ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



ね、経営が成功するコツって、あるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『経営が成功するコツ』――実践的経営学のすすめ(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 経営の成功や失敗を他人のせいにしたり、環境のせいにしたがる人は、基本的に経営者には向かない。
 その途中で様々な困難や挫折はあっても、それを乗り越えて、智慧を獲得しえたもののみが、経営者としての黒帯になる。
 本書はそうした黒帯経営者をつくるための創造的なヒント集であるし、経営の要諦でもある。
 経営学者ドラッカーは、大企業を超える組織を持つものは軍隊だが、軍隊を超える組織運営力を持つものは「宗教」であると言っている。帰天後のドラッカー氏は、ガイディング・スピリットとして当会を指導してくれているが、宗教としての「幸福の科学」の規模は、世界最大級の企業である「GE」よりも大きく、それ以上のマネジメント力を有していると評して下さっている。世界百ヶ国以上で活動している多国籍団体であるので、単なるお世辞ではないと思う。私が自信をもって「経営成功学」を提唱する次第である。
(1~2ページ)

経営学者ドラッカーの霊は、「幸福の科学」はGE以上のマネジメント力を有していると評しているゆえに、大川隆法先生は自信をもって「経営成功学」を提唱している。

様々な困難や挫折を乗り越えて、智慧を獲得しえたもののみが、経営者としての黒帯になる。

本書は、そうした「黒帯経営者」をつくるための創造的なヒント集である――。

なぜに大川隆法先生は、宗教家でありながら、「経営成功学」を提唱し、創立されたハッピー・サイエンス・ユニバーシティに「経営成功学部」を置かれたのか。

その答えの一端が、端的に本書のまえがきに示されています。

一人でも多くの経営者の方が、本書で経営が成功するコツをつかんで成功への道を歩まれることを、心より祈念したいと改めて私は思っているのです。
 

『経営が成功するコツ』

 大川隆法著


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この間、幸福実現党の釈量子党首が街宣してるのを見かけたんだけど、とっても心に残る演説だったよ。釈さんって、ほんとはどんな人なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『釈量子の守護霊霊言』(幸福実現党刊)のまえがきで、こう説いておられます。

 あくまでも豪胆な女性である。間違いは許さない。正義は貫く。しかし感激したら、ハラハラと涙を流す。新入職員にごちそうしたり、自分の手作りのお弁当を分けてあげたりもする。そういえばケーキ作りも上手で、私もおこぼれにあずかったことがある。
 入局間もない頃、釈さんが半年ほど私の秘書になった。ある時、ハーブティーを入れてくれて、ハチミツをそえてくれた。私がそのハチミツをティーカップに垂らすと、薄い茶色の液体は、ただちに灰色に変色した。
 大川「あのー、ハーブティーの色が黒くなったんだけど……。」
 釈  「ハチミツによっては化学反応で変色します。」
 大川「ウーン!(絶句)」「まあ、腹の中に入ったら同じか。(心の声)」
 といった感じであったが、その彼女も成長し、今や『幸福実現党』の党首である。決断できない男性政治家を一刀両断する。
 入学式のあと、全員で明治神宮に参拝するという学校に学んだ筋金入りの宗教政治家である。この「ザ・ダイヤモンド・レディー」が日本を守り、再び素晴らしい輝きを取り戻してくれることだろう。
(1~2ページ)

前回に続いて今回も、釈量子党首の守護霊による大胆発言をご紹介するのは、やっぱりどうしても気がひけてしまいます。

その発言の中身については、もう本書を手にとっていただくしかありません。

さて、党首就任から早くも10年です。

その報道やYouTube動画などに接することも多く、ますます活躍の場を広げている印象の釈党首が、議席を獲得して国政の場で大活躍される日が来ることを、私は心待ちにしているのです。
 

『釈量子の守護霊霊言』

 大川隆法著



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ね、成功するための心理学、みたいなのって、ないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「成功の心理学」講義』――成功者に共通する「心の法則」とは何か(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 「値千金」の「『成功の心理学』講義」である。
 医者や遺伝学者が何といおうとも、左翼思想家や、社会福祉家が何といおうとも、「成功の心理学」は実在する。
 生まれにおいて貧しい者は、そのままであれば、親と同じく貧しい一生を送るものだが、「成功の心理学」を身につければ、目に見えて人生は好転していく。自分の才能の乏しさや、社会環境の貧しさの言い訳に専念し、愚痴を習慣にしないことだ。信念と熱意を持ち、積極的で建設的な人生観を持つことに成功した人間には、あらゆることが学びの種に転化していく。不幸や貧乏、病気、学歴の不足、災害や火事でさえ、次の成功のためのヒントとなり、種子となっていくのだ。
 自分の研究所が失火によって、全焼した時にも、家族を呼んで、子供たちにも、「こんな光景はめったに見られるもんじゃない。しっかり見ておきなさい。これで一から研究をやり直せるぞ。」といった趣旨の言葉を述べた発明王エジソンの心境に学ぼう。
(3~4ページ)

