塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ジョルジーニョ、日本代表について多くを語る

2013-07-08 23:39:13 | 日記
 週刊誌フラッシュが前鹿島アントラーズ監督ジョルジーニョのインタビューを掲載しています。

 監督と選手を含めて滞在期間を持つ彼に、3連敗と言う形でブラジルを後にした日本代表の印象を聞いています。

 ジョルジーニョのインタビューで印象に残っていることは

 1・Jは審判のレベルが低い
 2・ブラジルならばザッケローニは解任されているだろう
 3・私ならば槙野を使う

 という3点になります。

 槙野に関しては昨年アントラーズを率いていた際、よほど印象に残ったのでしょうか。

 確かに槙野は代表の中でも笑い、言い換えれば和やかでありながらも同時に引き締まった空気を与えられる、稀有な存在であると
僕も思いますし、なによりミドルレンジから放つシュートも素晴らしいですね。

 「2」に関しては現在でもよく議論されています。

 その時焦点になるのが

 「後任監督は誰に任せるべきなのか」
 「残り1年での政権交代は得策ではない」

 というものですが、実際セレソンは政権交代することでコンフェデ杯3連覇という結果を残し、フェリポン政権の土台が築かれる
形になりました。

 逆に言えば、日本は後任監督の選定を迅速にできるほどの能力がなく、海外から指揮官を招聘しようとしてもまだまだ難しい麺が
あると思います。

 つまり契約期間を残しての監督交代は

 「日本サッカー協会が力をつけてから」

 でないと、相当なリスクを背負う形になります。

 そして審判の問題ですが、これも短期間で変えられる問題ではありませんが、サッカー批評が特集記事を度々組むように、蔑ろに
されているわけでもないのです。

 こうした議論の材料が与えられた事。

 これがブラジル遠征最大の収穫と言えそうです。
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かつて僕が見たパルセイロの支援風景

2013-07-08 02:07:08 | 日記
 今パルセイロのシャトルバスは長野市内からも運行していますが、運営当初は篠ノ井駅のみでバスの発着所も駅前ではなく、
西側に停留所が用意されていました。

 試合当日は駅の券売機近くに

 「シャトルバスの停留所はこちら」

 という案内板も用意されていたくらいです。

 確か2008年だったと思いますが、僕がバスをまっていると長野朝日放送の取材班の方がやってきて、一緒にバスを待つ
女性の方にインタビューしていました。

 実は当時、シャトルバスは完全に

 「呉越同舟」

 でツエーゲン金沢、そして山雅など敵地にやってきたファンも一緒のバスに乗って、南長野まで出かけたものですが、当然
諍いやもめ事はおきませんでした。

 イングランドやアルゼンチンのファンからすれば

 「考えられない出来事」

 と言えるでしょう。

 この年は地区のおかみさんたちが、停留所のところでおやつや飲み物を用意してくださり、敵、味方関係なくそのもてなし
に感謝したものです。

 さすがに他のクラブのファンは遠慮気味でしたが、僕は頂いたお菓子をハーフタイムに頬張ってつくづくありがたいなと思っ
たものです。

 もしパルセイロがJ3に在籍するようになれば、JFLでの戦いは3年で幕を閉じます。

 薩川前監督の下でやっとJFLへの扉をこじ開けたのが2010年ですが、地域リーグ時代からパルセイロを支える息吹があ
った事を忘れてはいけません。

 僕はあの時と同じようにシャトルバスのところでおかみさんたちが

 「よっていきな、お腹すいてるでしょう?」

 と暖かく声をかけてくれたらよいのに、そう思うこともしばしばです。

 「パルセイロ」はポルトガルで友愛を意味しますが、市民と有志から得ている友愛を蔑ろにしてしまえば、その歩みは陰って
しまうことでしょう。
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僕が思う南長野の思い出

2013-07-08 01:53:24 | 日記
 今は雨が降らない事を祈るだけですが、今月27日パルセイロはホームに佐川印刷を迎えます。

 この日をもって南長野運動公園は遂に改修工事の為、パルセイロとしばしお別れする形になるため、僕も既に休暇申請を行って
います。

 今の南長野で見た風景が無くなってしまう。
 南長野の今の姿が過去の代物になってしまう。

 そんな物悲しさがあるわけですが、佐久では既にパルセイロを迎える準備が始まっており、その点は本当にありがたい限りです。

 僕がパルセイロの応援を始めておよそ7年。

 その7年の間でも、南長野の風景は少しずつ変化していました。

 今はメインスタンドから見て右がホーム、左がアウェーとなっていますが、実は当初はあべこべだったんですね。

 今のアウェー用出入り口から右に向かって僕は歩いていったのですが、2006年当時は有志の方がオレンジのボードを無料で
貸し出していたものです。

 「入場の際に選手が姿を見せたら、このボードを頭上に掲げてください!」

 今は皆が立ち上がってタオル・マフラーをぐるぐる振り回しますが、当時はこのオレンジボードを掲げることで、スタンドにオ
レンジを光らせていたのです。

 今はコンコースに多くの売店が並び、テントではクラブグッズの販売も行っていますが、当時は飲食のシャトルバスもなく、僕
は篠ノ井駅から歩いて通ったものですが、今は随分便利になりました。

 パルセイロ・レディースが

 「大原学園ジャスラ」

 の名前でリーグを戦っていたときも、観戦したことがあります。

 「ジャスラのゴールが見たい!ラララ・ラララー」

 という声援がスタンドから飛んでいましたが、今となってはこれも良い思い出です。

 今年はホームが随分と雨に祟られており、皆さん観戦が大変だと思いますが、今の南長野に感謝の意味を込めて27日が賑わう
と良いですね。
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