私って、こんなにいろいろ、人にやさしくし尽くしてるのに、ぜんぜん幸福感なんてないんだよね。「与える愛」って教え、間違ってないの? なーんて悩みもってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
人に対して、いろいろと親切にしたり、優しくしたりするけれども、結局のところ、なかなか幸福になれないという人がよくいます。なぜ幸福になれないのでしょうか。それは“慈悲魔”になってしまうからです。そうしたことが往々にしてあるのです。
とにかく、人によかれと思って、いろいろと世話を焼くのだけれども、相手にはいやがられ、自分も漠然としたむなしさを感じる人。相手に尽くしているにもかかわらず、相手には感謝もされず喜ばれもせず、自分としては、むなしい気持ちを抱きつづけて生きている人――。こうした人はかなり多いでしょう。それは慈悲魔になってしまうことが原因なのです。
愛は非常に簡単で容易に見えて、その実、非常にむずかしいものなのです。それは、愛のなかには「人を生かす」という働きが入っているからです。そして、人を生かすという働きについては、やはり、人びとや世の中のことを深く知り、人の心の本質を知り、仏の心の本質を知らなければ、なかなか分かるものではないのです。
したがって、「知に裏付けをされた愛は、ほんとうに世のすべてを生かしめ、はぐくみ、発展させていく愛であるが、知の裏付けがない愛は、もろく、はかなく、崩れやすいものだ」と言うことができます。
(160~162ページ)
いろいろと親切にしたり優しくしても幸福になれないのは、“慈悲魔”になってしまうからである。
愛には「人を生かす」という働きが入っているが、その働きは、世の中を深く知り、人の心の本質を知り、仏の心の本質を知らなければ、なかなか分かるものではない。
この「知」の裏付けがない愛は、もろく、はかなく、崩れやすいものである──。
大川隆法先生がここで教えておられるのは、要するに、知恵をもって愛を与えよ、ということなんだと思います。
「愛には発展段階がある」という教えが、ここでは別の角度から説かれています。
愛の教えというのは、意外に単純なものではなくって、ほんとうに深みがある教えなのだと、改めて私は感じているのです。
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『永遠の法』
大川隆法著 |
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