おいしい国ブルガリアでのフボボな生活

ブルガリアのこと、まだ忘れ難く・・・
でも、アラフィフからまた新たな挑戦をはじめます!!

コネで広がるブルガリアの旅② コネじゃなくて見つけた・・・温泉地

2008-06-28 14:46:41 | まち歩き

バラ祭りの土曜日の夜は、カザンラクから近くの温泉に泊まりたい! でも、近所のパベル・バーニャは混むかな? それに次の日曜日の予定も詰まっているのでカザンラクからもう少しソフィア寄りでいい温泉地はないか?と探してみることにしました。ブルガリアでは「バーニャ」と名のつくところがあればそこはだいたい温泉地です。「バーニャ+ブルガリア」で検索してみると・・・

ありました!カザンラクの隣の県(?)にあたるカルロボに「バーニャ」が!! なんと!結構ちゃんとした(?!)HPがある! (ブルガリアのHPって、「製作中」とか「そのまま何も出てこない」系の物が多いので・・・) 今回は予約をせず、現地で宿を探すことにしました。HPの中に何件もホテルが出てるし、どれか1件くらいは泊まれるだろう、と・・・

Banyastreet 果たしてプロブディフからカザンラク方面に向かう幹線道路からすこし入り込んだところにこの町はありました。ホントに小さな町です。真ん中を並木通りが貫いていて、図書館と思われる建物の前が広場のようになっています。それからもう少し進むとプール(今は営業してなかった)があって突き当たりにサナトリウムと公衆浴場が。

HPで調べてた宿の電話番号にかけてみると、「何泊するの?」「1泊です。」「じゃあ、ウチはだめだわ。この電話にかけて・・・」と、別の番号を言われ、そこにかけてみると・・・ 誰も出ない・・・

じゃあ、次をあたってみよう、と、第二候補にかけてみると、そこはアゲンツィア、つまり民泊紹介所。ここのおじいさん曰く、「ホテルにしようか? 1泊30レバだよ。」 ウ~ム、だいたいそういう相場なんだろうけど、もっと安いの、ナイ?

「じゃあ、ちょっと待って。」と言って古びたノートをぱらぱらめくり、プライベートルームを提供している家何軒かに電話をかけていましたが、結構留守・・・ でも、そのうちの一軒がOK してくれたらしく、「バイカル通りのビシャのところはどう? 一人8レバだよ。」 8レバ?! 安っ!でもどんな宿?でも安さにはかえられない・・・料金をおじいさんに払うとメモ紙にお金を払った旨走り書きしてサインしてハンコを押して、「この道をまっすぐ戻って図書館を過ぎてもう少し行くと郵便局の反対にバルチェ(バー?のちっちゃいの?)があるから。そこで家の人が待ってるから。」と、そのメモをホイッと渡されました。んん~、ちゃんと分かるかな?と恐る恐る車を走らせると宿主のビシャおばちゃんと娘のナディアさんが通りに出て待っていてくれました。この家族が自分の住んでいるコオペラツィア(4~6軒くらいが入っている建物)の一軒分をプライベートルームとして提供しているのです。Banyapr

Banyaroom 部屋を見せてもらうと・・・ おっ♪結構きれいで広くて、いいねえ~。ビシャおばちゃんも気さくな人で、なんでも以前この「バーニャ」町に住んでいたアメリカ人と親しくしていて、その彼が韓国人女性と結婚したので韓国人は見た事があったらしい・・・ 「はじめて本物の日本人(笑)が泊まりに来た!!」と大喜び♪ 宿をそこに決めて荷物を置き、それからカザンラクに出かけたのでした。

カザンラクから帰ってきたのが結構遅く、公衆浴場は早く閉まるので朝風呂に行くことにし、外に出ました。中心の図書館前の広場を過ぎたところからカフェやスカラ(グリル)のお店があり、これがすべて。カフェに入るとこの街の(たぶんほとんどすべての?!)若者たちも同じくらいに入ってきました。シーンと暗く静かな通りに彼らの声が響きます。まあ、これがここでの唯一の楽しみ、ってとこかな?

