家でスキヤキを食べることはあった。
ニワトリのすき焼きだった。
それは、田舎ではおおご馳走だった。
父が弱った鶏を料理していた。
父は上手に肉から内臓まで取り出していた。
私が中学生になった頃、日曜日の昼の鶏の餌は自分の仕事だった。
弱った鶏を殺すのは自分の仕事になった。毛と皮を剥いで、肉を母に渡していた。
(姉の話)
家の庭には鶏を吊って、ぶらさげていた。
卵を産まなくなった鶏の肉を食べょうた。
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「日本人は何を食べてきたのか」 永山久夫 青春出版社 2003年発行
聖なる鳥、ニワトリ
古代ニワトリは、時刻を告げる神聖な鳥として扱われていたようだ。
農作業と結びついて時間をおしえてくれる神聖な鳥。
江戸時代ヨーロッパ人や中国人が、何の抵抗を持たずに鶏肉や卵を食べることを知り、日本人はカルチャーショックを受けたらしい。
タブーが取られ、卵を使ったカステラや茹で卵が幕末には普及していた。
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「日本食物史」 江原・石川・東四柳共著 吉川弘文館 2009年発行
「すき焼き」に使用する肉
開港以降、西洋文化を受容した日本では、それまでの肉食禁忌を急速に解き、
牛肉食をはじめ獣肉食を摂取するようになった。
それらの食習慣は、急速に受け入れられたようにみえるが、
日本地域全体の、各家庭に受け入れられることは、それほど簡単なことではなかった。
大正末から昭和初期の各地のすき焼きの摂取に調査すると、
「すき焼き」という料理名は全国に普及しており、各地ですき焼き料理が食べられていることである。
しかし、食材が必ずしも牛肉ではなく、鶏肉が使われていることも多い。
それだけではなく、ウサギ、馬肉、鯨のほか、はも、さば、ぶりなどのすき焼きもみられる。
しかしうさぎなどのすき焼きは「大ごちそう」でたびたびは食べない。
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小学生の頃、夕暮に10~15ヶ所ほど仕掛けをして、夜明けに行くと、平均4~5匹掛かっていました。
母に渡すとすぐに裏畑のイチジクの葉をちぎって、ウナギを俎板にのせ、頭に釘を打ちつけていました。
なつかしい思い出です。
今思えば贅沢なごちそうですが、当時は自給の一環の思いで食べていました。
材料は鶏、馬、牛、豚の順です。牛肉は安物ですからスジが多く噛みにくい。
蒲焼きは、イワシ。
ウナギは、たまに1匹しか釣れないので、家族には足りません。