たとえば、言い訳に専念したり、愚痴を習慣にしないこと。

信念と熱意を持ち、積極的で建設的な人生観を持って、あらゆることを学びの種に転化していくこと。

誰が何といおうとも、「成功の心理学」は実在する――。

一見すると、さりげなく書かれているようですが、しかしよくよく咀嚼してみると、とっても大事な大事なお教えがこのまえがきで説かれているのではないでしょうか。

こんな授業科目を教えてくれる大学に、今からでも入学が許されるのならば、ぜひとも私もそこで学んでみたいとほんとうに思います。

その講義内容の一端が、一般書の形で誰にも学べるように刊行されているわけで、これは凄いことだと思います。

もちろん本書は概論として説かれたものでしょうが、でも、この一冊をマスターするだけでも、人生の成功は約束されるといっても過言ではないと思います。

まさに「値千金」です。

人生の成功を志す方にとっての必読文献の一冊であると、改めて私は思っているのです。
 

『「成功の心理学」講義』

 大川隆法著


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右翼の人たちのいうことを聞くと、天皇って、元首なんですって。でも、学校では、天皇は国の象徴なんであって、元首は総理大臣だって習ったと思うんだ。どっちがほんとなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『猛女対談──腹をくくって国を守れ』(幸福実現党刊)で、次のように述べておられます。

 明治天皇のように、「陸海軍を統帥する」となっていたら、いかにも元首だろうと思いますが、今の天皇が元首かどうかは、議論が分かれるところですよね。元首かもしれないし、元首でないかもしれない。
 それでは、首相が元首なのか、元首でないのか。どちらも、よく分からない状態で、結局、権力の中心がどこにあるかが分からないんですよね。これが、無責任体制が発生する原因の一つですよ。
 今、改憲論が盛り上がっていて、「改憲したほうがいい」という意見が国民の七割ぐらいにまでなってきているので、もし、「天皇が元首である」と言うのであれば、「今上天皇による改憲の詔」というものを出したらいいんですよ。「国会は、速やかに改憲すべし」という「改憲の詔」を出せばよいのです。(中略)
 それで、この詔に従って、国会議員が審議をし、改憲に乗り出すかどうかですが、もし、乗り出さなかった場合、天皇は、以後、一切の法律案に署名しなければいいわけです。
 例えば、国会が内閣総理大臣を指名しても、任命しなければよいのです。天皇の署名がなければ、内閣は成立しないのですから、“ストライキ”をしたらいいんですよ。そのように、「天皇は元首である」ということを、自らお示しになられたらよろしいと思いますね。
 法律論であれこれ言うのも結構ですが、これは、天皇の意志によって、現行の憲法や法律の枠のなかでできることです。
 ぜひ、天皇陛下には、「憲法改正の詔」を発していただきたいと思います。それで、国会が何もしなかった場合、それに対する糾弾が国民のほうから起きてくるかどうかを見れば、この元首制の問題も、はっきりと決着がつくはずです。(中略)
 憲法上、天皇は、「日本国民の総意」に基づいて置かれているわけなので、国民の総意に基づいて置かれている天皇が詔勅を出され、それで、国会が何も動かなかったら、問題があるでしょうね。(中略)
 国民の総意に基づいて天皇制がある一方で、国民主権というものがあります。この部分は、法律論的、憲法論的には、本当はぶつからなければいけないところなのですが、なぜか、訳が分からないまま、うまくくっついています。
 その理由は、実は、「宗教と政治が一体化しているのが日本の政治の本質だから」なんですよ。(中略)この部分を無視して、政教分離だけを言っているわけですから、憲法学者もジャーナリストも、本当はまったく分かっていないのだと私は思います。右翼も分かっていません。(中略)
 右翼も、「皇室を守る」と言っていますが、「天皇は神々の子孫だと分かっているのか」と言えば、それは、全然、分かっていないのです。そもそも神棚が消えていますのでね。
 だから、もう少し根本的に考えなければいけないですね。
(35~38ページ)

天皇が元首かどうかは議論が分かれるところだが、元首というのならば、天皇は、国民の7割ぐらいまできている改憲論に従い、「今上天皇による改憲の詔」を出し、国会が改憲に乗り出さなければ、以後一切の法律案に署名せず、国会で指名された内閣総理大臣も任命しなければよい。

この“ストライキ”は、現行の憲法や法律の枠のなかで、天皇の意志でできることだから、これに対する糾弾が国民から起きてくるかどうかを見れば、この元首制の問題も、はっきりと決着がつく。

天皇制がある一方で国民主権があり、本当は憲法論的にぶつかるべきところだが、うまくくっついている理由は、実は天皇は神々の子孫であり、「宗教と政治が一体化しているのが日本の政治の本質だから」である――。

