塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

新型コロナウイルスワクチンについて思う事

2022-04-20 20:45:26 | 日記
 僕は来月上旬、個人病院で3回目となる新型コロナウイルスのワクチン接種を受けます。

 前回は地元の千曲市が用意した集団接種会場で受けましたが、今回は予約の段階で集団接種会場を決めかねているとのことで、自宅から一番近い診療所を選んだ次第です。

 AFCチャンピオンズ・リーグに参戦するJクラブは、必然的に海外遠征を余儀なくされます。

 過去、川崎フロンターレがイラン遠征をした際、イランでは通常女性が宗教的価値観の下、スタジアムでの観戦を認めておらず、交渉の末ようやく日本女性がスタジアムに入場する許可が得られました。

 このように宗教的価値観という、その国独特の風習であるならば、まだ尊重、交渉の余地は残されていますし、性別関係なくスタジアムに入場できます。

 しかし南米予選、ブラジル代表対アルゼンチン代表の一戦に見られる、隔離機関をアルゼンチンの主力選手たちが順守できなかった、という理由でブラジルの保健当局がスタジアムに乗り込んだ、という事例があるように、新型コロナウイルスは現地の医療体制に大きく関与してしまいます。

 もっと酷な言い方をすれば

 観客とファン、保険当局皆の命がかかっている
 そのため、安易な渡航は厳禁

 という形になることは否めません。

 日本代表が6月、キリンカップを軸に4試合行いますが、対戦相手の交渉は現状を考えれば難航しているのではないでしょうか。

 実は僕もワクチン接種の前は、おっかなびっくりでできれば「避けたいな」と思っていたのですが、接種が終わってみると想像していたよりもそうひどい出来事ではなかったと感じました・

 ワクチンはどの製薬会社も突貫工事で作っています。

 その不安が解消されれば普及率が上昇するのではないでしょうか・
 
 
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数字、それは真実か

2022-04-20 20:36:31 | 日記
 経済紙や経済の専門書を読むと、数字に強くなりなさいと指摘があります。

 僕の勤務先でも課長は毎日のように、数字と数値について口出し(僕はシャウトと勝手に呼んでいますが)するのも、数字は嘘をつかないことを確信しているためでしょう。

 でもそうでしょうか。

 マイケル・ルイスが手掛けた「マネーボール」は、新しい数字の概念を生み出しましたし

 「アウトになる可能性があるから盗塁はするな」
 「無駄にヒットを狙うくらいならば、四球や死球でファースト・ベースを目指せ」

 というように、ホームランの数や査定の代名詞でもある盗塁数と打率を無視しましたよね。

 数字は嘘をつく、少なくともビリー・ビーンはそう考えていた思うのです。

 サッカーもそうですよね。

 サッカーはそんな形でも得点は常に1得点です。

 例えばJ1クラブの選手が、アマチュアと対戦する天皇杯で得点をたくさん奪うことよりも、ダービーで得点を奪う、しかも敗戦濃厚な勝負をドローに持ち込む、ファンも指揮官も安堵する得点だった、これも同じ1得点ですが評価は後者の明らかに上です。

 つまり、経営と競技では数字の感覚は大きく異なり、したがってプロ野球のように今でも親会社からチーム運営にかかわる人物と選手では、視点に相違があるのではないかと感じます。

 Jリーグもフロントはまだまだアマチュア的という見解もありますが、少なくともプロ野球よりはプロ的運営がなされているように思いませんか。

 それは上位に食い込めば賞金の額が増え、AFCチャンピオンズ・リーグへの参戦と人気選手が代表招集を受け、必然的にファンがお金を使いたくなる一方で、降格してはすべてが出直しになるためです。

 僕はスマートフォンにも数字にも「音痴」なのですが、出来る人は数字に強いという点に案外「落とし穴」が潜んでいるようにも思えます。
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意図的に自分を大きく見せること

2022-04-20 20:26:14 | 日記
 かつて米国西海岸を代表するヒップホップ・グループ「NWA」が存在しました。

 彼らは今でも語り草である「ファック・ザ・ポリス くたばれポリ公、死ねポリ公」を世に送り出したグループであることでも知られ、発売当時は全米が騒然となったのです。

 グループの中心人物であるドクター・ドレは、西海岸と東海岸、そして南部を問わずヒップホップの世界で第一人者であり続けいる一方、同じようにグループの顔であったアイス・キューブはフェニックス工科大学を卒業した、教養ある人物なんですね。

 ですからキューブは自身の口で

 「確かに僕の書くラップは歌詞が過激だ」
 「でもね、それは想像の産物なんだよ」

 と告白しています。

 言い換えれば犯罪映画を手掛ける脚本家や、ミステリーを描く小説家とやっている内容に変化はないという事です。

 サッカー選手も同じではないでしょうか。

 イタリア代表 マリオ・バロテッリ
 フランス代表 エリック・カントナ
 イングランド代表 ショーイ。バートン

 口が悪く、マスメディアから様々な事柄を書かれている(大半は偏見と誤解、語弊に満ちていると言いますが)、彼らも自分を「意図的」に不良のように見せることで、大衆の支持とクラブを揺さぶっているように思うのです。

 監督ならばホゼ。モウリーニョとブライアン・クラフ、そしてヨハン・クライフと、UEFAチャンピオンズ・リーグと前身のチャンピオンズ・カップ優勝監督は、相手を挑発する、痛罵することを当然と思い、駆け引きの材料のように見ていました。

 逆に自分を意図的に大きくみせることで、マスメディアをけん制していたのかもしれません。

 僕には到底できない真似ですし、少なくとも「くたばれポリ公」とは言えませんが、日本でも冤罪はなくならず高圧的な態度が問題になることは減少していないことも確かです。
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