塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

中国リーグの外国籍選手たちはどうして移籍を悔やむのでしょうか。

2022-04-21 21:52:30 | 日記
 中国スーパーリーグの風景は数年前とは一変してしまいました。

 リーグ・スポンサーがナイキ一括方式という形に変化はありませんが、経営が崩れ撤退したクラブもあれば、クラブ名を変更して今季を戦うクラブもあります。

 ただよくわからないのは、高額報酬が約束されていた時代、どうして移籍してきた外国籍選手たちがすぐに

 「欧州に戻りたいな」
 「もう中国スーパーリーグではプレイしない」

 と考えるようになったのか、という点です。

 kリーグ・クラシックスやタイ・プレミアリーグなど他のアジア諸国の事はわかりませんが、少なくとも(幸運でもありますが)来日した選手たちは

 「日本を新天地に求めたことは失敗だったね」
 「帰国を検討している」

 という話は耳にしません。

 1993年、94年といういったプロにはなったものの、運営も選手意識もフロントの動きも、プロ的発想がまだ身についてはいない、日々学び精進している時期には、移籍が上手くいかなかった事例もありました。

 ただ中国リーグの外国籍選手が漏らすほどの大きなため息ではなかったと思いますし、むしろ中国リーグの現状やう園医を学ぶことは

 「この点が外国籍選手にとっての違和感だったのか」
 「選手は高い報酬よりは当然大切に思うが、人として大切に扱われているという気持ちの方が大切なのではなかろうか」

 という判断材料が見えてくる気がしませんか。

 ガンバ大阪に在籍するパトリックが日本文化にほれ込み、毎日必死に書き取りをして学んでいる姿は、ガンバ大阪のファン以外にも広く知られています。

 彼のように来日してよかったと思える選手がいることは、Jリーグにはかけがえのない出来事と言えますよね。
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とある漫画の台詞から

2022-04-21 21:26:56 | 日記
 僕はマンがに精通していません。

 週刊少年サンデーの愛読者にとって、漫画家あだち充は特別な存在だと思いますし、僕個人も「タッチ」「ラフ」「H2」と連載されていたことや、テレビアニメ化されたことくらいは知っていますが、その程度の話です。

 ただ、H2というあだち充の「十八番」である野球を題材にした漫画を読むと、単純に「このセリフを執筆するために、物語をここまで紡いてきたのか」と、ただただ感服したほどです。

 主人公の国見比呂は千川高校の野球「同好会」に所属していましたが、理由あって野球部となります。

 その野球部の女性マネージャーになったのが「古賀春華」で、最終回だったでしょうか、比呂が「メジャーリーグ」と言葉を継げると彼女は

 「じゃあスチュワーデスは私だ」

 と答えるんですよね。

 タッチでは「上杉達也は朝倉南を愛しています」「世界中の誰よりも」「30年後にまた言ってやるよ」という、愛情表現を隠すことなく直接的な会話が読者をくぎ付けにしたはずですが、H2では湾曲的なセリフであるにも関わらず、僕のように深く感銘を受けた方は多いと思うのです。

 実はH2の連載は今確認しましたら1992年から99年にかけての事で、あだち充は野球の場面をタッチ以上に正確に描くことで、当時劇的な盛り上がりを見せていたサッカーに対抗してやろう、と考えていたそうです。

 1992年 ヤマザキ・ナビスコカップ
 1993年 Jリーグの開幕 日本代表の劇的人気
 1994年 三浦知良イタリアへ
 1997年 日本代表ワールドカップ出場へ
 1998年 日本代表フランス・ワールドカップを戦う
 1998年 中田英寿イタリアへ

 これらを準に追っていても、野球という競技にサッカーは相当の重圧をかけていたのでしょうか。

 それから30年後、記事の多くは野球の方が見出しが大きく、振出に戻っている気がしますがね。
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30年前の日本サッカーを思い出して

2022-04-21 21:17:38 | 日記
 1990年代の週刊少年マガジンの看板作品であった大島司原作の「シュート」

 静岡県の掛川高校サッカー部に在籍する久保嘉晴は、万人が求める将来の日本サッカー水先案内人であり、主人公の田中俊彦は久保の背中を見て、掛川高校に進学します。

 最終話において田中俊彦はレアル・マドリードに在籍していることが明らかとなりますが、久保は物語の設定上、両親の仕事においてドイツ滞在を経験し、ルディ・エリックという高校生でフランクフルトの背番号10を背負う男と生涯の友になります。

 久保が両親と共に日本に帰国することを告げると、空港まで見送りに来たルディは

 「どうしてなんだ!!」
 「お前がプロのない国に帰るなんて」

 と訴えかけます。

 久保は急性白血病を患っており、他界してしまうのですが、本場ドイツでもサッカーへの情熱、そして実力が稀有な代物だったという話なんですよ。

 そう。今では考えにくいですが、日本においてサッカーを応援する事、プレイする事、そしてプロになることは「日常」ではなかったのです。

 しかし今は日本人選手の多くがブンデスリーガで違和感なくプレイしていますし、ベルギーやスコットランドでもその評価が急上昇していますね。

 ただ、今後はバイエルン・ミュンヘンのようなUEFAチャンピオンズ・リーグの優勝最右翼のような老舗が、お金を払って獲得希望する選手が育つかどうか、というある意味でぜいたくな悩みが出てきています。

 その点ではイラン代表は先を言っており、アリ・カリミとアリ・ダエイはバイエルンに在籍経験を持ちますし、今冬ではアズムンがバイエル・レヴァークーゼンに移籍しました。

 今、世界中どこに出かけても

 「日本では野球の方がサッカーよりも人気だろう」
 「日本人はサッカー出来るのか」

 と聞かれなくなりましたが、その話はわずか30年前までは現実だったという点、忘れてはいけませんね。
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