場所・岡山県玉野市築港
桧垣は戦前の内務官僚知事だが、宇野港の開発功績者として新聞に名が載ることが、今でも時折ある。
宇野港
宇野港が世の注目をあびはじめたのは日清戦争後のことだ。
国力増強、軍備拡張の観点から、時の海軍大臣西郷従道や第十一師団長乃木希典ら多くの要人が現地を視察し、その自然条件のよさから評価したが、すぐには実現せず、
また1904(明治37)年宇野線敷設の仮免許がおりたときも見おくられ、
翌々年起工式まで行われながら、県会と県知事の対立でもめ、けっきょく内務大臣の指示で強行され、
1909(明治42)年に近代的な宇野港が完成した。
「岡山県の歴史散歩」 山川出版社 1976年発行
第8代岡山県知事 桧垣直右
宇野築港計画は、日露戦争中の明治37年県会で、当時の知事桧垣直右によって提案されたが、否決された。
このため知事は翌年ふたたび県会に提案、県会は負担にたえられないという理由で反対し、廃案にもちこんだ。
知事は「本県の公益のため」無視し、明治39年内務大臣の指示を得て原案執行を公布した。
こうして明治38年起工し明治42年竣工した。
これについで明治43年に国鉄宇野駅が開業し、中国四国の連絡の宇高連絡船が就航するに及んで、
港としても本格的形態と機能をととのえるにいたった。
「岡山県の歴史」 谷口澄夫著 山川出版社 昭和45年発行
撮影日・2022.4.16