しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

坂本龍馬(生まれた町)

2021年06月24日 | 銅像の人
場所・高知県高知市上町 「龍馬の生まれた町記念館」

高知市の電車通りに「龍馬の生まれた町記念館」があり、
その周辺は市の中心であるが、町は江戸時代や明治の面影が残されている。





「龍馬史」 磯田道史  文芸春秋 2010年発行

土佐に移住した坂本家は、4代目の八兵衛の時代に高知城下の上町(かみまち)に進出して、質屋業を営むようになります。
のちに酒造業や呉服商などにも事業を拡大し、寛文年間(1661~1673)には、高知城下屈指の豪商となっていました。
才谷屋がどれほどの資産家であったかを正しく評価するのは難しいのですが、いわば、
高知のトップ銀行に匹敵する実力でしょう。
屋敷の間口は8~9間、奥行は10間の大土蔵構え。
数棟の酒造が立ち並び、10人以上の使用人がいたといいます。

坂本家の屋敷は約500坪の広さで、これは通常500石クラスの上級武士の武家屋敷に匹敵する広さです。
豪商才谷屋は6代目八郎兵衛のときに郷士株を手に入れ、郷士坂本家が誕生してます。







「歴史よもやま話下」 池島信平編  文春文庫 1982年発行

明治維新の志士たち
坂本龍馬



文久の頃は、だだ勤王だ、攘夷だ、とにかく外国を打ち払うというところで、倒幕を意識していません。
第三期になると、倒幕が大きな力になってくる。

幕府を叩きつぶせ、武力をもって倒幕しろというような西郷や長州の意見と、
将軍に大政を奉還させて、穏やかに新しい政府をつくる。
そのどっちか?のなかで、
坂本は,大政を奉還させて平和的に解決した方がいいという方向が強い。
大政を奉還させ、列藩会議を起こしてというプランでしょう。






「英傑の日本史」 井沢元彦 角川学芸出版 平成22年発行

勝海舟と坂本龍馬は、はじめからぴたりと息があった。
名コンビは、日本に海軍を作るための神戸海軍操練所設立に向かって邁進する。
勝はみずから幕府軍艦咸臨丸の艦長となって、アメリカに行ってきた。


亀山社中

龍馬と神戸海軍操練所で航海術を学んだ同志は、操練所の解散によって薩摩藩の保護下にはいった。
メンバーは長崎に行き、薩摩藩の援助の下に独立組織をつくった。
宿舎がある亀山から亀山社中という名前になった。
社中は、英語のカンパニーの訳語だったようだ。

ジャーデン・マセソン商会のグラバーから大量の新式銃を買い入れた。


 「英傑の日本史」 井沢元彦 角川学芸出版 平成22年発行










【高知市役所】HP

龍馬の生まれたまち記念館

龍馬が生まれ育った高知市上町に開館。
龍馬が土佐藩を脱藩するまでの少年,青年時代のエピソードを映像や音声で紹介しています。
龍馬の生まれたまち記念館を起点として、
高知市内に点在している坂本龍馬ゆかりの史跡等をめぐる「龍馬の生まれたまち歩き 土佐っ歩」もあります。
また、観光ガイドボランティアによる記念館内の案内もできます。
龍馬が過ごした時代を想像し,当時を偲ばせながら町並みや路地をゆっくり散策してみては。







撮影日・2015年2月28日



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