07 14:49:14 | 聖書

            ↑ フィリポ・カイサリア 岩の洞穴はパン神の聖所跡

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

             日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語 『いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しましょう。』

聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」 (フィリピ4:6)

   受難節第3主日   2015年3月8日(日)    5時~5時50分 

礼   拝    

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)  298(ああ主は誰(た)がため)

交読詩編      86(主よ、わたしに耳を傾け、答えてください)

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書   ルカによる福音書9章18~27節       

説 教  「メシアの受難予告とイエスに従うこと」  辺見宗邦牧師

讃美歌(21) 288(恵みにかがやき)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

                                        次週礼拝 3月15日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分 

                                         聖 書  ルカによる福音書9章28~36節

                                         説 教    「山上で栄光に輝くイエス」

                                         讃美歌    132、285

本日の聖書 ルカによる福音書9章18~27節

 18イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。19弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」20イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」21イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、22次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」23それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。24自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。25人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。26わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。27確かに言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国を見るまでは決して死なない者がいる。」

      本日の説教

   イエスはガリラヤ湖の北岸ベトサイダに近い人里離れた所で<五千人に食べ物を与える>奇蹟を行われました。このあと、マルコによる福音書では、イエスは弟子たちだけを連れて、ゲネサレトに行き、そこから北方の異教の地、ティルスとシドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖に戻り、四千人に食べ物を与え、ベトサイダで盲人をいやし、その後フィリポ・カイサリア地方に行き、その途中の出来事として、ペトロが信仰を言い表した出来事を記しています。マタイによる福音書もマルコの記事にならって同じように記しています。

  しかし、ルカによる福音書では、<五千人に食べ物を与えた>出来事のあと、マルコが記した記事はすべて省略して、イエスがひとりで祈っておられるとき、共にいた弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねたと記しています。福音書記者ルカは独自の構想で簡略化して記したものと思われます。

  ペトロがイエスについて信仰を告白した場所を、福音書記者マルコは、フィリポ・カイサリアと記しています(マルコ8・27)。フィリポ・カイサリアはパレスチナの北端(ガリラヤ湖から北東40キロ)に位置する町で、、ヨルダン川の水源に近く、ヘルモン山の南西の山麓にあります。多産の神パンの聖所があり、バニアスと呼ばれていたが、ヘロデ大王はその近くに皇帝アウグストゥスを神格化して礼拝する神殿を建てました。ヘロデ大王の子、ヘロデ・フィリポは皇帝に敬意を表してその町をカイサリアと名づけ、自分の名前もつけて、地中海沿岸のカイサリアから区別しました。現在はバーニヤースという名の、ダマスカスに近い、シリアの南西部のゴラン高原の都市です。古代から異教の自然神バールが祭られ、ギリシャの神々も祭られるようになっていた地です。

  イエスは、この地方を訪れた時から、ガリラヤ宣教を終えて、弟子たちと共に、受難の地・エルサレムへの道へ向かいます。イエスの一行は十字架へ向かう新しい段階に入ることになります。  イエスは弟子たちに、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」と世間の評判を尋ねました。弟子たちは、復活した<洗礼者ヨハネだ>と言っています、預言者<エリヤ>の再来だと言う人も、エレミヤのような<昔の預言者>が生き返ったのだという人もいます、と答えました。この弟子たちの答えは、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスが聞いた民衆のうわさ(ルカ9・7~8)と同じです。ガリラヤの民衆はイエスを、神が終末の救済のために送られた預言者の一人と見たのです。

  イエスは弟子たちに、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われました。ペトロが弟子たちを代表して答えます。「神からのメシアです。」キリストの復活前は、ペトロはイエスを<預言者の一人>としてではなく、預言者以上の神の人としての「メシア」という表現で信仰を表しました。<メシア>とは、ヘブライ語のマーシアハמשיחのカナ表記で、油を注がれた(者)」を意味する語です。終わりの日にイスラエルに遣わされる救済者の称号となっていました。で「油を注がれた(者)」を意味する語であり、終わりの日にイスラエルに遣わされる救済者の称号となっていました。ペトロたちは、イエスこそイスラエルが待ち望んでいた<メシア>だと言い表したのです。これまでイエスの権威に満ちた教えを受け、力ある業や奇蹟を目撃してきた弟子が、イエスをメシアと信じたのです。ペトロの信仰表明は、イエスが選んだ弟子たちにだけ与えられた啓示でした。後に、イエスは祈りの中で、「父のほかに、子がどういう者でああるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません(ルカ10・22)と祈っています。

