塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

限定された公的イメージを保つむずかしさ

2014-08-16 01:33:57 | 日記
 先程放送を終えたテレビ朝日系列で放送されている「匿名探偵」

 今回は花形女性アナウンサーの周囲で起きた事件を、探偵が解決してゆくというものでしたが、誇張している部分はあるにせよ、女性アナウンサー同士の諍いはやはりあるのでしょうね。

 女性アナウンサーが花形だと言えるのは、報酬はともかく何度も行われる面接を突破し、名門と呼ばれる大学、女学院を卒業していなければ、出発点にすら立てないことからもわかります。

 でも、

 「限定された公的イメージ」

 の中で暮らすのは、僕たちが思う以上に神経を使うと言えます。

 サッカーの世界でも、この公的イメージを選手が守るように言われていてますし、クラブ広報は選手達が取材、インタビューに答える際の模範解答や服装、嗜みを伝えています。

 でも、そのイメージ、言い換えれば選手の資質とは異なる個性を順守しすぎると、逆に

 「この選手はこんなはずじゃない!」

 という反発を生んでしまいます。

 でも、この現象、勝手に

 「この選手はこうだよね」

 と思い描く、僕たちサッカーを観る側の問題であり、選手本人を勝手な億層、想像の世界に縛り付けることは出来ませんし、その価値観の相違で糾弾することはあってはなりません。

 ベッカムがレアル・マドリードに移籍した際

 「肖像権の有無」

 を頑なに尊重しました。

 今のサッカーは選手の実力よりも、代理人の発言、そしていかに肖像権、言い換えればファンに良い印象をもってもらえるかが、選手生命を伸ばす要因になります。
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