城見小学校の6年生に、昔ばなしを依頼されたので、
話す内容を整理した。
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イナとり
茂平イナとりは9月第一日曜日と決まっていました。
茂平の子供にとって、それはそれは楽しみな行事でした。
用之江や大冝の子供も見に来ていました。
何日も前からポンプ場から24時間排水のエンジン音が聞こえていました。
ぽんぽんぽんぽん♪
その音を聴きながら、わくわくしながら当日がくるのを持っていました。
その日、
主催者である茂平消防団は総出で、内海周辺に配置、入場料を徴収。
茂平婦人会はお店を出していました。
イナとりの人は、全員男性で、道具はウダで、まれに投網の人がいました。
ウダは竹で編んだ円形の籠で、それを自転車に積んでやってくる。
なぜか東西からでなく、北の方から来る人が多かった。
府中、新市、井原方面からで、
用之江の道と、野々浜の道はウダを積んだ自転車で連なっていた。
よーいどん、の合図で参加者が同時に内海に入る様は壮観だった。
ウダを上下しながら前進し、魚がいれば手をつこんで、魚籠(びく)に入れていた。
一人の漁獲量は30~50cmのイナとボラを5~10匹程度だった。
終わると、外海に入り、身体や道具の汚れを落とし、
なじみの民家の井戸水で潮を落としてから帰っていた。
帰るころは来週の「野々浜のイナとり」を話題にしながら去っていた。
なお内海の魚は、当日以外は「浜の良やん」の独占した漁場で、
良やんは、その日、腕を組んで満足そうに見つめていた。
(画像は笠岡市教育委員会から借用)
イナとりは戦前からある伝統行事でしたが、
高度経成長の頃、趣味の多様化などで自然消滅的に廃止されました。
たぶん、竿で釣る方が時代にあっていた?
廃止して数年後、茂平から海はなくなりました。
写真のこと
この写真は、ほぼ終盤と思う。序盤は、この数倍の人が内海にいる。
背景の山畑は、桃とビワが多かった。
山に桃の花が咲く頃、茂平が一年で一番美しい時だった。
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