   <メシア>と訳されたギリシャ語原文は、小文字で始まる<クリストス>という語が用いられています(ネストレ22版ギリシャ語新約聖書による)。これは「油を注がれた者」を意味するヘブライ語メシアのギリシャ語訳で、普通名詞として扱われています。固有名詞の救い主「キリスト」の場合は大文字で表記します。イエス・キリストは、大文字で始まる<クリストゥ・イエスゥ>と表記します。

   口語訳聖書では、ペトロの信仰告白を「神のキリストです」と訳していますが、これはイエスの復活後に成立した教会の復活信仰の投影です。共同訳聖書では、「神のメシアです」と訳しています。これは、まだキリストの復活を知らない弟子たちの信仰告白なので、そのように訳したものと思われます。

   ペトロの告白には受難のイエスへの理解が欠けていました。受難のイエスに従う気構えのない弟子たちにはイエスがメシアであることを語る資格はありません。イエスはペトロの告白を聞いたあと、このことはだれにも話さないように命じました。彼らが黙っていなければならない内容は、イエスが苦難を受けなければならないメシアであることです。人々には、「メシア」と、メシアの苦難・拒絶・死という考えを結びつけることができませんでした。弟子たちにもできなかったからです。

   イエスは次のように言われました。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」

    ここで初めてイエスはエルサレムで受けねばならない苦難の使命について述べ、自分の間近い死を弟子たちに予告しました。復活についてはこれまで全く話されていませんでした。苦難の予告は受難が起こったときに、弟子たちがつまずくことがないように、あらかじめ語られたのです。

   イエスは、<メシア>と告白した弟子たちの言葉を、受難して復活する自分のことを<人の子>ということばで表しました。それは<メシア>という言葉が含む誤った政治的意味を全く持たない言葉でした。<人の子>は旧約聖書では、<人間>を表すのに用いられていますが(詩編8・5他)、そのほかにダニエル書7・13~14では、「見よ、『人の子』のような者が天の雲に乗り、…権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない」と、神の権威を受けた<人の子>を描いています。イエスは自らを、神の権威を持って終末的に現れることが期待されていた<人の子>であると同時に、<主の僕の苦難と死>(イザヤ書52・13~53・12、詩編22篇118・22)の預言を成就する、<人の子>と自称したのです。

 イエスは、これから向かうエルサレムでは、弟子たちの予想とは全く異なって、最高法院を構成する、長老、祭司長、律法学者たちから排斥され、最高法院の判決で殺される運命にあることを打ち明けます。「必ず…ことになっている」と言います。イエスの苦難と死と復活は、究極的に神の意志を実現するために必然的な事であると語ります。それは、神があらかじめ決定していたことであり、旧約において記されていたことの成就なのです。<三日目に復活する>というとき、三日は厳密な時間を指すのではなく、神が自ら介入して彼を必ず救うという、神の救いの確実性を表すユダヤ的な用語です。

 「それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。24自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。」

 イエスは皆に言われた、とあります。皆とは、十二弟子たちだけでなく、他の弟子たちも含むのでしょうか。しかし、そこにはイエスと十二人の弟子しかいないのです。<皆に言われた>とは、そこにはいない人達(読者も含めて)に対しても語っているようです。受難予告を聞いた今、弟子たちは新たにイエスに従う決断の前に立たされます。イエスは、<わたしについて来たい者は>と語りかけて、十字架への道を歩むイエスのあとに従ってくることを求めました。イエスに従おうとする者は弟子であっても、教会の信者であっても同じ道を歩かなければなりません。弟子の代表者であったペトロにも、イエスのご在世中には受難の意味が分からなかったが、聖霊をいただいて初めてイエスの同じ苦難の道を歩くことができるようになりました。 

 <自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って>とは、日々とあることから、具体的な十字架の死や殉教を目指すのではありません。イエスに従うとは、自分の判断によって自分の行く道を選ばずに、神のみ心に従うことです。<わたしはキリストと共に十字架につけられた>(ガラテヤ2・20)とあるように、<日々>に、自己中心的な古い自己を捨て、キリストと共に復活にあずかって、<神にかたどって造られた新しい人を着て>(エフェソ4・24)、生きることです。これは人間の努力や熱心によって出来るものではありません。ただ人間以上の力を持たれる聖霊が一人一人に臨むとき初めて可能となるのです。日毎に<試みに逢わせないでください>と主の祈りを祈りつつ、古い自分に死に、キリストにある新しい命に生きることです。イエスの教えた<福音にふさわしい生活を送る>(フィリピ1・27)ために、苦しむことも、恵みとして受けて、イエスに従うことです。 わたしたちは、一日、一日も、自分の思いではなく、主イエスの心をわが心となして歩んでいるかが問われているのです。。

