塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

セルヒオ・ラモス、新天地は日本か

2022-04-01 11:01:54 | 日記
 セルヒオ・ラモスが在籍1年余りでパリ・サンジェルマンを退団し、日本に行くのではないかとの声があります。

 この背景にはセルヒオ・ラモスが今季、ミズノと正式契約を交わしたことも多く、当然移籍先に挙がるのはヴィッセル神戸という形です。

 スペインでは仮にセルヒオ・ラモス移籍がヴィッセル神戸となれば、フェルナンド・トーレスとダヴィド・ビジャに続く、かつての王者が加入するとの声がすでにあがり、欧州選手権優勝2度、ワールドカップの優勝1度経験している彼の成績を伝えています。

 彼はUEFAチャンピオンズ・リーグを4度も勝ち得ています。

 AFCチャンピオンズ・リーグで頂点に立つことを考えている神戸首脳陣からすれば、重圧のかかる部隊を幾度も経験し、慌てふためくことはないであろうセルヒオ・ラモスの加入は、高額報酬は必要とは思いますがメリットもあるのではないでしょうか。

 同じスペイン出身のボージャン・クルキッチによれば、スペイン国内ではまだまだJ1は認知されていない一方、彼自身はJ1は非常に好選手が多く、競争力に満ち溢れていると言います。

 ボージャン・クルキッチはスペインだけでなく、イタリア、イングランド、カナダにオランダ、そして日本と多様なリーグに在籍経験を持ちます。

 つまり、Jリーグ全体のレベルがどの国に近く、より魅力的で競争力あるリーグにするには、ここを改善すればよいと指摘ができる存在だと思うのです。

 MLSは拡大路線
 Aリーグはサラリーキャップとマーキー・プレイヤー

 というように、Jリーグと競合するであろうリーグは独自の運営を持ち、それはクラブライセンス制度で経営面を示唆している僕たちも同湯でしょうが。

 だからこそ外国籍選手の獲得方法にはそれぞれの方法論があると言えそうです。
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人間が一瞬だけ輝く瞬間

2022-04-01 10:46:19 | 日記
 シュティファン・ツヴァイクは

 「他人には必ず輝ける一瞬がある」

 と唱えたそうですが、ワールドカップにも同様の事例はあります。

 1990年イタリア大会準決勝イングランド代表対ドイツ代表戦、カード累積のため仮に勝利しても決勝戦に出場できないを知って流したポール・ガスコインの涙は、プレイに関係なくともガスコインのサッカー人生において、最も人々の胸を打った瞬間だったと言えます。

 2014年ブラジル大会、予選ラウンドの日本代表対コロンビア代表戦において、ホセ・ぺケルマンは勝利が確定(スコアは4-1)した後、43のGKモンドラゴンを起用し、日本代表は屈服するわけですが、コロンビア代表にはそうでもしなければ忘れることのできない過去がありました。

 ペレが優勝候補に挙げた1994年米国大会のコロンビア代表。

 フレディ・リンコン、ファウスティーノ・アスプリージャ、そしてカルロス・バルデラマは沈黙したまま大会を去る
 帰国した瞬間、DFのエスコバルが暗殺される

 という考えたくもない事件に遭遇します。

 モンドラゴンはワールドカップ史上最年長GKとしての出場になりましたが、ぺケルマンの起用には彼に「華」を持たせながら、同時に1994年の痛手は忘れて新しい未来を築くことにしないか、というコロンビア国民への伝言だったような気が、僕にはするのです。

 その1994年米国大会、ロシア代表のオレグ・サレンコは6得点で得点王(ブルガリア代表のフリスト・ストイチコフを分け合う)になりますが、それは予選ラウンドのカメルーン代表戦で、いきなり5得点を挙げたためで、まさに冒頭の言葉を具現化した形です。

 ワールドカップは多くの喜びだけでなく、悲しみも陰惨もおびき寄せてきました。

 1966年ワールドカップの際には、ジュール・リメ杯が行方不明となり、2002年はきな臭い形で共同開催に落ち着くなど、混乱もありましたが、全てが正論でないためにワールドカップは支持されているという側面がある気もするのです。

 
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正統性という名の意味合い

2022-04-01 10:32:12 | 日記
 島地勝彦に言わせると「今日の異端は明日の正統」という言葉があるそうです。

 1980年代までサッカーにおける守備戦術はマン・マークが基本であり、この方法論を崩したのがリベロでしたが、2ストッパーは対人でした。

 しかしアリゴ・サッキはマン・マーk、言い換えれば1体1の方法論を崩し「1体複数」に変化させた瞬間、世界は一変します。

 ジョバンニ・トラパットーニに代表される、マン・マークで守備を構築する指揮官は古臭いと断罪され、最終ラインをフラット4のライン・ディフェンスで構成し、最前線からその最終ラインまでの距離をとにかく短くし、その空間の中で試合を展開するゾーン・プレスの方法論。

 僕はゾーン・プレスを

 「同時に二つの事を行う事」

 と訳しますが、実際ACミランで方法論を「正統化」させた瞬間、ゾーン・プレスが「正統」になった瞬間でした。

 時を経だてた2006年、日本代表監督イビチャ・オシムは3-3-2-2の布陣を採用し、最終ラインはマン・マークを採用し、、対人こそが守備を構築する基本だと改めて示します。

 一方でマン・マークは強固を思える反面、マークを外された瞬間に「フリーマン」が生まれてしまうという構造的欠陥があり、マン・マークの占有率が多かったイタリアでさえ、採用が少なくなったほどです。

 リベロも当初は異端だったと思いますが、フランツ・ベッケンバウアーという代名詞と共に、世論はその優位性を説く一方、現在は距離を長くするということで採用する指揮官はまずいません。

 つまり、正統性という概念は時代と指揮官の構想により大きく変化するということです。

 ちなみにベトナム代表のように5-4-1を敷く代表は完全に少数ですし、むしろ日本代表がワールドカップで戦う際は、相手最前線にもっとオープンスペースがあるであろう、予選とは矛盾する光景があると感じませんか。
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