おいしい国ブルガリアでのフボボな生活

ブルガリアのこと、まだ忘れ難く・・・
でも、アラフィフからまた新たな挑戦をはじめます!!

1ヶ月のごぶさた!! 日本で夏休み⑥ 3年たってもまだまだ・・・陸前高田市

2014-09-04 16:01:15 | ニュース

東北まで足を延ばした理由の一つは、東日本大震災の被災地が今どうなってるのかをこの目で確かめたい、という事でした。友人のコネの助けもあって、訪ねることができたのは陸前高田でした。

Michinoeki まず連れて行ってもらったのは、今も残る壊れた道の駅・・・ 案内してくれた友人いわく、津波は押し込んできた力もすごいけど、引いていく時はもっとすごい、とのこと。それを物語るように、すさまじい力で水が流れ込んだのでしょう、建物の中もガチャガチャ、グニャグニャに壊れていて、(後述の一本松くらいある)大木が引っかかっています。Michinoekiinside

Ipponmatsu 一本だけ生き残ったのに今は枯れてしまい、サイボーグになった「奇跡の一本松」・・・ 被災したその日から3年半経ってしまったことを思わせます。その中でひっきりなしに轟音を立てる銀色のベルトコンベアに超違和感・・・ 何でも被災地区に8メートルの盛り土をするんだとか・・・ 

Yagisawashoten そのちょうど真下にあったお店、八木澤商店!! お醤油屋さんだそうです。三升漬は試食したらとってもおいしくって・・・ 思わず2個購入。建物は仮設っぽいプレハブ・・・ でも今後も是非がんばってほしいですネ!! おいしい商品がいっぱいですから!! そして陸前高田だけでなく、被災したいろんな町にいろんなおいしいものがいっぱいあるので、是非がんばってほしい・・・Driedhoya

Tanabatadashi 友人が以前自分が住んでいた辺りを見せてくれました。陸前高田のお祭り、七夕用のだしが準備されつつある、醤油屋さんだった建物のところです。 すぐ裏には避難できる小高い丘にある神社。津波が到達した最高点から見ると・・・ オワッと思うほど高いのです!!Viewfromhighestreach_2

このあたりは城下町で素敵な町並みだったそうですが・・・ 何も残っていません。海岸近くのベルトコンベアがかなり近くに見えて、「海がこんなに近かったんだ」と地元の人たちもびっくりするそうです。

Shrinehill友人はすぐに避難所に指定されていた学校へ逃げました。彼女の父親は、この、徒歩5分で登れる神社に「いざとなったら避難するから大丈夫!」と言っていたそうですが、結局そうしなかったそうで、お亡くなりになられたそうです。生と死がちょっとした事で分かたれた・・・ という事をかなり詳細に話してくれました。避難所になったその小学校の校庭でも、公民館でも避難してきた人たちが津波に流されて・・・ ほんの少しのタイミングやいた場所で間一髪そこから逃げられた人と逃げられず巻き込まれてしまった人たち・・・ なんだか心が痛くなってきました。

Remainingapartmentbuilding 海岸近くのほうにも津波に持ちこたえた雇用促進住宅が一棟残されていましたが、5階はベランダの柵はほぼ残って、たぶん床を水が流れていった程度だったのでしょうが、4階から下は建物の反対側の景色が見えるほど突き抜けられていて・・・ このときいろいろな「紙一重」があったのでしょう・・・

今でもその友人は仮設住宅にすんでいます。バスルーム、空調は完備されていますが、息のつまるような集合住宅・・・ きっとストレスの大きさはワタシの想像をはるかに超えていっているのでしょう。

3年半が過ぎ、流されたところに雑草がボーボーに生え、がれきが取り除かれたところに来たワタシには何があったのか、語ってくれる友人がいてくれたおかげで少し分かりましたが、もう過去のことになってしまいそう・・・ こんなにも残された人々はまだ苦労しているのに・・・ でも、単なる過去にしないように、というみんなの思いでしょう、陸前高田にはこの日も、貸切バスのグループやいろいろな県のナンバーの車が来ていました・・・