本書は、現・幸福実現党党首である釈量子さんとの対談集です。

釈さんが聞き上手だからでしょうか、とても楽しく対談しておられるので、さらっと読み流してしまいそうです。

しかし、ちょっと立ち止まってよくよく読んでみると、あまりに斬新な大川隆法先生のオピニオンではないでしょうか。

国民主権で、国民は平等のはずなのに、なぜ「天皇」という特別な方が存在するのか。

それは、天皇は神々の子孫だとされていて、日本神道の祭祀長だからだ、という話はどこかで教えていただいたことがあったと思います。

そして、法律に詳しい知人によると、この天皇の“ストライキ”というのは、これまで見たことも聞いたこともない先鋭な意見だけれども、たしかに法律的にあり得る話だとのことです。

そういう、おそらくは最先端の法律の議論まで、さりげなく学べてしまう。

大川隆法先生のお教えの凄味は、このあたりにもあるのかもしれないと改めて私は思っているのです。

 

『猛女対談』

  大川隆法著


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幸福の科学って、仏教系の宗教だって話を聞いたことがあるけど、仏教論を持ってるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『八正道の心』――『黄金の法』講義(2)(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 当会の仏法真理の歴史に関する基本書に『黄金の法』や『大悟の法』がある。仏陀をはじめとする有名な仏教者についての簡潔な叙述がなされているが、登場人物とその基本的思想に焦点をあてて、一層専門的レベルの講義書が内部出版で出されている。
 今回、幸福の科学大学創立にあたって、『仏教論』について取りまとめてほしいとの要望が文部科学省側から出されたので、私の仏教思想及びその解釈について、外部出版として公けにすることにした。仏教学の専門家の講義として十分に通用する内容であるので、幸福の科学大学の宗教的側面を支える力を持つものだと思う。
 当会の仏教理解が十分に学問レベルに達しており、専門科目として教授するにたる内容となっていると思う。
 本書を出発点として更なる仏教研究が可能になると考える。
(1~2ページ)

幸福の科学の経典は、すべて外部出版されているわけではなく、内部経典として、信者(会員)しか入手できないものもけっこうあります。

特に、大川隆法先生が「再誕の仏陀」の視点から、既存仏教について詳細に講義された仏教系の経典は、内部経典とされていたものが多かったと思います。

それを、2014年、幸福の科学大学の認可申請の際に、外部出版で公開する必要が生じたということなんだと思いますが、一気に仏教論の経典5冊が連続刊行されています。

その内容たるや、手軽な経典として手にしてしまっていいんだろうか、と思えるものばかりで、まさに仏教を学ぶ者に垂涎の一冊が一気に並べられていると言っても過言でないと思えます。

本書はその手始めに、「八正道」について、深く、しかしとてもわかりやすく詳細な解説がなされているわけで、その価値はと考えると、ほんとにすごい経典であると改めて私は思っているのです。
 

『八正道の心』

 大川隆法著


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祝福の心が大切だって、教えてもらってはいるけど、でも、人をほめるなんて、嫌なもんだよね。無理する必要、ないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ストロング・マインド』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 祝福も、最初のうちは、わざとらしく感じるものです。心にもないことを言っているように思えますし、嘘をついているように感じることもあるかもしれません。しかし、そういうものではないのです。
 「人を祝福する。人をほめる」というのは勇気が要ることなのです。とても勇気が要ります。なかなか、ほめられません。特に、「自分が関心のある領域において、人をほめる」というのは、とても難しいことです。
 例えば、アメリカの大金持ちのビル・ゲイツをライバルにしているような、コンピュータ会社の社長が、「ビル・ゲイツって、すごいなあ」と言うのは、やはり、なかなか大変なことです。そうは言っても、なかなかできることではありません。
 以前、松下電器(現パナソニック)の中村邦夫氏が、社長就任時に、「ソニーさんはチャンピオンですからね」と平気で言いましたが、彼は、やはり、その後、会社を立て直しました。大変な赤字になっていた松下電器をV字回復させたのです。
 その再建の前に言ったのが、「ソニーさんはチャンピオンですからね。われわれはチャレンジャーです」という、現実とは正反対の言葉だったわけです。
 実際には、松下のほうが先輩で、ソニーはあとから追いかけてきたのです。しかも、ソニーは「モルモット」と言って笑われていました。「ソニーが新製品を出し、売れるかどうか実験して成功したら、あとから松下が乗り出してきて、似たような製品をつくる」というケースが多かったわけです。
 それを、「ソニーさんは横綱です。チャンピオンですからね」と、相手を持ち上げて言ったのです。そのように言うのは、なかなか怖いことですが、松下を見事に再建したのですから、大したものです。
 そのように、敵やライバルを公平に見てほめられる、あるいは、敵の製品を見て、「これは優れものだね」「わが社では、これは、できていないのではないか」「これは、なかなかすごいぞ」と言えるというのは、なかなか大変なことなのです。
(189~191ページ)

