富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

 「栄華を極めたソロモン王の背信」 列王記上11章1~13節

2014-06-15 15:19:19 | 礼拝説教

             ↑ ソロモンの神殿と宮殿

 

 

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12                                                    TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

 

聖霊降臨節第二主日    2014年6月15日(日)  5時~5時50分 

礼   拝               司会 永井慎一兄

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 204(よろこびの日よ)

交読詩編   72(神よ、あなたによる裁きを、王に) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  列王記上11章1~13節

説 教 「栄華を極めたソロモン王の背信」  辺見宗邦牧師

賛美歌(21)459(飼い主わが主よ)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 

次週礼拝 6月22日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

 説教題 「神の人エリヤ、やもめの息子を癒す」

 聖 書 列王記上17章1~24節

 交読詩篇 27  讃美歌(21)214、 464、 24

 

本日の聖書 列王記上11章1~13節

 1ソロモン王はファラオの娘のほかにもモアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など多くの外国の女を愛した。 2これらの諸国の民については、主がかつてイスラエルの人々に、「あなたたちは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをあなたたちの中に入れてはならない。彼らは必ずあなたたちの心を迷わせ、彼らの神々に向かわせる」と仰せになったが、ソロモンは彼女たちを愛してそのとりことなった。

3彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた。 4ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、他の神々に向かわせた。こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった。5ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべき神ミルコムに従った。6ソロモンは主の目に悪とされることを行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。7そのころ、ソロモンは、モアブ人の憎むべき神ケモシュのために、エルサレムの東の山に聖なる高台を築いた。アンモン人の憎むべき神モレクのためにもそうした。8また、外国生まれの妻たちすべてのためにも同様に行ったので、彼女らは、自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。

9ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。主は二度も彼に現れ、10他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった。11そこで、主は仰せになった。「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。12あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる。13ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない。わが僕ダビデのゆえに、わたしが選んだ都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える。」  

 

本日の説教

 ソロモンは、ダビデ王の妻バト・シェバから生まれた子で、ダビデはその子をソロモン(「平和な」の意)と名付けました。ダビデがバト・シェバを妻とした事件は、サムエル記下11章に記されています。

  ダビデはある日見初めた水浴する美しい女バト・シェバを、自分の家来であるヘト人ウリアの妻と知りながら、召しかかえ、妊娠させただけでなく、ウリアを戦死させ、バト・シェバを奪って自分の妻としました。この王の悪行を、神は預言者ナタンを通して激しく戒めました。詩編51篇は、このナタンの言葉によって、自らの罪を知り、神の前に悔い改めたダビデの心情が歌われています。生まれた子は、姦淫の罰として、七日目に死にました。その後に、バト・シェバから生まれたのがソロモンです。ヘブロンで生まれたダビデの息子の名前がサムエル下3:2~5に、エルサレムで生まれたダビデの子供が、5:13~16に記されています。

  ダビデには多くの妻たちの間に、多くの異母兄弟たちがいたので、王位の継承をめぐる混乱がありました。兄アドニヤとの王位継承争いに勝って、ソロモンは第3代のイスラエル王となりました。

  列王記上の1章から12章までに、ソロモンの即位(紀元前961年頃)から王国の分裂(922頃)までの約40年間が記されています(平行記事:歴代誌上29章21節~歴代誌下9:31節)。

  ソロモンは即位した頃は、「主を愛し、父ダビデの授けた掟に従って歩んだが、彼も聖なる高台でいけにえをささげ、香をたいていた(列王3:3)」とあります。王はいけにえをささげるためにギブオン(エルサレムから約9キロ離れている地)へ行った夜、神はソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われました。ソロモンは、「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください」(列王記上3:9)と、答えたのです。神はソロモンのこの願いを喜ばれ、「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。」と言われ、その願いを聞き届けられたばかりか、求めなかったもの、富と栄光も与えると約束されたのです。「もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら」と言う条件で、神はソロモンに長寿をも恵もうと約束されました。

  ソロモンは、知恵に満ち、数多くの箴言を語り、詩を詠み、その名声は諸外国まで伝わりました。シェバの女王が、多くの難問を携えてソロモンを試しに訪れました。シェバは、アラビア半島南西部、現在のイエーメンの山岳地帯にあった地名と推定されています。この地に移住したセム族のサベア人が、現在のマリブやシルワを中心に住み王国を築きました。彼らは高価な香料や黄金をもった商人として知られていました(詩編72:15)。シェバの女王は、多くの従者を連れ、香料とたくさんの金と宝石をらくだに負わせてエルサレムにやってきました。ソロモンは彼女の出したすべての難問に見事に答えたので、感心し、ソロモンの建てた宮殿などにも感嘆して帰って行きました(列王記10:1~13)。

  ソロモン王は全国に十二人の知事を置き、組織を整え、その支配が国中に及びました。ソロモンは、ユーフラテス川からペリシテ人の地方、更にエジプトとの国境に至るまで、すべての国を支配し、平和が続いたので、イスラエルの国は繁栄しました。

