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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ザッケローニの胸中を推測する

2013-07-14 21:56:15 | 日記
 「ところが今ではサブの多くからほとんど話しかけられないという声が聞こえ、レギュラーとサブがはっきりと分けられ
  てしまった。」

 この文章はサッカー批評63号3ページに掲載されています。

 記したのは飯尾篤史氏で次にこういう文章を続けています。

 「もともと私はちゃんと見ているよと言う事を選手に感じさせるのが上手い監督なのだ。」

 この点を指摘されているのはザッケローニ日本代表監督で、この号のカバーもイタリア人指揮官が飾っていますが、飯尾
氏と同調する方は多いはずです。

 就任当初は李忠成、細貝萌など底上げのために呼んだ選手を比較的長い時間使うことで、遠藤のような常連選手が持つ「間」
を戴冠させ、時間の流れを体感させていました。

 しかしその後は宮市、大津など招集されてもほんのわずかな時間しか与えられない選手、久保、東、工藤のように招集のみ
という形も幾つか見られました。

 現在の代表に見られる

 「先発と控えの断層」

 は特にジーコ政権下で指摘され、幾度となくジーコに説明が求められてきたものですが、どうして現体制でも浮き出てしまっ
たのでしょうか。

 僕が思うにザッケローニそのものが、アジアを体感するためだったと思います。

 来日するまでイタリアでしか暮らした事がない彼からすれば、東西に広く加えて地域間でサッカーの体型が異なることを、あ
のアジアカップで痛感したのでしょう。

 確かにルクセンブルクにサンマリノなど、ワールドカップ予選に参加することが名誉というような国が欧州には存在し、ファン
はイタリアやドイツのような強国が訪れることを、むしろ楽しく感じます。

 一方でアジアはアラブ諸国のような独特な応援風景、イラン、つまりペルシャは欧州に近いサッカーを行い、韓国のように日本
よりもフィジカル・コンタクトに長けた国など、その様相は様々です。

 ですから、監督と代表スタッフだけが選手よりもアジア遠征の機会に乏しいことを考慮すれば、ある程度選手を固めた方が得策
と考えた。

 僕はそう推測します。

 ただ今後も顔ぶれが変わらないようであれば、やはり再考の余地がありますが。

 
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サッカーにおける「ぶれる」の中身

2013-07-14 17:36:14 | 日記
 サッカーにおいてしばしば批判される事柄に「ぶれる」という言葉があります。

 ぶれる、即ち土壇場で戦術を変更する、本番直前まで繰り返してきた事柄を180度方針転換する、つまり監督の決断が
迷いに溢れていると思われる点を指しています。

 記憶に新しいのは2010年の日本代表ですね。

 国内でセルビアと韓国に連敗し、カメルーン戦直前で布陣を4-1-4-1に変更し、阿部と楢崎の起用に踏み切った岡田
監督の決断は賛否を巻き起こしました。

 では日本代表に限らずぶれる要因は何でしょうか?

 答えは

 「対戦相手があってこそのサッカーである」

 と僕ならば答えます。

 監督によっては対戦相手によって最終ラインを4枚、3枚と変更しますし、岡田監督のように布陣そのものを変更すること
もあります。

 しかし最終ラインの変更はよくあることで、周囲はこの点をぶれるとは指摘しません。

 むしろ

 「相手の長所を消すことは有意義」

 と考えますし、逆に今まで準備してきた事を真逆の事を取り入れた際に、大きな批判を生む形になります。

 案外男女関係と似た形ですね。

 自分ひとりならどんな格好で出かけても構いませんし、好き勝手に行動しても咎められることもなく、時間も気にせず遊べ
ます。

 しかし恋人同伴ならば着ていく服、食事の場所など、相手の立場も考慮、つまり好き勝手に選ぶことは出来なくなります。

 男女が互いの感情と行動をつぶさに観察するのと同様、サッカーでは相手の布陣、戦術、交代など監督が見極めるべき動作
が幾つもでてきます。

 勝つための方針転換でも、傍から見ていると頷けないと思える事柄が幾つもある。

 このことが「ぶれる」要因かと思います。
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生え抜きの存在をもう一度考える

2013-07-14 02:03:30 | 日記
 トッティがローマとの契約を来季で終え、そのまま引退すると囁かれています。

 トッティにしろミランで一時代を過ごした3選手、バレージにコスタクルタ、マルディーニのように生涯1クラブで終える
ことは近年ますます減少気味です。

 ではどうして今挙げた4選手は移籍しないで済んだのでしょうか?

 それは

 「選手とクラブの相性が最高だった。」
 「クラブの実力が移籍を希望する必要がないほど高かった為」

 という2点に集約されます。

 後者に関してはいささか語弊があるかもしれませんが、少なくとも2000年代のローマはインテル、ミランに匹敵する力
があったと僕は思います。

 2000年代前半のカペロ、中期のスパレッティ政権下で獲得したスクデットとコパ・イタリアは、ファンを十分納得させ
られるだけの根拠になり得ると思うのですが。

 つまり、選手の多くは

 「もっと優勝したい、毎年チャンピオンズ・リーグに参加したい!」

 と強く願います。

 それは今在籍しているクラブが優勝からほど遠い、給料もイマイチで何より運営が杜撰であることを集約しているにすぎま
せんが。

 しかしミランは3選手の在籍時、トヨタカップ、チャンピオンズ・カップにスクデットと常に栄華を極めていましたし、指
揮官もサッキからカペロまでは抜群の安定を誇っていました。

 むざむざ優勝を逃すクラブへ移籍することは、レギュラーだった彼らからすれば馬鹿げた考えでした。

 またマルディーニが父チェーザレの影響を受け、バレージが兄のジュゼッペがインテルに在籍していたように、両者はお互
いがミランと関係を築く理由もありました。

 トッティもラツィオから入団を打診されましたが、断ってローマに入団しましたからね。

 こうした生え抜きの存在は確実に減少していますが、だからこそバルセロナは時に羨望の眼差しで見られる反面、ジョルディ
にデ・ラ・ペーニャ、そしてボージャンのような流れ星を生むのでしょう。
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