人を祝福するというのは、勇気が要ることである。

特に、自分が関心のある領域において人をほめるのは、とても難しい。

敵やライバルを公平に見て、ほめるというのは、なかなか大変なことである――。

人をほめ、祝福する心を持つというのは、勇気がいるし、なかなかできることではないからこそ、あえてそうすることで、成功できる。

今日のお教えは、そんなふうにも理解できるんじゃないでしょうか。

過去の先輩たちの例に学んで、祝福する心の大切さを確認し、祝福する努力をしていきたいものだと、改めて私は思っているのです。

『ストロング・マインド』

 大川隆法著


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直木賞作家の景山民夫さんって、亡くなった直後、2カ月ぐらいもお風呂場やトイレに現われていたなんて、大川隆法先生が語っておられたことがあったと思うんだけど、あれって、ほんとだったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『小説家・景山民夫が見たアナザーワールド』(幸福の科学出版)で、その景山民夫さん本人の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 亡くなったあと、ちょっと総裁先生に迷惑をかけたことは事実なんです。
 ちょっと急だったもんだから、心の準備が十分できてなくて、何度か総裁邸に姿を現し、『ボルネオホテル』(景山氏のホラー小説)風に出てしまったので(会場笑)、「場所を選んで出てきてください」って、だいぶ言われました。
 「トイレとか、お風呂場とかに出てくるので、かなわん」と言われたことがあって(笑)、すみません。これについては、失礼をお詫びしなきゃいけないんです。
 「亡くなったときに、末期の水を飲まなかったのがいけなかったのか」と、ずいぶん言われたんですが、まあ、それは、そうかもしれない。最初、「水場ばっかり出てくる」って言われたけど、まあ、そうだねえ。二、三カ月ぐらいでしたね。(中略)
 いや、私は口が悪いからさあ。ちょっと悪さをする癖があって、脅したり、からかったりするのが好きなもんだから、どうしても、「総裁をおどかしてやろう」なんていう気が、ちょっとあってね。(中略)
 (笑)あ、いや、ちょっとあってさ。いやあ、総裁は、「私は、霊界に精通している」と言ってらっしゃるけど、「総裁だって、幽霊は怖いんじゃねえか」と思って、ちょっと脅したの。(中略)
 「先生は、どう反応するかな?」(笑)と思って、ちょっとだけね。いや、これは悪かったね。ちょっと失礼したかなあ。
 先生の悟りが本物かどうか、ちょっとだけ試してみて、「動じなかったら、やっぱり本物だけど、もし、怖がるようだったら、まだまだだ。修行が、まだ十分でないんじゃないか」とね。
 まあ、九つ年上だったもんだから、少し、からかい気分もあったことはあったので、トイレに出てみたりした。
 あと、お風呂場に出てこられると、さすがに嫌だろうね。「お風呂場はないでしょう? 勘弁してください」っていう感じ?(中略)お風呂場だったら、逃げ場がないよねえ。(中略)
 だから、お風呂場にも、二、三回、出てやったことはあるんだけど、総裁は、やっぱり、さすがでしたね。動じませんでした。
 全然、動じなくて面白くないから、私は、「先生、意外に鍛え方が足りませんね。このへんが、たるんでます。このへんの贅肉が、いかん」とかさ……。(中略)
 そうそう。ご指摘申し上げたんですけど、総裁は、「人間は、中身である。君、まだ肉体にとらわれているようでは駄目だ」と、こう幽霊に対して言い返してきたから、「さすがだなあ」と思いましたねえ。
(41~51ページ)

亡くなったあと、ちょっと総裁先生に迷惑をかけたのは事実である。

ちょっと悪さをする癖があって、脅したり、からかったりするのが好きなもので、「総裁をおどかしてやろう」という気が、ちょっとあった。

「総裁だって、幽霊は怖いんじゃねえか」と、ちょっと脅して先生の悟りが本物かどうか試そうと、トイレやにお風呂場に出てみたりしたが、総裁はさすがに動じなかった――。

いやあ、景山さんったら、いくら霊になっちゃったからといって、大川隆法先生を脅かそうなんて、直弟子の一人として許されないでしょ、と思うのは私だけではないと思います。

なんで景山さんの霊言集をなかなか出されなかったのかが不思議だったんですが、じつはこんな失礼な出来事があったりすれば、それは自然なことだったのかも、とか思ったりもします。