  ソロモンの最大の事業は、エルサレムに「神殿」と宮殿を建造したことです。神殿建造の詳細は、5章15節以下と、6章に記されています。神殿の建築には7年を要し、宮殿を築くには13年、合わせて20年をかけて完成させました。「契約の箱」は、ダビデの治世中は、簡素な幕屋の中におさめられていたが、神殿の至聖所におさめられました。

  「契約の箱」を安置した後、全会衆の前で、主の祭壇の前でソロモンは長い祈りを神に捧げました(列王記上8:23~53)。この祈りに中で、次のような祈りをしています。

  「あなたはこう仰せになりました。『あなたがわたしの前を歩んだように、あなたの子孫もその道を守り、わたしの前を歩むなら、わたしはイスラエルの王座につく者を断たず、わたしの前から消し去ることはない』と。イスラエルの神よ、あなたの僕、わたしの父ダビデになさった約束が、今後も確かに実現されますように。(8:25~26)」

  このソロモンの祈りに応えて主なる神がソロモンに現れ、こう仰せになりました。

   「もしあなたが、父ダビデが歩んだように、無垢な心で正しくわたしの前を歩み、わたしがあなたに命じたことをことごとく行い、掟と法を守るなら、あなたの父ダビデに、…約束したとおり、わたしはイスラエルを支配するあなたの王座をとこしえに存続させる。もしあなたたちとその子孫がわたしに背を向けて離れ去り、わたしが授けた戒めと掟を守らず、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、わたしは与えた土地からイスラエルを断ち、わたしの名のために聖別した神殿もわたしの前から捨て去る(9:4~7)。」

   しかし、やがてソロモンは老境に入ったとき、この「神への信仰」をないがしろにし、まことに愚かな王となってしまうのです。ソロモンの背信とその結果が、今日の聖書の個所11章に記されています。

  ソロモンの背信の原因は、主としてエジプトの王女をはじめ、モアブ、アンモン、エドム、シドン、ヘトなどの外国人の女を愛したことにあります。彼は貿易で利益を得るために諸外国の王の娘たちと結婚しました。この妻たちが彼の心を迷わせ、他の神々に心を向けさせたのです。

 七百人の王妃、三百人の側室などの外国人の王妃が王宮の中に他の神々を持ち込むのを、ソロモンは止めることはせず、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の神ミルコム、モアブ人の神ケモシュ、アンモン人の神モレクなどの礼拝所を、エルサレムの東のオリーブ山に、造って与えました。ソロモンは主の目に悪とされることを行いました。

  そのことに対して神はお怒りになりました。主は二度も彼に現れ、他の神々に従ってはならないと戒めらえたのに、ソロモンは主の戒めを守らなかったので、やがて王国を二つに分裂させると主は仰せになりました。

  壮大な建築事業のために、莫大な財源を必要としました。また、豪華な宮廷生活にも大変なお金がかかりました。王国の維持のために、必然的に人間の力や知恵に大きく依存しなければならなくなりました。「ソロモンの繁栄」と言われた輝かしい時代でしたが、そのかげで、王は財力を得るために人民に苦しみと犠牲を求めました。ソロモンの出身のユダ族を除く他の部族の人々は、強制労働に駆り出され、徴兵制度、徴税制度などが課せられたので、国内に不満が増大しました。

   エフライム族のヤロブアムは、ソロモンの有能な家来でありながら、やがて王に対して反旗を翻すに至りました。ヤロブアムは一時敗れてエジプトに亡命したが、ソロモンの死後民に迎えられ、北部10部族を率いる北王国イスラエルを建国し、初代の王となりました。南部では、ユダ族とベニヤミンの小部族だけが、ソロモンの息子のレハブアムの支配領域として残り、南ユダ王国となりました。ソロモンがエルサレムで全イスラエルを治めたのは四十年でした。こうして、サウル、ダビデ、ソロモンと三代続いた統一王国も、100年にして、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂してしまうのです。

  旧約聖書において最も知恵ある人は誰かと問われれば、多くの人がソロモン王と答えるでしょう。また、イスラエルが最も繁栄した時代はいつかと問われれば、やはりソロモン王の時代と答えるでありましょう。最も知恵があり、最も富を得た人、それがソロモン王でありました。ダビデ王によって領土を広げたイスラエルは、次のソロモン王の時代に、その繁栄の頂点に達しました。栄華を極めたソロモンでしたが、老年になってからは、神よりも人からの賞賛や栄誉を求め、財力や権力におごりました。天に富を積むことよりも、地上に富を積むことに夢中になりました。

  主イエスは、「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」(マタイ6:19、ルカ12:27)と、ソロモンの贅沢のかぎりをつくした豪華な服を風刺し、野の花の美しさをたたえています。この栄華を極めたときのソロモンよりも野の花のほうが美しい、とおっしゃったイエス様のおことばは、私たちに必要なものはいつも必ず神様が供えてくださるから、何も心配しなくていい、という教えであり、同時に、私たちが必要以上のものを、自分の欲を満たすために追い求めようとすることへの厳しい戒めでもあります。ソロモンの老境に入ってからの神への背信を教訓とし、神様から与えられているものに感謝し、満足することを知り、たとえ生活は貧しくとも、心は富んで豊かでありたいものです。生涯も最後まで、無垢な心で、ひたすら正しく神の前に歩む者でありたいと願います。

 

 

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