オレって、こんなに仕事がんばってるし、休みの日も勉強して人格を練ってるのにさ、会社ったら、オレの実力に見合った肩書くれないし、給料も上げてくれないんだよね。もうちょっと評価してくれても、いいんじゃないの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
「自己啓発をして、自分を発展させていきたい」と考え、正しい道に入って精進しているのであれば、しだいに自分の評価が高まってくるのは、喜ぶべきことだと思います。ところが、心の修行をしている人でもそうなのですが、人間は、えてして名聞欲(みょうもんよく)が過ぎるのです。
したがって、いつも自分の実力を客観的に見ておくことが必要です。「自分の実力はこの程度であり、この程度の評価なら受けてもよいが、それより大きな評価を受けるのは、評価されすぎである」「私は自分の実力を過信しているのではないか。過大評価しているのではないか」というように考えるのです。
自分の実力を過大評価した場合には、たいてい事業に失敗します。
また、他の人に対して、自分の実績や実力、あるいは精進以上の評価を求めたときには、「奪う愛」になり、客観的には自分に対する評価が下がりはじめます。
名聞欲が過ぎると、「あまり働いていないのに、あなたは、なぜそれほど偉くなりたいのですか。なぜそれほど役職に就きたいのですか」と言われることになります。
また、財欲と名聞欲の両方が過ぎると、「あまり働いていないのに、なぜそれほど地位や給料を欲しがるのですか。いまの十倍は働いてから、そう言うべきです」などと言われることになるでしょう。
(63~64ページ)
人間は、えてして名聞欲(みょうもんよく)が過ぎるものである。
いつも自分の実力を客観的に見ておき、過信を自ら戒める必要がある。
自分の実力を過大評価すれば事業に失敗し、実績や実力、精進以上の評価を他者に求めれば「奪う愛」になって、自分に対する評価が下がりはじめる――。
今日のお教えは、思い当たることがある方が多いのではないでしょうか。
こんなかたいブログをまめに読んで、自己啓発しているタイプの方は、特に、かもしれません。
以前、自分で思っている自分の実力と、外部からの評価にはギャップがあって、2割くらいは外部の評価のほうが低いものだという、役人の世界を極めた方の話を読んだことがあります。
このギャップを埋めようとすると、えてして人は、自分の評価を下げるのではなく、外部の評価を上げてほしいと望んでしまうのではないでしょうか。
そしてそれこそが、今日教えていただいている、過ぎた「名聞欲」であり、「奪う愛」だということなんだと思います。
自分にあてはめて考えてみると、ちょっとショッキングな話ではありますが、でもこれは、なかなか自分だけでは分からない大切な人生の「智慧」の一つなのだと、私は思っているのです。
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『大悟の法』
大川隆法著
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