塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

チェイス・アンリ、進路はブンデスリーガ

2022-04-08 21:36:27 | 日記
 パリ五輪出場を目指す日本代表の指揮官大岩剛氏。

 指揮官が今後も重用するであろうセンターバック、チェイス・アンリがJ1で研鑽を積むのではなく、ツヴァイ・カンプと表現される対人の動きが強い、ブンデスリーガでプロになる事を明らかにしました。

 彼の事例は今後、全く珍しい形ではなくなってゆくでしょうし、J1クラブも高校生を入団させる際に、他のJクラブだけでなく欧州主要クラブも競争相手なのだ、という意識を強く持つようになると思いますね。

 現在、横浜F・マリノスに在籍する宮市亮。

 彼が愛知県の中京大学中高高校から、一気にアーセナルの門戸をたたき、フェイエノールト・ロッテルダムやボルトン・ワンダラーズで活躍したことは、2010年代の日本サッカーにとっては、やじゃり画期的事実だったと思います。

 ただ、宮市自身が思いもよらないほど、あれだけの重傷を負っても引退することなく、J1でサッカーを続けることの方が、欧州クラブを渡り歩いたという事実以上に素晴らしいと感じますし、ザンクトパウリのファンも、宮市の諦めない姿を見守っていたに違いありません。

 ちなみにレオ・メッシも母国アルゼンチンでプレイした経験を持ちません。

 メッシの場合、FCバルセロナと契約し家族とともに移住する事になったのは、バルセロナが父のホルヘ・メッシに職業を提供し、同時に成長ホルモンの分泌で悩む彼の治療代金を負担する事を申し出た為でした。

 Jクラブもアジア枠を最大癌活用することもそうですが、現地とプロ契約を迎える前に日本に移住させるくらいの強引さが、今後必要かもしれません。

 ただ、アーセナルがセスク・ファブレガスをFCバルセロナから「かすめ取った」ように、青田買いに近いことはクラブ同士で軋轢を生む可能性はあり、適切ではないかもしれませんが、プロ契約以前であれば理にかなっているとも感じます。
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プロの裾野を拡大するために

2022-04-08 21:13:21 | 日記
 夕飯を食べながら、日本テレビが放送した「宝塚歌劇団入学」の模様を視聴しました。

 最初から見ようと思っていたわけではなく、勤務を終えてテレビを突けましたら偶然この映像が飛び込んできたので見た、という形ですが。

 ブラジル・サッカーの底辺が常に広いのは、有名、無名関係なくクラブが常に入団テストを行ってきたためではないでしょうか。

 現在はどうかわかりませんが、プロ契約を勝ちとるまで何度も落選している名手が多々存在します。

 例えばカフーはそうですね。

 サンパウロFC在籍中、コパ・リベルタドーレスとコパ・トヨタで優勝
 2002年は横浜でFIFAワールドカップ優勝を味わう
 ACミランでは2003年と2007年にUEFAチャンピオンズ・リーグを、2004年にはスクデットを味わう
 ミラン移籍前のASローマでも、スクデットは獲得済み
 中田英寿、フランチェスコ・トッティ、フェルナンド・レドンドにガハ・カラーゼなど、多様な国籍の選手たちと共に歩んできた

 これだけの優勝を体験し、ブラジル代表のライト・フルバックの重責を務めあげた名手でさえ、幾度もプロテストに落選したと聞きました。

 例えがことなるかもしれませんが、何度も履歴書を書き直し面接に挑んでも、企業から採用通知をもらえない学生さんたちに、有機を与える事例加茂しれません。

 サッカーが好きという限定的な話ではありますが。

 日本もJ1,J2,J3とプロのカテゴリーが3種存在するわけですが、通年通じてプロテストを行うことはできないのでしょうか。

 企画したらリーグの規則に抵触してしまうのでしょうか。

 よく年末の合同トライアウトやアンダーの新規セレクションの話は聞きますが、ブラジルのように失敗しても「次」はある、という概念を選手、子供たちに植え付けても良いのと思うのです。

 だって、落選した選手が他のクラブに目を止めてもらう可能性は捨てがたいすよね。
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以前のブログにご意見を頂戴して

2022-04-08 21:01:10 | 日記
 以前お話しした「往時のプーマスパイクからマラドーナを思う」に対し、ご意見を頂戴しました。

 寄せていただいたパッカード様、ありがとうございます。

 頂いたご意見を丁寧に拝読いたしました。

 世代によってプーマ契約選手の印象は異なりますが、46歳の僕からしますとやはりプーマと言えば三浦知良とスフィーダという印象が強く、同世代でいえば父親がプーマ工場で働いていたドイツ代表のロタール・マテウスも忘れてはいけませんね。

 ただ、今の若い方でプーマと言えばネイマールになるのでしょうし、仮に三笘薫が保有権を持つブライトンに移籍し、その枠に収まりきらないくらいの活躍をすれば、プーマはインターナショナル戦略として、この日本代表を重用する可能性があると僕は思っています。

 またル・コックに関心があるともおっしゃっていますね。

 ジーコはディアドラの印象が強いものの、ル・コックを着用していた時期がありました。

 また来日当時のドラガン・ストイコビッチはプーマ愛用者でしたが、選手生活の晩年はル・コックを履いて名古屋グランパスエイトのけん引役として責任を背負っていました。

 日本代表経験者でいえば橋本英郎がそうですが、僕はむしろ

 2004年欧州選手権フランス代表
 ASローマからインテル・ミラノに移籍した2007年に大活躍

 を見せたオリビエ・ダクールを連想します。

 彼は最終的にナイキを履きますが、2007年シーズンに見せたインテルでのかじ取り役は、指揮官ロベルト・マンチーニも大助かりだったに違いありません。

 このシーズンは同じフランス代表のパトリック・ヴィエイラの体調が万全でなく、中盤センターの存在役がダクールになったためでした。

 またご意見を頂けたら幸いです。

 本当にありがとうございます。
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