Banyabanya テラスつきの部屋・・・ これでホントに8レバ?と思うほど快適でしたし、朝風呂に行った公衆浴場もキレイに改装されていてタイルも滑らないし、お湯もよかったし、結構当たりだったな~。宿主のビシャおばちゃんもナディアさんもいい人たちでよかった!! また、コネが広がったかな?! 今回一泊だったのは残念! またここに、今度は何泊か泊まって(いろんなお風呂もあるみたいだし)、のんびり温泉三昧しよう♪

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コネで広がるブルガリアの旅① おなじみバラ祭りinカザンラク

2008-06-27 06:10:29 | まち歩き

今年も6月。ブルガリアだけでなくバルカン地方、ヨーロッパすべてがきらきら輝く初夏です。本当に日本の友人たちに見せた~い、来て来て~っ!! と宣伝したら二人友人が来てくれました。この原油高の時節、欧州旅行ってたいへんだな~。聞くとハイシーズンと言うこともあるのですがチケットは以前よりも高め。でも、ありがとう!! ブルガリアまではるばる来てくれて!! (、てなわけでご無沙汰しておりました。久しぶりの更新です!)

そこまでして来てくれた友人たちに何とかブルガリアを楽しんでもらおうといろいろ調べたら、カザンラクのバラ祭りとちょうどあたる!! 日本人観光客がたくさん訪れる有名なイベントなのできっと友人たちも楽しめるだろうと、出かけることにしました。昨年よりも一年余分にブルガリアにいると、増えるのは「コネ」!! 知り合い、友人の数です。ちょうどスタラザゴラに住んでいたことのある友人ルベンとカザンラクのバラ祭りについて話したら、

「あ~、スタラザゴラはカザンラクの近所だったんだ。あのバラの香り、ストラホットノ(超)フボボだね!! あっ、そうそう、カザンラクで旅行業をしている友人のペテルがいるんだけど、彼、地元民だからいろいろ知ってるんじゃないかな? 連絡しとくよ。これ、彼のケータイ番号・・・」 あ~、ブルガリアはコネでいろいろ教えてもらえるんだよね~。でも、クライマックスの日曜日は混むだろうからあえて(?)避けて、土曜日にまだ摘まれていないバラ畑に行ってみることにしました。

でも、その土曜日はあいにくの雨・・・ 途中結構大雨でどうなることやら・・・ こんな中でバラ祭り、やるのかな?

カザンラクの町についてから電話してペテルと会うことができました。でも、まずはこんな感じ。

「どこにいるの?」

「どこって・・・ バラ博物館前だよ」

「どの?」

「へっ?」 ペテルに聞いてはじめて知った!カザンラクにはバラ博物館のようなものがいくつもあるんだ・・・

やはり、お約束どおり、シプカ峠に抜ける道にあるバラ博物館には観光バスでやってくる日本人や、ブルガリア人の友人と一緒に来た日本人がいっぱいいました。その日はバラ祭り期間中のせいか、この博物館、フリーパス。なかなか粋なはからいです。

この博物館にもローズオイルを抽出する道具が展示してあるのですが、できればナマで抽出しているところを見てみたかったので、どこか見れるところがないかペテルに聞いてみると、

Muzei 「別の博物館に行ってみようよ、ここからすぐ近くだから。」と誘ってくれました。付いて行って見ると、以前に行ったことのある「トラキア人の墓」のすぐそばの大きな門のある家・・・ ここ?ペテル?

Kazan 「ここだよ!!」と入ると、まず目に入ったのがローズオイルを蒸留するための大きなカマ!ブルガリア語でこの大きなカマのことを「カザン」、だからこの町の名前が「カザンラク」なんだそうで・・・ オオ~っ!その昔ながらの蒸留の様子を小規模に再現してるんですネ!! 

Oldhouse Roseproducts ここは入場料3レバでバラのリキュールとバラジャムのお試しつき。ここはそんなローズオイルを商売していた昔の商人の典型的な家と、田舎の典型的な農家を移築して再現してるんだそうです。中を見せてもらいましたが、バルコニーが気持ちよさそう!! ペテルは

Balkon 「こっちに来るときにはいつでも電話して!! 案内するよ!」だそうです。ありがとう!!

