長閑で暖かい春は寝心地よく夜が明けても中々目が覚めない。「や」と強く切れているので、目覚めて、見ていた夢を振り返っているのだろうか。それにしても「姥捨」を思わないわけにはいかないでんでら野。「風音かはる」というリアルは夢の中で起きていて、老いない聴覚と時間経過が、生と死のあわいの場所を現実と夢として、元気な自分の今を確認しているように読めた。昔は60歳をこした老人たちはデンデラ野に、捨てられた……。私もそんな年。余生ということを思った句でもあったが92歳の父はまだ庭仕事をし、自転車で病院に薬をもらいに行く。足腰を痛がりながら生きる意欲は衰えない。作者も生きることを楽しんでいるようで、この度、句集「回遊」を刊行されました。「滝」会員に送って下さるとのこと、とても楽しみにしています。(博子)
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