しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

伊勢神宮はなぜ残ったか?

2016年12月16日 | 昭和20年(終戦まで)
(以下は新潮社・マッカーサーの日本より転記)

昭和20年12月15日、GHQは「国家と神道の分離指令」を発令した。

天皇のマッカーサー訪問、皇室財産凍結、梨本宮ら戦犯逮捕、修身・歴史教育禁止、天皇の人間宣言、と“神州日本”の掘り崩しはすすんだ。
「国家神道の廃止によって、天皇制の支柱になっていたものが破壊されてた」と声明が発表された。

神道追放の仕事は一見矛盾する二つの事柄を同時に解決しなければならなかった。
というのはポツダム宣言には「言論・宗教、思想の自由」がうたわれ、いっぽう軍国主義の思想背景のいっさいの打破も至上命令であった。
神道さえなければ戦争は起こらなった、という外務省役人や神道・神社をすべて叩き潰せという進駐軍人もいた。

では、はたしてすべての神道や神社が天皇制イデオロギーや超国家主義と密接につながっているのか?
例えば、四国の金毘羅さん、日光の東照宮、お稲荷さん、・・・・。

問題になったのは「伊勢皇大神宮」「靖国神社」、「熱田神宮」、
各地51の「護国神社」。
靖国神社は戦死者の霊を祭るのは、近代国家の美風であると日米双方から同じ意見が出た。(ただし、戦死者の霊が靖国にあるのか護国神社にあるのかは理解出来ないようだ)

ワシントンの国務省から「神社神道の、国家により運営や管理されている部分は除去されなければいけない。しかし、民衆の信仰としての神道はよいであろう」の指示があったが、現場は混乱した。
新年の門松、七五三、神前結婚、村祭りの寄付まで地方軍政官に許可を求めに来た。軍政官もわからないから東京の総司令部へお伺いをたてた。
流鏑馬の行事、お神輿は担いでいいのか、山車はどうか?
神官たちは自分の神社がどうなるのか?農地改革で所有地・山林は没収される恐怖。


東京で一冊の手引書が作られ、全国の占領軍機関に配布された。

「一時、占領軍は神道の全面的廃止を考えた。しかし、それは間違った考えであった。
国家神道は禁止された。
しかし、神道そのものは日本人の精神生活を豊かにするものに役立っている。
日本にはたくさんの神がいる。木であり、キツネであり、山、祖先、英雄、天の神々もいる。
定義づけようとしても、その論議は無益である。」

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