 「自分の十字架」とは、キリストを信じた故に負わねばならない信仰者としての苦しみです。

ある人にとっては家族の中での無理解でしょう。ある人にとっては会社での不利益でしょう。ある人にとっては偶像礼拝拒否の戦いでしょう。人により異なりますが、それが主イエスによって担わされる十字架です。

  <自分の命を救いたいと思う者>という表現は、元来は殉教の死の問題を扱ったものですが、ここでは一般化され、この世での生き方が問題とされています。イエスに従い、イエスと共に生きる生き方でなく、自分本位の生き方を続ける者は、永遠の命を失い、魂を失ってしまうという意味です。

  <わたしのために命を失う者>とは、キリストのために自分の自然的な生命を失うことです。その者には神が永遠の命をという賜物を与えてくださり、彼は自己の魂を見出すことを意味しています。

   自分のあらゆる精力をこの世の目標に集中させて生き、その富と財宝を得るのは人を豊かにするようですが、それはこの世の仮の一時のことであり、それによって神から遠ざかれば無益であると説いています。永遠の命は全世界の富・権力・名誉によっても得られものではありません。ただイエスに従うことによって与えられるものです。

 「わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。」

   <わたしの言葉を恥じる>とは、元来は殉教においてイエスを否認することですが、ここでは一般化され、この世で、イエスとその言葉、福音への態度次第で、終末時のその人の運命が決定するという警告です。<人の子も、その者を恥じる>とは、裁き主としての人の子が、その人を否認して自分の者としての受け入れを拒否するということです。<自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて>とは、三重の栄光に輝く人の子の再臨と神の国の到来を告げています。

  「確かに言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国を見るまでは決して死なない者がいる。」

 神の国の到来の間近いことを約束する終末的な発言です。イエスの栄光に輝く再来は、彼の同時代の何人かがまだ生存中に起こるだろう。それほど「神の国」の到来は切迫している、ということです。再臨が近いという期待は原始教会の信仰の大きな特色でした。終末は、福音がすべての異邦人に告げ広められるまでは、来ないということでもあります

   イエスの栄光に輝く再来は、彼の同時代の何人かがまだ生存中に起こるだろう。それほど「神の国」の到来は切迫している、ということです。再臨が近いという期待は原始教会の信仰の大きな特色でした。終末は、福音がすべての異邦人に告げ広められるまでは生起することがないということでもあります。

   私たちにとって、今イエスとその言葉に対してどのような態度を取るか、すなわちこの地上の生涯においてどれだけ忠実にイエスに従うかが、決定的な意義を持つことになります。

   私は、1990年(平成2年)1月3日、当時56歳だったとき、胆石による胆のう炎の3回目の再発で、仙台徳洲会病院に入院しました。胆のうが 化膿していて、すぐには手術ができない状態になっていました。 胆のう炎の苦しみは、激痛というよりも鈍痛です。4,5日間は水も食事も一切ストップで、点滴だけで過ごし、検査が続きました。死ぬかもしれないと、死を意識しました。そのとき私は死への備えが出来ていないことを思い知らされました。このまま死んでは、身の破滅だと思いました。「天に宝を積みなさい」という主イエスの教えがありますが、天に何の宝も積んでいない、自分本位の生き方をしてきた自分であったことを神に懺悔しました。イエスに従った生き方をしていなかった自分は、死を前にして、神との交わりも、永遠の命も失っていることを痛感しました。このときのことは、2013年8月19日のブログに、証し「神の力は弱さの中で発揮される」 として発表しています。

 81歳のときに、奥様と共に富谷教会の礼拝に来るようになった加藤さんという求道者の方は、92歳で亡くなる前日、養護老人施設の部屋のベッドで、牧師に、次のような文を書を走り書きしてくれました。

「イエスキリスト様 天国は魂の行く処 平成25年7月13日

 先生……有難うございました。」

  そのときの喜びに満ちたお顔が思い出されます。世話して下さった方々に、「自分は幸運な人生だった」と語り、みんなに心から感謝し、喜びながら天国に行かれました。神様のなさる恵みの御業に驚くほかありません。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「神の指による悪霊追放と神... | トップ | 「山上で神の栄光に輝くイエス」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

聖書」カテゴリの最新記事