場所・静岡県静岡市清水区美濃輪町
子どものころ
晩飯の後、たまに祖父がラジオを聴くことがあった。
聴くのは決まって浪曲番組だった。
その頃、ラジオのスターは広沢虎造だった。
名調子でうなり、語っていた。
「森の石松と三十石船船道中」
〽
旅行けば 駿河の道に茶の香り
「駿河の国が安倍郡、清水港の宇土町に住む山本長五郎。
通称、清水の次郎長。これが街道一の親分よ」
「お-お-江戸っ子、おい若いの。
ここへ来ねえ来ねえ、座んねえ」
「江戸っ子だってなあ」
「神田の生まれよ」
「なあおい、飲みねぇ、飲みねぇ。寿司を食いねぇ。江戸っ子だってねぇ」
「神田の生まれよ」
「そんなに次郎長が偉いか」
「子分、いい子分がいるぜ次郎長には。
千人近く子分があって、人に親分、兄ぃと言われるような人が28人。
これを唱えて清水の28人衆。
この28人の中に次郎長くらい偉いのがまだ5~6人いるからね」
「お前さんね、ばかに詳しいようだから聞くんだけど、
次郎長の子分の大勢ある中で、一番強いのは誰だか知っているかい?」
「一番強いのは、大政
二番は 小政
三番は 大瀬半五郎
四番は 増川仙衛門
五番は 法印大五郎
六番は 追分三五郎
七番は 尾張の大野んぼ鶴吉
八番は ・・九番は・・ ・・・・・十七番は・・
あとの奴は 一山いくらのガリガリ亡者ばっかりだよ」
「やい、おもしろくねえな、てめえは。
さっきから黙って見てりゃ、酒だって寿司だってみんな俺が買ったんだぞ。
次郎長の子分で肝心なのを一人忘れていませんかてんだ。
この船が伏見に着くまででいいから、よおく考えておくれ。ええ、おい。。」
「泣いたってしょうがねぇやな、お前さん。
あっ!
一人あった!」
「誰だい?」
「こりゃ強い。
遠州森の生まれだ」
「お上がんなさい、お上がんなさいよ。
ええ誰だいその一番強いというのは・・」
「左の目、、あれっ、お前さんとおんなじだ。
森の石松ってんだ。これが一番強いやい」
「飲みねぇ、飲みねぇ、寿司食いねぇ。江戸っ子だってね」
「神田の生まれよ」
「そんなに何かい、石松は強いのかい?」
「強いなんてのは、神武このかた,博打打ちの数ある中、石松っつあんが日本一でしょうな。
だけど、あいつは馬鹿だからね。
東海道で一番馬鹿なんだ」
〽
お茶の香りの東海道 清水一家の名物男
遠州森の石松は 素面のときはよいけれど
お酒飲んだら乱暴者よ 喧嘩早いが玉に瑕
馬鹿は死ななきゃ 治らない
丁度時間となりました・・・
「日本の古典芸能 浪曲・怪談」 龍口雅仁編 丸善出版 令和元年発行
清水次郎長
文政3年(1820)~明治26年(1893)
駿河の侠客。
元治元年(1864)甲斐の黒駒勝蔵に勝って東海道の縄ばりを確保。
慶応4年(1868)官軍から道中探索方に任命され帯刀を許された。
徳川家の駿府移転により山岡鉄舟と交友を結ぶ。
のち富士山麓を開館した。
「日本の銅像」 金子治夫 淡交社 2012年発行
撮影日・2014年10月8日
子どものころ
晩飯の後、たまに祖父がラジオを聴くことがあった。
聴くのは決まって浪曲番組だった。
その頃、ラジオのスターは広沢虎造だった。
名調子でうなり、語っていた。
「森の石松と三十石船船道中」
〽
旅行けば 駿河の道に茶の香り
「駿河の国が安倍郡、清水港の宇土町に住む山本長五郎。
通称、清水の次郎長。これが街道一の親分よ」
「お-お-江戸っ子、おい若いの。
ここへ来ねえ来ねえ、座んねえ」
「江戸っ子だってなあ」
「神田の生まれよ」
「なあおい、飲みねぇ、飲みねぇ。寿司を食いねぇ。江戸っ子だってねぇ」
「神田の生まれよ」
「そんなに次郎長が偉いか」
「子分、いい子分がいるぜ次郎長には。
千人近く子分があって、人に親分、兄ぃと言われるような人が28人。
これを唱えて清水の28人衆。
この28人の中に次郎長くらい偉いのがまだ5~6人いるからね」
「お前さんね、ばかに詳しいようだから聞くんだけど、
次郎長の子分の大勢ある中で、一番強いのは誰だか知っているかい?」
「一番強いのは、大政
二番は 小政
三番は 大瀬半五郎
四番は 増川仙衛門
五番は 法印大五郎
六番は 追分三五郎
七番は 尾張の大野んぼ鶴吉
八番は ・・九番は・・ ・・・・・十七番は・・
あとの奴は 一山いくらのガリガリ亡者ばっかりだよ」
「やい、おもしろくねえな、てめえは。
さっきから黙って見てりゃ、酒だって寿司だってみんな俺が買ったんだぞ。
次郎長の子分で肝心なのを一人忘れていませんかてんだ。
この船が伏見に着くまででいいから、よおく考えておくれ。ええ、おい。。」
「泣いたってしょうがねぇやな、お前さん。
あっ!
一人あった!」
「誰だい?」
「こりゃ強い。
遠州森の生まれだ」
「お上がんなさい、お上がんなさいよ。
ええ誰だいその一番強いというのは・・」
「左の目、、あれっ、お前さんとおんなじだ。
森の石松ってんだ。これが一番強いやい」
「飲みねぇ、飲みねぇ、寿司食いねぇ。江戸っ子だってね」
「神田の生まれよ」
「そんなに何かい、石松は強いのかい?」
「強いなんてのは、神武このかた,博打打ちの数ある中、石松っつあんが日本一でしょうな。
だけど、あいつは馬鹿だからね。
東海道で一番馬鹿なんだ」
〽
お茶の香りの東海道 清水一家の名物男
遠州森の石松は 素面のときはよいけれど
お酒飲んだら乱暴者よ 喧嘩早いが玉に瑕
馬鹿は死ななきゃ 治らない
丁度時間となりました・・・
「日本の古典芸能 浪曲・怪談」 龍口雅仁編 丸善出版 令和元年発行
清水次郎長
文政3年(1820)~明治26年(1893)
駿河の侠客。
元治元年(1864)甲斐の黒駒勝蔵に勝って東海道の縄ばりを確保。
慶応4年(1868)官軍から道中探索方に任命され帯刀を許された。
徳川家の駿府移転により山岡鉄舟と交友を結ぶ。
のち富士山麓を開館した。
「日本の銅像」 金子治夫 淡交社 2012年発行
撮影日・2014年10月8日
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