それはそれとして、こんなお茶目なエピソードが語られているのも、実際に霊界に還った景山さん自身だからこそ。

本書で「霊言」というもののすごさを、改めて私は感じているのです。
 

『小説家・景山民夫が見たアナザーワールド』

 大川隆法著


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受験、失敗しちゃったよ。もう、おしまいだよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『忍耐の法』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 若い人、特に十代ぐらいの人にとって、受験は一つの関門であり、受験に合格することは、とても大きな目標に見えているでしょう。中学受験、高校受験、大学受験等は、ものすごく大きな関門に見えていることだろうと思います。
 ところが、その関門を通り越していった人から見れば、それは、「職業への道を開くためのステップの一つ」にしかすぎないことがよく分かります。
 それを通過したからといって、それで成功が決まったわけでもなく、逆に、それを通過しなかったからといって、それで失敗が確定したわけでもなく、人生においては、まだまだ、次から次へと「扉」が立ちはだかってくるものなのです。
 ただ、受験勉強の過程にいる人、例えば十代の人などには、受験での合格は、とてつもなく大きな目標に見えることがあるだろうと思います。
 しかし、時間がたてば、その見方は変わってくるものです。
 また、明治時代や大正時代、昭和前期の人物で、今、私たちが伝記で読める、成功した人たちを見ても、そう言えます。立身出世主義の非常にはっきりした時代にあって、その人たちの十代をとってみると、必ずしもストレートに、一直線に成功への道を駆け上がった人ばかりではありません。むしろ、そういう人は非常に数が少ないのです。
 「一度も失敗することなく、いちばんよい成功だけを続けた」というような人は、ほとんどいません。そういうことを言うタイプの人には、だいたい、「その時点で人生における成長が止まっている人」が多いと言えるかもしれません。
 試練に遭っている過程では、キリキリと心が痛むこともあろうかと思いますが、そのマイナスの思考、すなわち、自分を低く見て苦しめる、貧乏性の考え方とは、長く付き合わないことが大事だと私は思います。
 いろいろな試練を突破すべく、鋭意努力することは必要ですが、万が一、それが成功に終わらなかったとしても、運命は「次の扉」を必ず用意してくれているものであり、今回、一生懸命、努力したことが、まったく無駄になることはないのです。(中略)
 試験には合格点があり、一定以上の点を取れなければ合格しませんが、「合格点を超えて合格証書が出れば成功だが、出なければ成功ではない」という見方は、まったくの間違いです。「一点か二点が足りずに不合格」ということもありますが、それは「ゼロ」ということではありません。
 たとえ、その道には通らなくても、一定の努力をしたことは無意味ではありませんし、「自分がそれに成功しなかったことを反省する」ということによって、次の成功へのステップが用意されているのです。(中略)「苦しみの種が、実は、次の幸福の種になってくる」ということは、冗談ではなく、本当にそのとおりなのです。
 ある意味では、「目標を達成できなかった」ということが、次の努力への原動力になることが多くあります。
 何らかの目標を簡単に達成してしまい、それを自慢し、それ以上を求めない生き方、あるいは過去の栄光のみにすがる生き方は、やはり、さみしいものなのです。
(114~117ページ)

受験で成功や失敗が確定したわけではない。通り越した人から見れば、受験という関門は、職業への道を開くためのステップの一つにすぎないことがよく分かる。

伝記で読めるような成功した人たちをとって見ても、十代で一直線に成功への道を駆け上がった人は非常に数が少ない。

試練を突破すべく鋭意努力することは必要だが、万が一成功しなかったとしても、運命は「次の扉」を必ず用意してくれているものであり、今回、一生懸命、努力したことが、まったく無駄になることはない――。

悲喜こもごもの受験の春ですが、受験生のみなさんには、目の前の目標に向けてがんばってほしいものです。

そして、もしうまくいかなかった方には、この大川隆法先生のお言葉を、しっかりと受け止め、味わって、また努力を重ねて行っていただきたいものです。

大川隆法先生のお言葉どおり、そんな方には、「次の扉」が必ず開かれると、私は固く信じているのです。
 

『忍耐の法』

  大川隆法著


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独創的発想って大切なんだろうけど、でも、どうやったら出てくるものなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ロケット博士・糸川英夫の独創的「未来科学発想法」』(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 うーん、実に面白い。理科系には昔から変人が多いが、「変人」が「常識人」の群れをつくろうとするから、世の中おかしくなる。プラグマティックな調整は文系にまかせて、理系・超変人は、生きていけることを最低条件にして、逆転につぐ逆転の発想をし続けることだ。
 日本経済を再び成長の軌道にのせるのも、理系の仕事かもしれない。金融緩和や財政出動だけでは甘い。
 世の中にないものを発想し続ける中に未来の成長産業が出てくるのだ。今は常識とされている機械類も、百年、二百年前にはなかったものばかりだ。
 さすれば、百年後、二百年後にも、今はない技術がバンバン出てくるということだ。本書は単なる科学テキストではない。発想集だ。未来へのヒントがここにある。
(1~2ページ)

本書は、あの有名な糸川英夫博士の霊が、あの世から、独創的な未来科学発想法を縦横無尽に語った霊言集です。

糸川博士は、戦前は「戦闘機 隼(はやぶさ)」の設計にかかわり、戦後は、戦災でお金もない中、ペンシルロケットからはじめて日本の宇宙開発を立ち上げていった先駆者として有名です。

2010年に日本の宇宙技術水準の高さを世界に示した「小惑星探査機 はやぶさ」が探査した小惑星の名前は「イトカワ」でしたが、これが糸川博士にちなんだ命名だったのもよく知られた話だと思います。

