「ところが今ではサブの多くからほとんど話しかけられないという声が聞こえ、レギュラーとサブがはっきりと分けられ
てしまった。」
この文章はサッカー批評63号3ページに掲載されています。
記したのは飯尾篤史氏で次にこういう文章を続けています。
「もともと私はちゃんと見ているよと言う事を選手に感じさせるのが上手い監督なのだ。」
この点を指摘されているのはザッケローニ日本代表監督で、この号のカバーもイタリア人指揮官が飾っていますが、飯尾
氏と同調する方は多いはずです。
就任当初は李忠成、細貝萌など底上げのために呼んだ選手を比較的長い時間使うことで、遠藤のような常連選手が持つ「間」
を戴冠させ、時間の流れを体感させていました。
しかしその後は宮市、大津など招集されてもほんのわずかな時間しか与えられない選手、久保、東、工藤のように招集のみ
という形も幾つか見られました。
現在の代表に見られる
「先発と控えの断層」
は特にジーコ政権下で指摘され、幾度となくジーコに説明が求められてきたものですが、どうして現体制でも浮き出てしまっ
たのでしょうか。
僕が思うにザッケローニそのものが、アジアを体感するためだったと思います。
来日するまでイタリアでしか暮らした事がない彼からすれば、東西に広く加えて地域間でサッカーの体型が異なることを、あ
のアジアカップで痛感したのでしょう。
確かにルクセンブルクにサンマリノなど、ワールドカップ予選に参加することが名誉というような国が欧州には存在し、ファン
はイタリアやドイツのような強国が訪れることを、むしろ楽しく感じます。
一方でアジアはアラブ諸国のような独特な応援風景、イラン、つまりペルシャは欧州に近いサッカーを行い、韓国のように日本
よりもフィジカル・コンタクトに長けた国など、その様相は様々です。
ですから、監督と代表スタッフだけが選手よりもアジア遠征の機会に乏しいことを考慮すれば、ある程度選手を固めた方が得策
と考えた。
僕はそう推測します。
ただ今後も顔ぶれが変わらないようであれば、やはり再考の余地がありますが。
てしまった。」
この文章はサッカー批評63号3ページに掲載されています。
記したのは飯尾篤史氏で次にこういう文章を続けています。
「もともと私はちゃんと見ているよと言う事を選手に感じさせるのが上手い監督なのだ。」
この点を指摘されているのはザッケローニ日本代表監督で、この号のカバーもイタリア人指揮官が飾っていますが、飯尾
氏と同調する方は多いはずです。
就任当初は李忠成、細貝萌など底上げのために呼んだ選手を比較的長い時間使うことで、遠藤のような常連選手が持つ「間」
を戴冠させ、時間の流れを体感させていました。
しかしその後は宮市、大津など招集されてもほんのわずかな時間しか与えられない選手、久保、東、工藤のように招集のみ
という形も幾つか見られました。
現在の代表に見られる
「先発と控えの断層」
は特にジーコ政権下で指摘され、幾度となくジーコに説明が求められてきたものですが、どうして現体制でも浮き出てしまっ
たのでしょうか。
僕が思うにザッケローニそのものが、アジアを体感するためだったと思います。
来日するまでイタリアでしか暮らした事がない彼からすれば、東西に広く加えて地域間でサッカーの体型が異なることを、あ
のアジアカップで痛感したのでしょう。
確かにルクセンブルクにサンマリノなど、ワールドカップ予選に参加することが名誉というような国が欧州には存在し、ファン
はイタリアやドイツのような強国が訪れることを、むしろ楽しく感じます。
一方でアジアはアラブ諸国のような独特な応援風景、イラン、つまりペルシャは欧州に近いサッカーを行い、韓国のように日本
よりもフィジカル・コンタクトに長けた国など、その様相は様々です。
ですから、監督と代表スタッフだけが選手よりもアジア遠征の機会に乏しいことを考慮すれば、ある程度選手を固めた方が得策
と考えた。
僕はそう推測します。
ただ今後も顔ぶれが変わらないようであれば、やはり再考の余地がありますが。