Oldhouse2 夕方にはずいぶんと雨がやんできましたが、町の中心部のメイン会場は「ホントにこれから何か催しをやるの?」的な感じ・・・ ホテルの周りにはたくさんの大型観光バス、そしてそのほとんどに日本の旅行会社の名前が・・・ バラ祭りの期間中は約2000人(!)の日本人がこの小さな町にやってくるそうです!! ペテルによると、「いままでバラ祭りで雨が降ったことがないもんだから・・・」 こんな雨の中でのバラ祭りは史上初めてだったわけですね。(でも、日曜日は天気予報に反してどうにか晴れたみたい・・・ バラ祭りの様子はブルガリア在住の方や旅行者の方のブログでチェックしてくださいネ!) そんな会場を横目に、そそくさと次の目的地へ・・・ (つづく)Kazanlakcenter

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人生は確かに「重い」

2008-06-03 17:34:16 | ブログ

日常会話の約70%はクラ~い話題の(?)ブルガリア人。「年金が少なすぎて電気代が払えない」「サセディ(隣人=基本的にはアパートの同じ入り口の住人)が意地悪い、マナーがなってない」などなど・・・ どーにもこーにもネガティブなほうに行ってしまいます。日本だといつもこういう話題を話しているとまわりが「ひく」と思うのですが、ブルガリアだとほとんどの人がこうなのでひきようがありません。でもいつもあわせていると疲れてしまいます・・・

よくこういう話の後に「ジヴォト エ テシュク」、直訳すると「人生(生活)は重い」ということを言います。特に大戦後、共産体制、そしてその崩壊などを目撃してきた70代以降の世代がこう言います。確かに「重そう」です。苦労が多いせいか、日本の70代の人と比べるとしわが深く年寄りに見えます。

Nekrolog そして、よく玄関や電柱などに貼ってある「ネクロロック」。亡くなった人を偲ぶもので、その後何日、または何年経っていると書かれています。そして「あなたがいなくなって寂しい」などの言葉も添えられています。そしてこの紙には享年何歳、とも書かれているのですが、40~50代くらいも多い!60歳にもならずにこんなに亡くなってるなんて・・・ ブルガリアはヨーグルトの国なので「長寿国」と思われがちですが、若い人の死亡率も高い!約3年前、ペルニックに引っ越した日、大家のゴショが来る前に(彼は2時間遅刻してきた!!)入り口を開けてくれた親切な隣人ソフィーさんは40代でしたが、久々に以前住んでいたアパートの前を通ると・・・ 彼女はネクロロックになってました・・・ え~っ!? ショック!! ガンだったそうで発見後10日で亡くなったそうです。こういう病気が多いのも一因かもしれません。特に薬代が先進国並みに高いので少ない年金で生活している年金生活者にはキビシイはずです。

Babalevka 今でも思い出すのが、やはり同じブロック(建物)の住人だったバーバ・レフカ。90代のおばあちゃんで、いつも隣の入り口のところにイスを出して座っていました。よく挨拶して話もしていたある日、とても困ったような表情をしてウチに来ました。

「調子が悪い。娘に電話したいんだけど耳が遠くてできんのじゃよ。代わりにこの番号に電話かけてくれんかの?」

電話してあげると苦痛に満ちた、でもちょっとホッとした顔をして3階の自分の部屋に自分の足で階段を昇って帰っていきました。それが昼ごろ。でもその日の夕方、ウチの前に霊柩車が!! 「誰が?? バーバ・レフカはさっき話したから違うだろう・・・」 業者のおじさんはぺらんぺらんのベニアのような素材でできた棺おけを片手でホイとブホッド(入り口)の脇に立て掛けて昇っていきました。その日のうちにネクロロックが近所中に貼られ・・・ えっ?ウソ?バーバ・レフカだったの? 次の日にはもうお葬式が・・・ (亡くなってからホントに24時間経ってたか?) 90年の激動に満ちた20~21世紀を生きてきたやさしいバーバ・レフカの最期はあっという間でした。同居している孫(といっても二人の10代の娘の母ですが。)は、「仕方ないわよ。90歳なんだから・・・」と結構アッケラカン。確かに40~50代で亡くなる人の多さを考えると90歳は大往生と言えるかも。昔のほうがこの国は穏やかだったからか、80~90代で元気な人も多くいます。

あ~、書いてる本人もなんだか気分が重くなってきてしまいました。ホントに人生は重い!!

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