そんな糸川英夫博士の発想の柔軟さは、さすがに凄いというほかありません。

独創的な発想法の手本に触れたい方にはもちろん、未来科学の方向性、未来へのヒントを知りたい方にも、特にお勧めの霊言集であると改めて私は思っているのです。
 

『ロケット博士・糸川英夫の独創的「未来科学発想法」』

 大川隆法著


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最近、奇跡の話をよく聞く気がするけど、病気って、病院に行かなくても治ったりするものなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ザ・ヒーリングパワー』――病気はこうして治る(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 人間というものは、後天的学習や経験でかなり「傾向性」が固まってくるものである。その「心の傾向性」が固定してくると、場合によっては精神的な悩みを超えて肉体的異変が出てくる。これが「病変」と化し、時に難病・奇病となって発症する。現代医学でも、標準値から外れている検査数字を探し出して、病気の原因を推定し、治療にあたるのが常だ。しかし、それは考えてみれば、心が中道・真理から離れていることが、ある種の生活習慣や食習慣の偏りとなったり、仕事上、本人の能力不相応の重荷を背負い続けているということでもある。
 当会のリーディングでも、原因が特定されると病気が即座に「崩壊」し始めることが多い。
 本書の刊行は、少し病院の収入を減らすかもしれないので、その点申しわけないが、政府の福利厚生費の削減にもなるし、何よりも病気が治る本人の喜びはお金にはかえがたいだろう。
(1~2ページ)

人間は「心の傾向性」が固定してくると、場合によっては精神的な悩みを超え、肉体的異変が病変となって発症する。

当会のリーディングでも、原因が特定されると病気が即座に崩壊し始めることが多い。

本書の刊行で病気が治る本人の喜びは、お金にはかえがたいだろう――。

いやあ、心の力と、祈願とで、本当に病気って治るんですよね。私も、家族がほんとに奇跡的な回復をしたのを、実体験したことがあります。

実体験してしまうと、大川隆法先生の説かれている教えの正しさが、ほんとに深く腑に落ちる気がします。

病気の問題で苦しんでいる方は、全国に数えきれないほどおられると思います。

そうした方に、まさに真の「福音」を述べ伝える書籍が、何年も前からすでに刊行されていたわけです。

でも今からでもまったく遅くありません。

まずは本書を手にとって、ここに公開されたその「秘密」を自分のものにして下さることを、改めて強く強くお勧めしたいと私は思っているのです。
 

『ザ・ヒーリングパワー』

 大川隆法著


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キリスト教国って、イスラム教国とすごく対立してる気がするんだけど、逆に、イスラム教からはキリスト教って、どう見えてるんだろうね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ムハンマドの幸福論』(幸福の科学出版)で、そのイスラム教の創始者であるムハンマド(マホメット)の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 キリスト教には、やはり、少し「甘さ」があるような気がするんだな。
 イエスは、最後には、あのようなかたち、要するに、この世的には、「人間の手にかかって殺される」という姿を取った。
 「彼は偉大な預言者である」ということは、もちろん、私も認めておりますけれども、少なくとも。
 彼は、「自分自身の権威」によらずして、「神の権威」で、いろいろな業を起こしました。病気治しもそうですし、言葉を語るときにも、「私が語るのではなく、天なる父が私を通して語っている」というようなことを言っておりますので、彼は、やっぱり、「天なる神のツール、道具」であったことは否めないし、それを自分で認めていますね。
 キリスト教徒は、イエスを偉くしようとして、一生懸命、「神の独り子」にしたり、「神そのもの」に持ち上げようとしたりしているけれども、「キリストの言葉自体」によって、そうではないことが明らかになっているわね。
 そういうことで、人間によって滅ぼされた「神」は実際に存在したわけですよ、二千年前にね。あるいは、「神の独り子」と彼らが言う者が、人間によって滅ぼされた。私から見れば、「預言者の一人」ですけれども、それが人間によって滅ぼされたわけです。(中略)
 ところが、私のほうは、人間によって滅ぼされてはいません。私に従わない人々、要するに、雑教といいますか、いろいろなものが混じり合っていて、まだ整理されていない、「前近代的な宗教である多神教」を信じ、偶像崇拝するクライシュ族に対して、「近代的な一神教」を開いたわけですね。
 戦いも起きましたけれども、その戦いに勝利し、教えにおいても勝利して、彼らを呑み込んでいきました。
 その意味において、イエスの最期に比べれば、「完成者たるにふさわしい」と言えるのではないかと思う。
 だから、「最後にして最大の預言者かどうか」というようなところはあるかと思いますが、それでも、「神の僕であり、一預言者であって、自らは神ではない」ということであり、これは、仏教的に言えば、「仏ではない」という位置づけです。
 自らが人間であることを認め、「神の使徒である」という立場だけど、「最後にして最大の預言者」という位置づけでもあり、それは「謙虚さ」と「神の偉大さ」を同時に表していると考えられます。
 その意味では、イスラム教は、やはり、「世界宗教」にふさわしいんじゃないかなあ。
(41~44ページ)

イエスは、この世的には、人間によって滅ぼされたのであって、キリスト教には、少し「甘さ」がある。

ところが、ムハンマドは、人間によって滅ぼされてはいない。戦いに勝利し、教えにおいても勝利したのであって、イエスの最期に比べれば、完成者たるにふさわしい。

ムハンマドは、自らが人間であることを認め、「神の使徒」の立場ではあるが、「最後にして最大の預言者」という位置づけでもあり、それは「謙虚さ」と「神の偉大さ」を同時に表している――。

日本のマスコミを通じて流される日々の国際ニュースは、欧米のキリスト教国を通じたニュースが大半です。

ですから、知らず知らずのうちにキリスト教的な見方で海外を見ているのが、じつは日本人の普通の姿ではないでしょうか。

その感覚から、イスラム教国やイスラム教徒の習慣や行動について、しばしば不思議な人たちという感じで見ている気がします。

ところが、今日のムハンマドの言葉に従って、イスラム教の側からキリスト教や欧米社会を見てみると、ぜんぜん見え方が違ってくることに気がつきます。

いずれにしても、なぜにイスラム教が世界宗教になっているのかについては、もっともっと学びを深めてみる必要があるのではないかと、改めて私は思っているのです。
 

『ムハンマドの幸福論』

 大川隆法著


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幸福の科学って、世界宗教になるって言ってるんでしょ。そのキーになるものって、やっぱり教えの凄さだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『愛、無限〔改装版〕(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 今から二千年ほど前、イスラエルでイエスが福音を宣べ伝えていました。当時、イエスが語っていた言葉は、アラム語といって、ユダヤの一種の方言です。また、イエスの十二弟子たちもアラム語を話していました。
 したがって、イエスが亡くなったあと、弟子たちがユダヤの地を離れて、異郷の地に伝道しようとしたとき、最初に言葉の障害がありました。
 筆頭弟子のペテロという人も、アラム語以外は話せませんでした。そのため、マルコという青年を通訳に使い、通訳つきで伝道して歩いていたのです。しかし、通訳つきではなかなかうまくいかず、言葉が十分に通じないところが迫害の原因にもなりました。
 一方、十二弟子のころにはまだ活躍していませんでしたが、のちにパウロという名で活躍する、パリサイ派の若者がいました。彼は、最初、サウロと呼ばれていました。(中略)パリサイ派は、厳格な律法主義に立つユダヤ教徒たちであって、当時の主流です。
 このサウロは、「私は一度も戒律を破ったことがない」ということを自慢にするほど厳格な人でした。そして、イエスの弟子たちが新しい教えを伝道しているのを見て、「これは律法を踏みにじるものだ」と非常に憤慨し(中略)、イエスの弟子たちを迫害していた中心人物の一人だったのです。(中略)
 サウロは、エルサレムから徒歩で二日ほどの距離がある、ダマスコという所に、イエスの弟子たちが逃げていることを知ります。そこで、「これを持っている者は、イエスの弟子を捕まえてよい」という逮捕状をもらい、街道を通ってダマスコに向かいました。
 ところが、その途中で、白昼、突如として頭上に白く強い光が射してきました。その光のあまりの強さによって、サウロの目は見えなくなってしまったのです。
 そのとき、上から、「サウロよ、サウロよ、なぜ私を迫害するのか」という声が聞こえてきました。サウロが「あなたは誰ですか」と問うと、「おまえが迫害しているイエスである。おまえは私を迫害しているのだ」という答えが返ってきたのです。(中略)
 しかし、そのあと、ダマスコにおいて、イエスの弟子の一人が、サウロの上に手を置き、イエスの御名において治療すると、三日ほど見えなかった目が、突如、見えるようになったのです。(中略)そして、サウロは回心し、以後、福音を宣べ伝え始めたのです。
 これが有名な「ダマスコの回心」です。ダマスコという町で、サウロが回心をしたのです。心を入れ替え、別人のようになりました。(中略)非常な悔恨にかられて、(中略)いかに疑われようとも、どのような迫害を受けようとも、断固として、信念を持って伝道を始めました。これがキリスト教の世界伝道の始まりです。
 サウロ、のちのパウロは三カ国語が自由自在に話せ、非常に教養のあった人です。「語学ができる」ということが、彼の伝道をずいぶん助けました。いろいろな土地に伝道に行っては、その土地の人が分かる言葉で話すものですから、石をぶつける手が止まってしまうのです。また、彼はローマの市民権も持っていました。こうしてパウロは熱心に伝道していき、最後には殉教しました。
(68~75ページ)

二千年ほど前、イスラエルでイエスが福音を宣べ伝えていた当時、イエスや十二弟子たちが語っていた言葉は、ユダヤの一種の方言であるアラム語だった。

イエスの死後、弟子たちが異郷の地に伝道したときには、筆頭弟子のペテロもアラム語以外は話せず、この言葉が十分に通じないところが迫害の原因にもなった。

「ダマスコの回心」で有名なパウロは、回心したあとは信念を持って世界伝道を始めたが、三カ国語を自由自在に話せたことが、その伝道をずいぶん助けた――。

教えの凄さはもちろんですが、世界伝道をしようとしたとき、やはりキーとなるのは語学であったということが、このペテロとパウロの例で理解できる気がします。

そこで、なぜに大川隆法先生が、英語の学習の大切さをあれほど強く打ち出されるのか、なぜに、海外での説法(「ご巡錫」)を日本語ではなくあえて英語でしておられるのか、です。

キリスト教の過去に鑑みて、幸福の科学を本当に「世界宗教」にしようと真剣に努力しておられる大川隆法先生の本気度を、今日のお教えで改めて学べた気が私はしているのです。
 

『愛、無限〔改装版〕』」

 大川隆法著


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私って、キャリアウーマンとして成功したいんだよね。どうやっていくのがいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『北条政子の幸福論―嫉妬・愛・女性の帝王学―』(幸福の科学出版)で、日本史上もっとも有名な女性の一人である北条政子の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 ですから、キャリアウーマン型の方には、気をつけないと、敵が二種類出てくるわけですよね。「男性がライバルになり、同時に女性もライバルになる」ということです。
 二種類のライバルが出てきて、場合によっては、二種類のライバルから、足を引っ張られることもあるし、さらに、それに加えて、両親やきょうだい等、家族や親族から、いろいろと、“あるべき道”について意見を言われることが多いと思うんですね。
 高学歴女性には、特に、「自分の自己実現と周りの人の考え方とが合わない」ということは、よくあるだろうと思うので、とても難しいのですが、その人が持っている才能や能力を全部隠すことは、やっぱり無理だと思うのです。
 どうですかね。私の考えですと、やはり、隠すことは無理なんだけれども、女性のたしなみとして、絹のベール一枚でもいいから、少しだけ、心持ち、「尖った才能をオブラートに包む生き方」を心掛けるべきでしょう。(中略)
 また、例えば、男性と同等の能力があるとしても、世の中は、どちらかというと、やはり男性社会ではありますので、できれば、男性を立てようとする傾向性といいますか、そういう言葉遣いや態度等を出していくことが、一つの処世の道になるんじゃないかと思います。
 「自分のほうが、できるんだ、できるんだ」というようなことを、あまりにもPRしすぎる女性だと、敵の数のほうが増えてきて、この世的には、本来はやれるところまで仕事ができないで終わってしまうことが多いかと思います。
 したがって、将棋で言うと、「駒落ち将棋」になってしまうけれども、「歩」を一枚落としたり、「槍(香車)」を落としたりしなくてはなりません。ハンディ戦にはなるのですが、駒を一つ抜いて戦うつもりでいかないと、女性としての成功は、なかなか成り立たないのです。
 女性は、男性と同じだけの成果をあげようと思えば、本当に、男性よりも、一枚、実力が上でなければならず、そうでないと、同じだけの成果はあげられないものだと思います。
 「同じぐらいの能力だから」ということで、同じだけの成果を要求しても、敵のほうが多すぎて、たぶん、それは実現できないでしょう。
 そういう意味で、「一歩を引く心構え」が大事です。(中略)
 それと同時に、もう一つ大事なことがあります。
 「積極的に徳を積む」という意味においては、「才能のある人、能力のある人、よいところのある人に光を当ててあげ、そういう人たちを立ててあげる。持ち上げてあげる。みんなに知らせてあげる」というような努力も積んでいくことが、一種の徳を積む行為になり、自分のキャリアをつくっていく上で、間接的な援助者というか、賛同者を増やしていくことになるんじゃないかと思いますね。
(37~40ページ)

キャリアウーマン型の女性は、気をつけないと男性も女性もライバルになるので、たしなみとして、尖った才能を少しだけオブラートに包む生き方を心掛け、男性を立てる言葉遣いや態度等を出していくことが、一つの処世の道になる。

女性は、男性と同じだけの成果をあげようと思えば、男性よりも一枚、実力が上でないと、敵のほうが多すぎて、同じ成果はあげられないので、その意味で、一歩を引く心構えが大事である。

同時に、才能のある人、能力のある人、よいところのある人に光を当てる努力をしていくことが、一種の徳を積む行為になり、キャリアをつくっていく上での援助者や賛同者を増やしていくことになる――。

鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室であり、頼朝なきあとには幕府の実権を握って、尼将軍とまで称された女性のアドバイスの言葉には、とても重みがあります。

よくよく味わってみると、まだ完全に男女平等とは言えない日本のビジネス社会の現実を背景にして、できる女性が才能だけで突っ走ってしまうことで生じる弊害は、よく分かる気がします。

また、徳を積む行為、つまり「与える愛」の実践でもあると思いますが、これがよい意味で必ず自分にも返ってくることになるというのは、仏法真理にかなった考え方だと思います。

本書は、鎌倉時代に興味がある歴史ファンにとってはもちろんのこと、デキる女性必読の霊言集ではないかと、改めて私は思っているのです。
 

『北条政子の幸福論―嫉妬・愛・女性の帝王学―』

 大川隆法著


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